『続』男たちにはわからない
"Les hommes ne le comprennent pas"

2007年 08月 の記事 (9件)


イスタンブールのミュージアムに行きました。
ここにはシドンで発掘されたアレキサンダー大王の柩とともに
復元されたトロイの木馬があります。
トロイは古代ギリシャの話だと思っていましたが、現在のトルコの
一部です。
この旅の道中のエールフランス機の中で封切られたばかりの『トロイ』を
見ていたので、意味深長な旅の巡り合わせだと思いました。


前の広場に居ると猫が寄ってきました。

これは入りたかったモザイクタイルのミュージアム、休館日でした。

近くを走る新型のトラムと偶然はいってしまったトルコ人おやじ。

オスマン時代の木造建築、数が少ないですがかつてはこういう風景が
並んでいたのでしょう。

アヤソフィアを出た所。上のタプロウはキリスト教画でしょう。こういう
バイアスの広いイスラムは好きです。

事務所の奥の壁に懸かる肖像写真が、日本では見られなくなった風習です。

暑い、緑陰の前で私も一休憩。

何か学校のような施設も付属していて、ちゃんと教えている雰囲気があります。

イスラムといえばミナレット(尖塔)、風景に欠かせません。

最後は水上から見たトプカプとアヤソフィアの遠望で、さらばイスタンブール♪

ガラタ橋近くの水辺の市場。
青い傘の下はみんな魚市、水を流して生臭さを消すのも東西一緒です。
こちら側にもトラム(路面電車)が走っています。
非常に古い型式ですが、アクビルと云って腕にICパスを巻く方式の電子チケットも対応しているのが面白いです。

デッキに扉のないスタイルは日本でも明治や大正時代までありました。
運転士以外に乗務員がいて安全確認しています。また車掌も別に乗っています。

線路は単線、途中1カ所交換できる駅があります。

この路線は調べると近年復活させたもののようで、イスタンブールの観光の一部を担い、町の活気がうかがえます。

ポイントや終端区間はこんな感じで普通の線路と異なります。

線路の両側はずっと街並で、ひときわ古そうなこの建築は銀行でしょうか。

お菓子やさん、と云っても日本の昔の菓子のように手作りのものを量り売りしています。
ヌガータイプのコメ菓子でしょう。

アクセサリーに女性が関心を示すのも洋の東西問わず同じ風景です。

耶馬渓の鴫良(しぎら)温泉から宇佐の駅館川に出るまでの山中でクヌギの木を見つけると、樹液が出て昆虫が集まっていないか、息子と調べてみました。結論は、非常に減っています。幹の中でボクトウガの幼虫が動き回るため6月頃からこのようなシーンがよく見られたものですが、クヌギを椎茸栽培に供するため殺虫しているのか、ボクトウガ自体が少なくなっているかその両方あるでしょう。
樹液に集まるカナブンですが、
普通のカナブン>アオカナブン>クロカナブンの順に減っていて
クロカナブンは絶滅危惧になっているそうです。
バー「くぬぎ亭」に集まるお客さんたち、一番ガラの悪そうなのは
スズメバチの威嚇するオニイさん、少しコワいのはクワちゃんやカブトさん、着飾ったチョウはそのまま夜の蝶
すぐにカッとなるノコギリクワガタ、カナブンやハナムグリは普通のお客
ハエやアブはチンピラ… 15才の長男が次々オモシロい比喩で説明してくれました。


道の脇で見つけた宇佐、国東系の小さな宮。鳥居の柱の上部に
そろばん玉のような環が入っているのがこの地方の特色です。


そろそろ山中の田んぼも稲穂が重くなり始める頃

斉藤集落に出ました。遠くから見える社叢の森にひときわ大きい樹影が。

藤群神社の二本杉です。樹齢400年と言われてます。

6月1日の訪問時に見つけたものですが再訪問してみました。
修理中だった社殿も修理が終わり、まだ新しい断面にこんなものが、

キノコというより菌類生物ですね、初めて見た生き物です。

社殿の正面は建物が建っていて裏みたいな感じです。

素朴な金精さん信仰でしょうか、思わずニヤリ、

斉藤集落にも石の眼鏡橋がありました。

駅館川上流には多く、この宇佐、国東、求菩提(福岡側)の古代宗教地域と
石像の多い文化圏、そして石造りの橋は相乗の効果でこの地域を旅する者に
魅力を伝えてくれます。

昔も今も同じ塗色の大分交通バス


さて今回の旅、名所はあまりありませんが宇佐平野の平地部に戦時中
宇佐航空隊の基地がありました。今に残る戦争の遺構としてこの
掩体壕(えんたいごう、航空機の格納庫をカモフラージュしたもの)が田んぼの中にぽつぽつ残っています。

これは民家の裏でガレージに使用中のもの。
60年以上前のこういった「忘れ物」が最近は新しい見方で一種の観光
目的になっていることを3年前の訪問時にタクシーの運転手から聞きました。
この近くの八面山に米軍機が墜落し、生き残った乗務員を虐殺してしまったこと
「もうあんな、むげねえ(可愛そうな)こつはしちゃいかんとです」
老運転手の言葉が旅する自分の胸を刺しました。


掩体壕の展示施設の祈年物に留まったスズメガ、背なに人面があるのが
コワいです。
その掩体壕地区の足下田んぼではいま謎の生物が増殖中!

この赤いの、何だと思いますか。
答えはコイツの卵です。

九州や西日本で爆発的に増えているジャンボタニシ。
いやーいるわいるわ。畦中で動いていました。
南米原産のこの貝、最初は食用で養殖してたのがあっという間に
繁殖し、アメリカザリガニと同じことになってしまいました。
フィアットリトモを先にフェリーで無人航送して
2泊3日(帰り船中泊)の夏の九州旅行に行きました。

耶馬渓の青の洞門です。

出た所で1枚。遥か上に鎖渡し時代の遺構が残っています。

耶馬渓の奥には戦国武将の1人、後藤又兵衛の墓があります。
中津時代の馴染みの女を訪ねて逃げて来たと言う伝説。伊福の里は
いまでも長閑です。


泊まった宿は古い温泉ホテルで、夜は水銀灯に集まる虫と
この夜は流星が見られるというので観察しました。



古い入り口のしつらえ。

翌日も昆虫観察です。これはミスジチョウ系列のオオイチモンジでしょうか。

トンネルができ旧道になった区間は人気がなく歩くのにもってこいです。


川の底が不思議な平たい石の底でした。

飛び乗ったフェリーはどこかの港に着きました。
その前に落ち着きを取り戻すのに、上がったデッキでチャイを勧められたので飲みました。トルコの旅には付き物です。
どうやらそこがウシュクダルと分かり、歩いてみることにしました。

船だまりにはアヒルか鴨がのんびり泳いでいます。

周辺の家は海を望みリゾートしています。

対岸はアヤソフィアはじめ歴史遺跡地区。


建国の父、ケマル・アタチュルクらの像。

このバスはいつ見ても尻下がりで、ウイリー状態でスタートするので
ユーモラス。

売店です。海に面していい感じです。

後ろの方に海に浮かんでいる古い建築はクズ島です。
一番手前はトルコ産フィアットのムラート(スルタンの名前)

さてクイズです。このクルマの名前、分かりますか?

イスタンブールと言えばボスポラス海峡の名が浮かぶ人も多いでしょう。
門司ー下関に関門海峡があるように、海峡のある町で育った人間には藤原新也氏のように独特の世界観があります。
僕もそんな影響を受けているところがあります。

このボスポラスの一番接近した所にアジアとヨーロッパを股がると思われているガラタ橋があります。正確には違いまだヨーロッパの中ですが、諸著作で「イワシのサンドウィッチが名物」で随分有名な場所です。

この橋は下に高架下の店舗構造みたいになっていてそこにいろんな店が入っています。
どれどれイワシは獲れるのかいな、と冷やかしましたが、橋の上からでも釣りをしている人は多く、対岸のガラタ地区には渡ってすぐの所に魚屋が何軒もあり、親近感がわきました。


売っている魚はサバのようでした。

ガラタ地区の入り口の風景をお見せしましょう。
これも水産関係の商店のようです。


地元の菓子の広告看板の下で釣竿を売っています。
こんな感覚はヨーロッパというより、日本に近い気がします。


あとこういう風にイスラムの伝統的衣装をつけているのは年齢の高い御婦人です。
日本も一緒でしょう。

ボスポラスを渡るフェリーです。すぐに乗りたくなって
飛び乗りました。どこへ付くとも考えずに。
向こう見ずな旅ですね。

パリの宿を1日で引き上げ、翌朝SDGに行き、空港内を歩き回ってようやく乗ったのが、このイスタンブール行きの小さな飛行機。この日空港では爆発か事故があったようで、機内で男性客が不安を訴えパニックになり最後は降ろされていました。
一斉に振り向いた異国人たちの不安そうな表情と、それを安心させようと精一杯の愛想でいた機内乗務員の笑顔が忘れられません。

イスタンブールまで空の旅は2時間、帰りは復券をキャンセルして列車使い4日間かけて帰る僕の旅はなんという酔狂なことでしょう。



イスタンブールの空港で押し掛けガイドの群れを交わし地下鉄とトラムを乗り継ぎ、旧市街歴史地区に辿り着いた嬉しかったこと。旅は自力で行くものですね。
これはオベリスク(長い記念塔のようなもの)

アヤソフィア寺院(博物館)です、ついにここまで来たぞ。
下の写真の中で櫓に囲まれた建造物は‘チャンベルリタシュ’と言い、古代ローマの遺跡でこの街で最も古いもののひとつです。なんだか分からないけど法隆寺みたいな有難いものでしょう。

 
ところでトルコの植栽ですが、広葉樹系の実の成る木が多いです。
背の高いプラタナス系と写真によく写っている木は何だと思いますか。実は栗なんです。
樹背が10mを超え堂々たる樹木ですが、いがの付いた実は同じで中の実は日本のと違いやや丸いです。でも色は同じで栗と気付きました。
このあたり、観光地区でも多く落ちていて誰も拾いません。でもイスタンブール市内では拾って煎って売っている貧しい栗売りを見かけました。

ちょうど訪問したのが9月後半であと無花果もよく成っていました。

これは乗り換えの路面電車駅の柵にからんだアサガオ系の蔓草、日本で近年増殖して奇観を呈するリュウキュウアサガオに近いと思います。彼らのルーツは中近東かと想像しました。


特に何もありませんが、埃っぽい街と商店と。

こんな路地を坂道を、いつか歩くことを夢見たのかもしれません。
行ったり戻ったり30分くらい迷って小さな予約した宿を見つけました。


天蓋のあるベッド、イスラムの宿の小さな窓を開け外を眺めます。



窓の外の風景の一番奥は学校です。朝な夕なにコーランの放送が流れる中、登下校するスチューデントたちに国に残して来た子供らのことを思い出しました。

2004年9月にパリとイスタンブールに行ったことは前にも書きましたが、写真をスキャンしつつ、暇つぶしの文を書いてみましょう。

最初の写真はシャルル=ド・ゴール空港の国際線の待ち合いスペース風景です。
ヨーロッパ人たちの割と警戒してない素顔が一瞬見えたような気がしたので、上から思わずパチリ。


関空からエールフランス便に乗りまして、8時間。夕刻のパリに着きました。

今はオルリーは羽田みたいな使われ方で、日本からの便はSDGに着きます。

アウディです。いきなり港内の道を走るクルマの雰囲気に喜んでいます。

フランス製の見たことないバスも走っています。

プジョ−309がいかにも普通の庶民のクルマとして停まっているのにさえニッコリ。206だのやはり多いですね。

ご覧ください。日本ではけばけばしいマクド(関西弁)もご覧の通り。マドモアゼルの国はちゃいますね〜(
これだけでフランスに行ってよかった!?

SDGからRERという郊外〜地下鉄乗り入れ電車でパリ中心に向かう所。TGVでしょう、実物を見て感動しました。ここは上野か日暮里みたいな区間。

メモを見ると1985.4.7. 雨の一日岐阜界隈の電車に
乗ってきました。桜が満開でした。




サッポロから流れて来た洒落た市電

市街地のはずれ、忠節という駅で郊外線と乗り入れ連絡していました。

昭和の初め頃に作られた名鉄一の古豪モ750

これは市内〜郊外直通用の急行電車、これも古い電車の
リニューアルで人気がありました。

黒野という途中駅で揖斐行きと谷汲行きが分かれます。

こんな模型みたいな車庫の風景もすっかり過去のものとなりました。

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