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8月8日(日) あと一週間だ。 金曜日は、帰り、ターミナル駅の一つ前で降りて、デジカメで写真を撮りながらターミナル駅へ。そこから電車に乗って岐路についたが、夕焼けがきれいなのをみて、川に近い駅で降りてまた散歩した。 土曜日は、このごろは左脳を使う同じ論文ばかり読んでいるから、たまにはと思い短編小説を読んだ。マエストロ作家のデビュー作だが、ずいぶんとタッチが違うし、中途半端なできながら、しっかりした下調べもできていて、ちょっと感心するやら、こけおどし的だなあと思ったりもした。 日曜の昼間は、先週ずっと書いとこうと思った、植栽の引継ぎ事項をワープロで作成して打ち出した。意外とすぐに出来上がった。
8月11日(水) 今日はとびきり無能な男と話をした。こちらとしては半月前に辞意を伝えてるのに、今日まで何の準備もしてなかったらしい。辞意に変更はないし、いついつまでに辞める、と再三メールしたのに、それを本気と受け取らなかったという、管理職として考えられない無能さ。僕が現場を退く時には長期休暇だと言え、そのあと事後策を考えるとか言ってた。要するに、嘘をつけ、と言った。僕に向かって、不満を一切言わないのに突然辞めるというのでびっくりしてる、とか言ったけど、控えめながら何度も現場の苦情や改善要望は言ってるから、アンテナが錆びてるとしか思えない。強弁。説得力のない話の羅列。痛いところを指摘されると声を荒げる。管理職として最低だな、とずっと一貫して思いながら30分か1時間ぐらいの話を聞いていた。この人間の下からは、有能な人間が次々と辞めていくだろう。そして残るのはごますりのうまいチンピラだけだ。道理で僕の現場がやりにくくなったわけだ。この管理者がおおもとだ。逆に言えば、そうか管理職って現場にいないけど、こういうところで現場の人間を働きやすくも働きにくくもするもんだなあというのがしみじみと分かった。そのおかげで僕は辞めて行く。
8月13日(金) 今日で仕事を辞めた。最後の10日はどうか事故などないようにと1時間1時間薄氷を踏む思いでつとめていた。最終日の今日はカウントダウンするどころではなくあわただしく過ぎ、午前中ちょっと懸念があったが、バタバタと最後になった。最後の10日の懸念を思うと無事に終わってホッとしたし、しかし最後の手続きのため明日もちょっと動かなくてはいけないし、まだすることがあるので、まだ緊張の糸を切ってないけど、ふっとこれが終わった時、大学の時テニス部を辞めた後のように、なんで辞めちゃったんだろう、って後悔の気持ちがわいてくるかもしれない、と思う。ただ僕は大学の時、レールを敷かれた中を颯爽と走るよりも、ハンドメイドの道でじたばたどたばたして、苦い思いも味気ない思いも重ねた道のほうがけっきょくは良かったと思っているのだ。今の自分の人格はその延長戦上にあるのだ。 でも今の仕事で、勤勉な習慣や、機敏に動く習慣、規則正しい生活を維持し、始終人と話してニコニコしてる習慣とか、そういうのをくれたところだったので、それが失われたゆく時、僕は大きなものを失ったと思うかもしれない。 ただ、相方があれほど単純でしかも自分の思い通りに動かなければすぐ機嫌をこわして悪意まで持ち始めるというひどい人格の人間だったから、彼を追い出すか僕が出て行くしかなかった。そして、彼が木の実だとしたら、なぜそういう木の実がなったかというと、それは偶然傷んだ実がなったのではなく、この幹だからこの木の実ができたのだ、と僕は思ったのだ。つまり、彼という木の実を切り落としたら、次に出てくる木の実もきっとろくなもんじゃない、と僕は考えたのだ。
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