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ここに、いるよ。
あなたが、迷わぬように。

ここに、いるよ。
あなたが、探さぬように。

ある朝、
老教師の元を、
刑事が2名訪い、
事件の検証を要請しました。
行先は、
隣家の2階です。
眩むような日だまりがたゆたう
広い庭を抜けて
古い玄関扉をくぐって
ギシギシ軋み音を立てる階段を昇り、
薄暗い廊下の先に扉の開け放たれた部屋、
管理人夫婦と刑事が2名、
大きな窓から降り注ぐ陽光のもとに置かれたベッドに、
痩せこけた少女が横たわっていました。
刑事が、
少女の日記を手渡します。

老教師は、ある事件を起こし、
過疎化した
この漁師町の高校に転任してきていました。

事件とは、
生徒との好ましくない関係です。

老教師には、
書店を営む美しい妻がいました。
美しい妻と
平凡だけども
過不足のない日々を送っていたある日、
ひとりの女生徒が、
彼のクラスに転校してきました。
不思議な雰囲気を漂わせた少女です。
影をたたえたその容姿は、
氷山のように隆寒、
その肌は透き通るように蒼く儚げで、
この年代がもつ輝くような健康美と
正反対の
病的な美をまとっていました。
嗜好は通常
偏るものです。
ですから
光と影、
好まれるのは
光ではないのです。
騒然とする教室内、
気の早い幾人かの男子生徒が
彼女にアプローチします。
ですが、少女は、
悉く振ってしまい、
相手にすらしません。
一部の不良生徒のグループを除いて、
ほとんどの男子生徒が撃沈します。
不良生徒たちには
近づいてはならない警戒心が
働いていたのでしょうか。
そうこうするうちに、
熱は醒め、
女生徒は
恐ろしいほどの無口ぶりと相まって、
次元の違う特別な一隅を、
クラスの中に築いてしまいました。

何が少女をこれほどまで
頑なにさせるのでしょうか。
担任の老教師は
懸念をぬぐえません。
週に一度も放課後の生活指導も
はかばかしくありません。
返事はなおざりで、
孤立するその理由を
けっして明かしてくれませんでした。

老教師は
クラス生徒数40名、
40分の一の気掛かりが
徐々にふくらんでくることを、
禁じえません。

夏が終わり樹々が色づく頃、
女生徒が、学校に来なくなりました。
電話は、通じません。
老教師は仕方なく、彼女の家を訪問します。

出かける前、
教生時代からの付き合いだった
女性校長が彼を呼び止めました。
忠告です。

『女生徒とはいかなる場合も
垣根を越えた
親密さを抱いてはならない』

何故か?とは
問い返しませんでした。
抜き差しならぬ仲に陥り
職を追われた同僚教師を
たくさん見てきたからです。

女生徒は
町を一望できる小高い岡の上の
一戸建て平屋のアパートに独り住まいしていました。
ノックをすると
かぼそい返事の声が
頻繁な咳、
鍵のかかっていない扉をひらくと
ネグリジェ姿の女生徒が
ふらふら揺れながら佇んでいます。
熱に窶(やつ)れたその容貌、
風邪をこじらせていたことを
素人にも悟らせるでしょう。

老教師は、
ベッドに戻り
静養するように命じて、
冷蔵庫を物色、
スープを作りはじめました。

独り住まいらしい部屋の中には
家具らしいものが必要最低限に揃うだけでしたが、
キッチンを覗くと
一応の家電は備わっていたのです。

女生徒はベッドで眠りもせず、
老教師のお節介な背中をまぶしげに見つめていました。
相変わらず、氷のように無口でしたが、
温かいスープは、頑なな少女の心を、
少しだけ、溶かしてゆきました。

複雑な家庭に育ち、
聞くに堪えない暮らし、
少女は独りこの街に夜逃げするように
引っ越してきていました。

『少女の体力が戻るまで』

と自らを戒めながら、
老教師は少女の元を足繁く訪れ、
少女の重い口から零(こぼ)れでる
身の上話を聞きます。

語らいの少ない食事ではありましたが、
二人を隔てていた何かも、
いっしょに、
溶貸してゆくようでした。

少女とは、
特別な季節なのです。

そのことを、
老教師は、克明に知らされます。

少女は、
この世に出現したたったひとりの理解者に、
いつしか恋心を抱くようになりました。
人の思慕の量は
どのように決まり
どのように顕れるのでしょうか。

年の差なんて、気にもなりません。
奥さんがいたって、
彼の同居人程度にしか看えません。
狭視野、
見たいものだけを視る、
このトランス状態は、
心理学的にも証明されています。
この症状の顕著な特性は
麻薬のような常習性をもたらせることでしょう。

夢を語るこの世代は、
なにもしらないまま
突き進んでしまいます。

少女の恋はエスカレートしてゆきました。
一途な思慕は、
時には
そうでない者にとっては重荷になりかねないことを、
彼女は理解できません。

思いを雑揉し、
重ねて、積み上げ、
崩れてはまた積み上げ、
塗り上げてゆく。
経験はその虚しさと賢さを教えてくれますが、
未経験は望むまま欲するままに、
戒めはかすみ、
制御すら設けられはしません。

雁字搦めになった老教師は、
観念せざるをえないでしょう。
老教師にも、
残滓があったのです。
経験の果てにも
相応の未体験があることを
まざまざと知らされました。
忘れかけていたもの、
胸を抉(えぐ)るような
慟哭、
時の流れさえ止まるかのような
悦楽、
噴きあがるものは一つや二つではなく
それらは渦のように干渉しあいながら、
やがて一つの塊となり
沸点に達しようとしていたのです。

二人は一線を越えました。

ですが、
教師と生徒。
昔も今も
この禁断の関係は
祝福されません。

二人の逢瀬は、
秘密という甘い蜜にまみれ、
色づいた虚空の世界を漂います。

術なくも、
燃え上がる炎を維持させるだけの
情熱のない老教師は、
限界を悟ります。
この少女の莫大な感情を受けるのは、
自分ではない、と。

別れを切り出された少女は、
あっけないくらい
あっさりと従います。

ですが、いくばくかの後、
狂ったように暴走しはじめました。

不良生徒を日替わりに誘って連れ歩き、
老教師の前で、これ見よがしにベーゼを交します。

老教師は
むくむくもたげる感情を押し殺し、
静観するだけでした。

女生徒の復讐は
日に日にエスカレートしてゆき、
妻の営む書店のウインドウガラスを叩き割り、
無言電話をかけ続けるまでに至ります。

妻は、異常に怯え、夫を詰問します。
夫は、正直に白状してしまいました。

数十年の夫婦関係が、
この事件を境に、
ひび割れてしまうのです。

別居しよう、
妻の申し出に反駁できる資格は、
老教師にはありません。
全て、彼の責任でした。

しかし、少女の暴走は罷みません。

逃げるものに希望は生まれません。
踏みとどまり、
立ち向かうものにしか
希望の先にある
解決はもたらされないのです。

老教師は、神を棄てました。

倫理というしがらみの全てを
抛ったとも云えるでしょう。

男友達と誰もいない教室で抱きあう場面に乗り込み、
少年を殴りつけ、
半裸の少女を抱きしめます。

崩落の音を、
つぶさに聞いたでしょうか。

不倫理という背徳に、
正面切る覚悟が出来る前触れでした。
なにかが生まれるためには、
なにかを犠牲にしなくてはなりません。
犠牲にしたものがどれだけ大きかったのか、
生れ出ずる魔性には、関係のない事です。

教室での不純交遊は、
放り出された男子生徒の告げ口により、
学校側にしれてしまいました。

親友だった女子校長の弁護にもかかわらず、
職場を追われた老教師に、
妻との正式な離婚という追い討ちがかかります。

なにもかも失った老教師は、
一緒に退学処分となった少女の行く末を案じますが、
消息は杳(よう)として知れません。

寂れた漁村に転勤した老教師は、
黙々と暮していました。
彼が、
日々思い浮かべていたものが、
別れた妻だったのか
行方知れずの少女だったのか、
それは、誰にも解りません。
担ってしまった巨大な荷を、
少しづつ下ろすような月日が、
何ごともなく、過ぎ去ってゆきました。

そうしたある日、
二人の刑事が尋ねてきたのです。

少女は餓死していました。
管理人の話によると、
買い物する姿を見た事がないので、
時々、食物を届けていたが、
悲しいくらいに小食だったそうです。

老教師は、
いたたまれず、
ベッドの傍の大きな窓の前に立ちました。
景色が拡がるその中に、
老教師の陋屋が映りました。

なんということでしょう。

少女は、毎日、この窓から、
老教師を見守っていたのです。
放校されて半年、
どうやって、
自分の住まいを探し出したのだろうか。
どうして、隣に住みながら、
一言も声をかけてくれなかったのか。

老教師の胸が
茜色に泥(なず)んでいきます。

日記には、
こう記されてありました。

”わたしは贖罪しなければならない。
毎日、彼を黙って見守ることを、
命の尽きるその時まで、
つづけなければならないのだ。

あなたは、そこにいる。
愛しいあなた、
わたしは我慢する。
それがわたしへの罰なのだから。
でも、
でも、声をかけたい、

大好きなあなた、

わたしは、
ここにいるよ”

奄美の歌姫による「ワダツミの木」を
初めて聴いたとき、
深夜映画で偶然視聴した
フランス映画を想いだしました。

秀逸なこのラストシーンを、
筆者はいつまでも忘れる事ができません。

ここに、いるよ。
あなたが、迷わぬように。

ここに、いるよ。
あなたが、探さぬように。
2016 09/04 21:46:03 | none
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二度目の
恋をするものは

かたおもいでも 
やるせない

ぼくは
そういう
おろかもの

また 
むくわれぬ
恋をする

月も星も
濡れている

ぼくも 
ないて 
しずむだろう

恋のただなか
ひとみを寄せて

ものいわぬ 
ためいき
いつまでも 

だけど
わかれに 
ぼくたちは

ためいきつかず
泣もせず

そのあと
こころが
なきぬれた

ふりかえる
ことなく
ただはなれ
足音さえも
ぬれていた

夜風がさみしく
ふたりをわかち
月の光が
閃いた

さよならなんて
いうまいよ
ありがとうなんて
いうまいよ

きみがきみで
あるうちは
きみがきみのままで
ありつづけるうちは

胸おどるほど
たのしかった

さよならなんて
いうまいよ
ありがとうなんて
いうまいよ

どこでうまれて
どこでしぬのか
何をしてきて
何をしたいか

ついぞ
気になりはしなかった

そこにきみがいて
ここにぼくがいる

それだけが
真実だった

むさぼりあうよに
くちづけし
こわしあうよに
だきしめあう

しずかな恋は
砂のなか
しだいしだいに
もえさかり

いつしか
よとせがすぎていた

とうとう
さいごの
さいごまで

異邦のままに
からみつき

月下の路傍で
くちはてた

ひとかげまばら
風はやみ
夜空をさまよう
群青の影
碧白三日月
みおろして
やがて
かくれてしまったよ

二度目の恋を
するものは
かたおもいでも
やるせない

ぼくはそういう
おろかもの
2014 01/21 21:39:30 | none
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雪に変わるのだろうか。

凍りついた師走の梅田
地下通路を
渇いた風が通ってゆく。

午後18時、
阪神電鉄梅田駅
地下一階西改札口、
地下街の雑踏の中
コムデギャルソンの黒いロングコートの襟を立て、
ラム革の黒い手袋の感触を
開いたり
握ったり確かめながら待っていた。

左手首、
ポールスミスの紅い文字盤を
気にしながら
15分後、
階段の上
赤と緑に色分けされた
大きな手提げ袋が上下に揺れると、
真っ白な吐息を白桃色の顔にまといながら、
君が駆け降りてきた。

切符はもうトキオクマガイの
太いグレーと白のストライプジャケットの
左内ポケットの中、
葡萄酒色の煙草に添えてある。

漆黒色のパンツの左のポケットには
三和銀行のATMから下ろしたばかり12万円、
右のポケットには百円玉と十円玉がいくつかが、
スターリングシルバーのジッポーとからんでいる。

きつく締め過ぎたのだろう
コムデギャルソンオムパルスの
チャコールグレーとライトグレーの
vertically-stripedネクタイ
すこしだけ息苦しい。

テナーサックスとピアノの
バラードがどこからか
風に運ばれてきた。
聖夜なんだ、
奇跡のひとつも起きてくれるだろうか。

改札をぬけて三宮行きの特急にとび乗る。
会話のない沈黙でさえ
独白の息遣いに後押しされる
スローモーション
まばたき
ためいき
鼓動が奮い
意識が媚薬にひたると
時間が戻ってきた。
阪神電鉄三宮駅到着。
改札をぬけると、
街は
夜空までも
燃え尽きるタングステンのように
絢爛たる華燭が彩られていた。
夜は予感に似ているって
ふと想う。
いつもいつも暗いからだ。

 それぞれに春が来るように
 それぞれに秋がやってくる。
 だから夏と冬は、
 いつもとどまっていたのだ、
 この胸のときめきとともに。
 ほんの少しの奇跡をかくしながら。

ホテルの予約は半年前、
これでも間に合わないんだよって、
君は電話ボックスにこもっていた。
神戸そごうでケーキを買おう。
食べきれないくらいの大きなホールを。

オールマンブラザーズの
岌(きゅう)たるリードギターが
ホテルの分厚い壁を弾いていた。
ふたりは抱きあいながら、
橙色の華燭に魅入られていた。

突然ドアをノックする音。

彼女が出るとサンタさんだった。
赤ら顔で背には大きな白い袋。
メリークリスマス!
このホテルのサービスなのだろうか、
彼女は気絶しそうなくらい驚いて
倒れそうになる。

サンタは
おおお
ご免なさい、
驚かせてしまったようだね、
ほれ
これをあげるから許してくれないか?

背から下ろした袋から
何かを取り出した。
それはなんということだろうか、
あの
抱っこちゃんだった。
昔母がサンタからプレゼントされたって言っていた
抱っこちゃん。
彼女はますます驚いて

なにこれ?

そんな表情で振り返りながら問うまなざし。
話してなかったんだ、
あの夜の奇跡はだれにも。
サンタはにやりと笑うと
おもむろに顎に手をやり
仮面をはずした。
中からフロントで会った支配人が。
申し訳ありません
メリークリスマス、
どうか今宵素晴らしい夜をお過ごしください。
そういうと、
またサンタの仮面をつけて
大きな袋を背負った。
深く礼をしたあと、
ドアは閉じられた。

私は驚いていたんだ。
こんなことがあるなんて、
なんで今どき抱っこちゃんなんか
どこを探したってあるわけないのに、
考える間もない、
体がはじけた、
え?
という顔をした彼女を残してドアを開け
廊下に出ると、
数メートル先にサンタの仮面が落ちていた。
その向こうに白い大きな袋。
どこへ行ったのか、
支配人はいなかった。

不承不承、
部屋に戻り、
フロントに電話して
支配人を呼んだ。
支配人は傍らにいたようで、
すぐに電話口に出た。
ありがとうございました、
驚いたけど最高のクリスマスプレゼントでした、
そう云うと、
支配人はなんのことでしょう?
説明すると、
申し訳ありませんが
当ホテルではそのようなサービスは行っておりませんが、と。
その時、
彼女が叫んだ、
見てほらトナカイが空を飛んでる!!
まさか、と窓をのぞくと、
赤いソリに乗りトナカイたちを御するサンタが
愉快に手を振っていた。
心に響く声、
また会おうと。

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嘘だろ、

支配人のもしもしという声が感動に掻き消されていた。
そして彼女がしっかり抱きしめていた
抱っこちゃんを見やる。

かあさん、
ほらまたサンタさんがプレゼントしてくれたよ。

彼女が泣いていた。
どうしたんだ?
だって信じられないもの見たんだもの、
これって奇跡だよね、
でもね何故抱っこちゃんなの?

遠い昔のあのイブの話をしてあげると、

じゃもうひとつサンタさんはプレゼントしてくれたよ、
ニヤリとウインクひとつ、
なんだい?
細い指でおなかをさすり、
ここに
赤ちゃんがいるのよ。
あたしたち祝福されたのねサンタさんに。

またサンタの声が
心に響いてきた。
快活な哄笑とともに
また会おう。


イブの夜の不思議な不思議なお噺、
いかがでしたか、皆様

 万感の想いをこめて
 ”メリークリスマス”




2013 12/28 11:35:38 | none
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風にそよぐ葦かび、
萎れる稲穂にはなにもなく
風は冷たくもあたたかくも
かぐわしくもさわがしくもなく
ただそこにたちこめた。

眠くなるほど
ながい
ながい時間が過ぎた。

きみが右足を踏みだせば、
ぼくは左足をあとずさろう。
背中には千尋の谷。
雄叫びをあげる
ぐふうが天へ昇っている。
きみはふたたび左足を踏みだすだろう。
そしてぼくも右足をあとずさるだろう。

きみとぼくは
無限に離(か)れ果てた。

そこまではすぐだった。
だけど
そこから先は
モンシロチョウを9.7次元で
捕まえるような
まるで虚空を塗りつくしてゆくような
色彩がひろがった。

きみのなまえ、
きみのすがた、
きみとの想い出、
きみとの楽しい会話、
きみとの触れ合い、
きみとの旅行、
きみとむかえた苦難、
きみとすごしたたくさんの夜が、
一瞬にして、
意味をなさなくなり、
灰塵に帰した。

そこに時間は存在しない。
きみの右足が無意識に踏み出され、
ぼくの左足は、
谷のへりまであとずさる。

きみがもういちど左足を踏みだせば、
ぼくは堕ちるしかないだろう。

そのとき君は笑うかい?
ぼくのうろたえに腹を抱えるかい?

とうとう
きみは左足を踏みだした。
ぼくは、
へりでふるえる左足を支点に
右足をあとずさり、
宙を踏む。
吸いこまれるように傾いた身体を、
両手がバランスでもとるかのように前に投げ出される。
君は尚も右足を踏みだした。
僕は支点までも喪くし、
谷底へ堕ちてゆく。
伸ばした腕をつかもうとした君の顔は、

どうしてだい、
蒼ざめているじゃないか。
きみは手じゃなく肘をつかんだ。
安物のセェタァはぼくの体重を支えられず、
伸びて、ほつれはじめる。
一本、また一本と、毛糸がほつれてゆく。
未練の毛糸は、
情感色の鱗粉をばらまきながら、
ちぎれた。

さようなら、
きみを愛していたよ、
あと何秒かの命だとしても
ぼくはきみを愛し続けるよ。

ぼくの声は竜神の叫びにうちけされ
真っ逆さまに堕ちてゆく。

そのときだ、
きみは突然、へりを踏み切りにして、
ぼくに向かってとびたった。

なんてことをするんだきみは
そのこわねも
見下ろすきみの微笑みに散らされた。

ふたりの距離は、
やっと一定の水準を越えた。
そこから先は、
未知数の次元。

ぼくにもきみにも
だれにもわからない。

いいのかわるいのか
かなしいのかたのしいのか
なにひとつわからない。

でも
いいんだよね
それがふたりの末路なんだから。
きみの手がぼくの胸をわしづかむ。
もう逃がさないわと
ありったけの力をこめて。

 
たそがれどきに
星はない。
だけどなぜだか
胸は希望にあふれていた。

死はふたりを
別てなかった。
竜神のさけびのただなかへ
ふたりのいのちは
まつろい
はぜて
しずくとなり
ながれた。

ふたりの切ない距離も、
そのとき消えた。
2010 03/30 21:24:00 | none
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 いくつぐらいだったのだろうか。
 雨は既にふりはじめていたのに、
 きっと、不器用に梯子を伝って、屋根の上にのぼり、
 シャボン玉をとばしていた。
 吹き出されたシャボン玉が、いきよいよくとび、雨と風に
 桾(ふし)染されてゆく。

  オキナワの民家は大抵が平屋だった。
  下では、私の名前を呼んで探している。
  いつものことだと、なぜ諦めないのか。
  抛っておいてくれればよかったのだ。

    こうちゃ〜〜ん!!こうちゃ〜〜〜〜ん!!!

  返事なんかしてやるものか。
  恐いものなんてなかった。
  暴風も、豪雨も、ともだち。
  雷様は、親友だった。
  からだがいくら濡れたって、気にならなかった。
  濡れた瓦はよく滑る。それがどうした。
  滑って落ちたら、それまでのことだ。
  落ちる不安にさらされながら、危ないことする奴はいない。
  落ちる不安なんて全然ないから、あぶないことができるんだ。

  ガジュマルの樹が咆哮してる。
  この樹には、死人の魂が集うという。
  闇夜の午前零時、魂が妖しく蔓や木肌を赤錆色、
  ほのかにまぶくという。
  見たことはない。
  でも、抱きつくと、冷たい。

  「おまえは、ひとりじゃないんだね?おともだち、たくさんいるんでしょ?ぼくは、いつもひとりさ。こうしておまえに抱きついていたって、ひとりなのさ。つまらないよね。だから、おまえのともだちに逢わせてよ。おねがいだから、逢わせてよ。なかには、ちいさな子供だっているんでしょ?」

  約束通り、おまえの好きなシャボン玉とばしているよ。
  さぁ、おまえも、約束守ってよ。
  おまえのおともだち、逢わせてよ。

  私は、独り言をよくする子供だった。
  咎められることもあったが、
  どうしていけないことなのか、理解できなかった。
  言葉は、相手がいて使うものだって理屈が、
  どうしても飲み込めなかった。
  言葉は、自分のものじゃないの?
  自分のものを、自分がどう使ったって、構わないんじゃないの?
  僕は、僕だけのための言葉しかもっていない。

  瓦がかたかた鳴り出した。
  私を空へ舞いあげようと突風が大地から立ち上がって来る。
  横殴りの雨に、眼を開けていられないけれども、
  私は、ガジュマルをずっと見ていた。
  蔓が風に巻き上げられ、
  封じ込められるように雨に包まれて、
  ちぎれて、はじかれる。

  痛いかい?痛いよね?おひげはおまえの心のヒダだよね?心が千切れてゆくって、どんな感じ?それは、とっても寂しいの?それはとっても、やるせないの?教えてよ。僕のこの胸の痛みと、おんなじかい?

  雨雲の真ん中に雷雲が拡がった。
  ぴりぴり、怒ってるみたいに、じぐざぐの光が点滅してる。

  雷さん、落ちてくる?落ちてくるなら、僕に向かっておいで!おまえの光で、僕を焼け尽くしてよ!!

  光の枝がどこかに落ちた。
  つづいて、音がとどろく。
  変な感じだ。
  音って、どんくさい。

  もうひとつ、落ちた。
  綺麗な光の枝条、
  見知らぬ電磁の世界の王様さ。
  あらゆる音が、かしずく。

  だんだん近づいてくる。

  いよいよ、僕だね?僕に落ちてくれるんだね?もう、天使は要らないよ。扶けてくれなくったっていいよ。がんがんしびれて燃えるって、どんなんだろう。胸は高鳴り、血と肉は踊り、心はいちじるしく放電する。

  だけど、落ちたのは、
  僕の大好きなガジュマル君だった。
  激しい閃光で眼が一瞬眩んで、べきべき、避ける音、
  そして音と同時に、真っ赤な焔が翔んだ。

  その時だよ、ガジュマル君は約束を守った。
  べきべき音をたてながら、折れたその裂け口から、
  数千もの丸い光るビー玉が空に舞い上がってゆく。

  おともだちだよね?君たち、どこへゆくの?空へ帰るのかい?ねぇ、こんにちは、僕は、こうちゃんっていうんだ。知ってる?僕も、おねがいだから、連れていってよ!!

  つれないね。一緒にはいけないんだね。じゃ、君たちに花を贈るよ。石鹸の泡だけど、シャボン玉っていうんだ、綺麗なんだよ、虹色にかっこいい円を描いて、ふわふわさまようんだ。ほら、こうだよ。ほら、たくさん飛んでるだろう?嬉しいのかい?あ、嬉しいんだね?だって、あんなにくるくる回ってる。

  さよなら、死人たち、さよなら、大好きだったガジュマル君。さよなら、さよなら、さよなら!!

  

    しばらくのち、
    救い出された私は、叱られることもなく、
    翌日、違う家に向かって旅立つ。

  今度は、どんな人がパパとママになるんだろう。
2010 03/21 11:58:03 | none
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  1972年6月某日、僕は、国鉄片町線放出(はなてん)駅に降り立った。

  夜明けから降り出した雨は、罷む気配を見せず、午前8時50分、更に雨足が激しくなっている。

  傘を持たない僕は、空を見上げながら、駅を出て、坂を下り、神社の鬱蒼と茂った樹木で雨宿りしながら、走らず、ひたすら歩く。

  走ったって、ゆっくり歩いて行ったって、雨の量が一定ならば、濡れる量も、同じなのだ。

  同じ量の雨に濡れてしまうのならば、走って体力を消耗する必要はない。時間はある。
  学校はとっくに始っているし、遅刻しそうになって小走りに校門へ急ぐ生徒達ももういなかった。

  叩きつけられる雨音、跳ね返る滴、マンハッタンのボタンダウンシャツも、裾17センチに絞った学生ズボンも、アーノルドパーマーのワンポイントが入った靴下も、vanの赤いデッキシューズも、ぺちゃんこの革鞄も、下着も、ぐっしょり、濡れていた。

  濡れ初めは嫌なものだけど、これだけずぶ濡れになってしまえば、寧ろ、小気味よくなってくるものだ。

  屋根も、庇も、軒も、柱も、車も、皆、濡れている。空も、地も、みんな濡れている。

  不思議な一体感が、僕を貫いている。踏み出す足が雨を弾き、弾かれた滴が途を突き、顔や腕からしたたる滴が、重なってゆく。不規則、不安定、恍惚とした、普通の、自然の営みが、こんなにも実感できる。

  不意に、足音が、聞こた。

  ぴちゃちゃぷぴちゃちゃぷ、水の膜を踏み破る音だった。
  ハイヒールなのだろう、縮むように響く音が、4拍子、♭気味に、確実に近づいてくる。

  狭い坂道だったが、通行人は僕しかいなかった筈だった。

  四つ角を西へ折れると、目的地までは、もう一直線だ。

  しかし、雨をつんざく足音は、更に、追いかけてきた。

  「ねぇ、ちょっと、待ってよ」

  足音の主が声をかけてきた。振り返る。そこには、赤い傘を差した女性がいた。
  白いワンピースで、ちょっとミニだった。靴はダークアイボリーで、5センチくらいのミドルヒールのパンプスだった。

  立ち止まった僕に彼女は追いつき、傘を私に差しかけると、

  「歩くの速いんだから、必死だったのよ、駅からずっと追いかけてきたのに」

  「駅からですか?」

  「知らなかった?あなた、傘もないくせに、降ってないみたいに平気で歩き出しちゃうんだもの、驚いたわよ。こんなに濡れちゃって、もう」

  と、ショルダーバック(これもダークアイボリーだったかな)から、萌黄色のハンカチを出して、僕の顔を拭いた。

  「寒くない?」

  不思議そうな顔をしていたのでしょう、僕の表情に気づいて彼女は、

  「気にしないでね、放っておけなかっただけだから」

  そういいながらも、ハンカチをもつ手は、小刻みに、私の顔と髪を拭っていた。

  「足りないわね、これじゃ、ね、学校へ行くんでしょう?バスタオルあるの?」

  「え?ないと思いますが」

  「じゃ、どこかで買わなきゃだめね、あ、あそこ」

  視線の先には、いつも煙草を買っていた店があった。雑貨屋だが、ほとんど今のコンビニと変わりない品揃えだった。

  彼女はハンカチを持ったまま、私の袖をつかみ、一緒に歩き出した。腕、組んで。

  僕は、まぁ、ドギマギしていたさ。
  こういう年上の女性、まして、OLさんとこうして二人っきりで話すなんてなかったし、これだけ見ず知らずの高校生に、こんなに親切な女性も、初めて逢ったからだと思うけど、とにかく、やけに、気恥ずかしかったんだ。
  こんなとこ、皆に見られたら、OLにまで手を出したのか、なんて、きっと誤解されるに決まってる。
  誤解されるのに吝(やぶさ)かではないけれども、それは、彼女に失礼だろう。

  しかし、僕は、腕を振りほどこうとはせずに、店の中に入り、買ったタオルで賢明に僕の髪や背中や脚を拭く彼女のされるままになっていた。

  お店のオバサンは、驚いてたっけ。あんた、この女何ものよ、ってな視線、ビシバシ送ってきてさ、にやついたりしちゃって、あとで根掘り葉掘り訊きだされるに決まってるんだ
  面倒臭いなぁ。

  「はい、これで、ちょっとは、マシになったわね、学校行くんでしょう?」

  「いいえ、ちょっと、忘れ物をしたものだから、それを取りに来ただけなんです」

  「忘れ物?じゃ、あなた、学校は?」

  「さぼってます」

  「不良ねぇ」って言い方が、またすごく素敵だった。非難するキライは全然なくって、どうしようもないわねぇ、ってゆるやかに抱擁するような言い方だったんだ。

  「じゃ、どこに行くの?」

  「この先の喫茶店です」

  「何て名前?」

  「NJ」

  「知らないわね、まぁ、いいわ、そこまで送ってってあげる」

  相合い傘だった。背は僕と同じくらいだけど、髪が長くって、お化粧の匂いが、雨の匂いに混じって、くすぐったかった。相変わらず、腕組んで、激しい雨の中を歩いた。

  彼女の歩調に合わせたから、ときどき、スキップしながら、触れる腰、胸、ドキドキしながら、歩いていたさ。数分の道が、何時間くらいに思えただろうか。

  雨が、おもむろに、揺れながら水色にハシャイデゆくのさ。踊るように、こまっしゃくれてさ。

  なんかさ、このまま抱きしめたって、抱きしめ返してくれそうなくらい、彼女は、すごく大人だった。彼女の濡れてる右肩、気にして、傘を、彼女の方に押し返すと、また柄を僕の方に傾ける彼女。

  一緒に、すこしづつ、すこしづつ、水色に濡れていったんだ。

  NJに到着して、彼女は、なにか言いたげだったけど、

  「ありがとうございました」

  深々と礼する僕に、微笑返すだけで、そのまま、来た道を戻っていった。

  僕をわざわざ送るために、遠回りしたんだろう。名前、訊けば良かった、と何度思いかえした事だろうか。その瞬間だって、そう思ってた。

  彼女の後ろ姿を、僕は、NJのフィックスドアを開けっ放しにしたまま、いつまでも、眺めていたっけ。


  忘れ物?

  ええ、見つかりました。
  物じゃないですから。
  それはね、確か、こう呼ばれていますよ、

    ”気持ち” ってね。
2010 03/13 09:54:17 | none
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 驚いたなら、
 ごめんね。
 そんなつもりじゃなかったんだ。
 海があるだろう?
 聞いてるかい?
 水平線のむこう青空が
 くっついたようになって、
 むこうになにがあるか、
 むかしの人は知らなかったんだ。


ゆび、
うごく?
あたま、
いたい?
これ、
みえる?
こえ、
きこえる?
ねぇ、
すき?
ねえ、
あいしてる?
まど、
あけるよ。
ほら、
風がふいてるよ、
青葉があんなに茂って、
空だって、
あんなにも青くって、
水平線のむこうに、
なにがあるの?
おしえてくれなかったよ、
おしえてくれないまま、
むこうにいっちゃったら、
やだもん、
め、
さめなかったら、
やだもん、
いっちゃったら、
絶対やだもん、
おにいさん。

 驚いたならごめんね、
 そんなつもりじゃなかったんだ、
 海があるだろう、
 聞いてるかい、
 水平線の向こうになにがあるか、
 むかしのひとは、
 知らなかったんだ。

空と海がくっついたようになって、
山吹色にかがやいているんだって、
だからそこにさへいけば、
ぼくらは
仕合わせになれるんだ。

   すきとおるように
   きらめく
   眞白い手が
   優美に
   ゆっくりと
   てまねきするのが、
   見えたんだ。
   
   そう、
   あれは、
   天使の手、
   だったよ。


2010 03/06 23:27:11 | none
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あなたの夢は二度しか見ぬのに
あなたの亭主の夢は六ぺんも見た
あなたとは夢でもゆっくり話ができぬのに
あの男とは散歩して冗談まで交わしていた
夢の世界は意地が悪い
だから
私には来世も疑われてならないのだ
あなたの夢は一目で醒めて
二度ともながいこと眠れなかった
あなたの亭主の夢は長く見つづけて
次の日には頭痛がする
白状するが私は
一度あなたの亭主を殺した後の夢が見たい
私がどれだけ後悔しているだろうかどうかを
2010 03/03 20:21:32 | none
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 風のざわめきが気になる街だった。
 1991年2月14日、
 京阪電鉄森小路駅、
 PM20時。
 
 地上10メートル、
 夜明け前の駅のホームに、
 冷たい北風に吹かれる少女がいた。
 水中にさす月光をあびた貝に
 孕まれた結晶が真珠であるならば、
 少女の肌は、
 真珠のように青磁色の深遠さを
 たたえていた。
 少女はいつも
 風にまかれながら絶え入るように
 ふるえていた。
 定まった時間にそこにいるということは、
 定まった時間以外にはそこにいないということでしかない。
 たがいの時間が重なる機会は少なかった。
 わずかではあっても偶然が積まれてゆくと、
 意識にさざ波がおきてくる。
 はかないまでにちいさな意識ではあるけれども、
 からだの奥を少しずつ侵食して
 確固たる拠を造りあげてしまう。
 きっとそれは、
 あこがれとは呼べないまでも、
 それに似たものであるに違いない。
 ぼくはずっと見つめていた。
 仕草と髪とその肌のあまりの白さを。
 こころはずっと少女に語りかけていた。
 ぼくを
 どうか意識しないでください、と。

 期待を抱かなくなるのは、
 つらいことがたくさんあったからじゃない。
 まして、
 夢をみなくなるのは、
 後悔が横溢したからじゃない。
 ただ、
 飢餓感だけが
 あったからに過ぎない。 

 階段をおりて、
 改札口をぬけると
 風に包まれる。
 新月だった。
 夜空に月はない。
 茄子紺色のとばりが、
 暗い空からおりてくる。
 風もからだを捲くように、
 足許から吹きあがってくる。
 寒い夜だった。
 夜食をなににしようか、
 迷いながら高架をくぐっていると、
 煙草屋の前、
 水銀灯の下に少女がいた。
 あの少女だった。
 こちらを向いた。
 白い吐息にささやかな驚きが乗った。
 眼と眼があう。
 こんな顔をしていたんだ、
 ぼくは得をしたような気分になった。
 瞬きもせず、
 少女はぼくを見ていた。
 距離は近づいている。
 激しく鼓動が高鳴っている。
 胸の奥にくすぶっていた例の拠が
 パチン、
 と弾けた。
 
 黒い鞄の中から、
 なにかを取り出して、
 ぼくの前に少女は立った。
 これ、受け取ってください、
 切り分けたためいきのような吐息が
 少女の声を運んだ。
 はぁ?
 素っ頓狂な声しか出ないぼくは、
 贈られたものを見下ろした。
 バレンタインチョコレートだった。
 
 1991年2月14日、
 大阪旭区森小路、
 PM20時10分、
 見えないはずの灰黒色の月が、
 夜空に浮かんでいる気がしたとき、
 胸をまさぐると、
 飢餓感は消えていた。

 そして、

 1992年3月28日、
 少女はこの世から消えた。
 まだ18歳だった。
 不治の病が、
 少女を冒していた。
 数週間後、
 不在通知が部屋のポストに入っていた。
 再配達してもらうと、
 少女の三年分の日記だった。
 少女がぼくを知ったのは、
 三年前だったんだ。
 あふれるものが眼を歪めた。
 しずくとなって頬を伝い、
 膝に落ちたとき、
 ぼくは少女の死を
 認めなくてはならなかった。
 好きなままでいれる恋が、
 いま、
 終わったんだと。


   きらきら星の騒めきがもし空から落ちてきたら
   手にすくえそうもないから眼をひらいてまなじりをただす
   夢の初めは慄えるばかり 
   なのに夢の終わりは眠くなるほど仕合わせだ



 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010 02/14 21:58:31 | none
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ここに一葉の写真がある。

老人が、
酒場のカウンターにひとり、
グラスを傾けている。
人差指と小指を弾けるほど伸ばしている。
人差指には銀の指輪。
男は、いや、人は雰囲気だと謂うものたちがいる。
たたずまいや言動、自然な仕草にまなじり。
語らずとも雰囲気はそのものを饒舌に語りかけてくれる。
老人は、孤独を背負う。
老いはそもそも孤独なものだからだ。
そこには身が引き締まるような哀愁が漂い、
生きてきた歳月が刻まれている。
虚無とは有無相対を超越した境地より発する。
虚しいまでになにもないからこそ、
発するものがある。
老人はその何かを絶え間なく発している。
それは「イキザマ」であろう。

小さい頃から私は早く老人になりたかった。
何故だと問われても応えようがない。
今やっと50代の半ばにさしかかろうとしている。
もう少しで、
夢だった60代になり70代を迎えられる。
そうなったとき、
私がどうなっているかも夢想してきた。
それがこの一葉の写真に表現されている気がする。
白髪を長く伸ばして束ね、
クロムハーツのパーカーを羽織り、
ごつい銀の指輪をはめ、
漆黒のサングラス、
銀のピアスを耳朶にぶらさげてもいいだろう。
なんて渋いのだろうか。
男は老いて尚渋くなければいけない。
渋いとは、洒落ていることである。
洒落るために装いは大事なアイテムなのだ。
老人だからこそそこに拘りたい。
飲む酒も拘りたい。
酒をたしなまない私が、
ロックやストレートで飲めるのは、
バーボンだけである。
70歳の私が、場末のバーのカウンターを前に、
バーボンをぐいぐい飲み干してゆく。
喧騒のなかに、
ふと、
諍う声が反転する。
面倒くさそうに振り返った私は、
男が情婦らしき若い娘を殴っている場面を見据える。
待ったれやこら!
啖呵は派手にきるものだ。
バーボンのボトルを手にした私を男が睨みつける。
見上げるほどの大男だ。
言動一致、いいや、躯が先んじる。
私は首を30度ほど傾けて、
揶揄するように罵倒する。
大男は激怒して襲いかかってくるだろう。
老人だからと手加減する器量があるのなら、
女を殴ったりは絶対にしない。
大男は怪力だけが自慢の無法者(器量が蚤よりも小さい者)だ。
突進する様はさながら猛牛である。
70の老人が敵うわけがない。
そう、敵うわけがない。
なにも考えずに立ち向かってゆけば、だ。
私は突進する大男のこめかみをボトルで横殴る。
どうなろうが知ったこっちゃない。
これは喧嘩だ。
喧嘩は殺し合いである。
殺すつもりがなければ、
喧嘩なんかしない。
知らぬふりをして日和見していればいい。
それを、皆、判っちゃいない。
殴りあったことで気心が知りあえ仲よくなる、
そんなのは夢物語である。
大人は遺恨を必ず心理のどこかに遺して忘れないものだ。
遺恨がどれだけ不当なものであろうと関係ない。
だから執念深い遺恨をも覚悟しなければいけない。
娘を扶けようと立ち上がったのだ。
後戻りは出来ない。
大男は一瞬ふらつき、己が血潮に一瞬は弛れる。
しかし二瞬後にはとめどなく噴火する激怒に全身が覆い尽くされ、
私の襟首を遮二無二掴むと、
私の2倍はありそうな拳骨で殴ってくる。
私の身体は宙に浮いている。
しかし私は狼狽することなく、
躊躇することもなく、
大男の両耳を掴み、
鼻梁に渾身の力を込めて頭突き(ばちき)する。
5回から6回も入れてやれば、
どんな気丈な大男でも失神するか戦意を失う。
失ってくれなければこっちが困る。
何故なら、そのあとぼこぼこにされるのは私だからだ。
大男の戦意は遺憾ながら喪失することなく、
形勢逆転、
私はこれでもかとぼこぼこに殴られ、
蹴られ、半死状態だ。
いつのまにか人だかりができていている。
皆想うだろう、
バカな爺だ、勝てるわけないのに何考えてるんだ、と。
バカな男とバカな女の痴情のもつれじゃないか、
抛っておけばよかったのだ、と。
私と大男がやりあっている間に娘はどこかに逃げたようだ。
そのことに気づいた大男が娘の後を追う。
身動きできない私は病院送りだろう。

ここからだ。

数ヶ月後、退院した私は大男を探す。
草の根わけてでも探し出す。
やられたらやりかえさなければいならないからだ。
これは鉄則だ。
生きたいのなら、死にたくなければ、
立ち向かうしかない場面が春秋には頻繁に訪れる。
どれだけ恐くても、どれだけ辛くても、
背を向けず、真正面に立ち、ただ一歩だけ踏み出す、
それを勇気という。
自失して遮二無二走り出すことを勇気とは云わない。
わずか一歩踏み出すことが、勇気なのだ。
一歩踏み出せれば二歩めは臆することに逡巡しない。
勇気の欠片もないものに、
天才は絶対に宿らない。
命を懸けず自らを天才と称することは、詐欺に等しい。
この世のなんと詐欺師の多いことか。
勇気の欠片も持たぬ偽本物たちのいかに多いことか。
反吐が出そうになる。
私は死んでもそんな連中にはなりたくない。
本物と呼ばれたければ、命をかけなさい。
その勇気がなければ、偽物に甘んじて世の失笑を買えばいい。

憎しみは憎しみしか生まない、
物知りげに宣う者がいる。
バカを言うな、
憎しみを忘れることほど
自分を騙し、見限ることはない。
後悔とは、自分を裏切ったことへの懺悔より生じる。
生じた後悔は爛れ腐乱して自分を殺す。
見苦しい言い訳なんか誰も聞いてはくれない。
憎しみを忘れ、自分を殺し、
見苦しく言い訳し続ける春秋は煉獄そのものである。
業火に焼かれたくなければ、
やるしかないのだ。
そう懸命に念じ信じることによってのみ、
憎しみは浄化されてゆく。
純粋に憎むことは自らを純化してゆくことになるのだ。
純化なくして、救いはない。
だからこそ復讐するのだ。

虚無より生じ、
虚無へと消えてゆく、
所詮それだけの春秋だ。
今死んでも、明日死んでも、
悔いがないのならそれでいいではないか。

そうして老人(私)は、
今宵も場末の安酒場で
レモンスライスを啜りながら
バーボンを飲んでいる。


2010 02/08 22:03:23 | none
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