あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
yukiyosisinnou.jpg水窪祭のある商店街には先日の看板の次にこの看板がありました。水窪の町を時の都、京都に見立てて、いろいろの地名がつけられたのだそうです。更に詳しい資料として、水窪の文化財マップと言うものがありまして、郷土研究家の加藤定義先生に頂いたのですが、版権が浜松市教育委員会にあり、使用に関しましては教育委員会の許可が必要とのことで、浜松市教育委員会水窪分室をお訪ねし、許可のお願いをしたのですが、そこでは決済ができないので、文書を提出して市教育委員会の担当部門の判断が必要とのことで、インターネットになれている人間にとってはとても厄介に感じられますので、興味のある方は、資料名「水窪の文化財マップ」と言うA3サイズの資料を確か100円と郵送料を別途で送っていただくと手に入れることができると思います。この資料は極めて良くまとめられていて100円+郵送料で得られるとしますと、水窪町を知る上で貴重な資料だと思いますのでご損は無いと思います。

なお、尹良親王のことを写真では由機良親王とありますが、地元の郷土研究家の加藤定義先生によりますと、昔は読みと漢字がすべて一致するばかりではなく当て字で読みを一致させることがあったそうで読みは「ゆきよし」と読みます。

詳しくは、浜松市教育委員会水窪分室にお問合せください。
電話:0539−82−0013
2006 09/22 06:34:14 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

この記事へのコメント

この記事にコメントする

名前:
メールアドレス:
URL:
セキュリティコード  
※セキュリティコードとは不正アクセスを防ぐためのものです。
画像を読み取り、入力して下さい。

コメント:
タグ挿入

サイズ
タグ一覧
Smile挿入 Smile一覧