私がタクシー運転手をしていた時の話です。 深夜の繁華街からお客様を郊外のお宅までお乗せした時のことです。 幹線道路をはずれ、近道の農道に入り走行していました。 雨上がりの夜道は濡れていて、滑りやすいので、気をつけて走っていました。 農道は、灌漑用水を流す河川沿いを走る暗い夜道で、対向車が来れば、すれ違うにも苦労する田舎道です。 ただ、お客様のご要望でしたので、いたしかたなくコース選定せざるを得なかったのです。 三叉路に突き当たりました。右に曲がれば道路際の河川にかかる橋を渡り、N町方向へ、左折すればO町方向へと進みます。 お客様のお宅は、O町方向ですので、一時停止の標識に従って左折の合図をしまして、ふと、橋の下方向に目をやったんです。 すると、川に向かって雑草をなぎ倒すような2本のタイヤ痕が見えました。 もしやと思い川の中へ目を向けましたが、暗くて何も見えない。 でも、ここはとても浅い川です。 もしも事故があっても、大事故にはならない。 昼間の出来事の跡だろうとたかをくくりました。 そして私は、乗車されているお客様のこともあり、O町方向へと車を進めたのでした。 週末の深夜だということもあり、その夜はとても忙しく、この出来事はすっかり忘れました。 翌朝、夜勤明けの私は疲れ果て、帰宅後、すぐに眠りに落ちたのです。 昼頃だったでしょうか。私は夢にうなされて目覚めました。 夢の光景は、昨夜の橋のたもと、タイヤ痕が雑草をなぎ倒していたあの場所のものでした。 雑草の生した河原に、若い男性がずぶぬれで立ちすくんでいます。そこを私が何度も何度も車で通過するという夢でした。 目が覚めた私は、胸騒ぎに襲われ、警察に電話したのです。 昨夜見た光景について調べてほしいと・・・。 夕刻、管轄する警察から電話があり、聴取したいことがあるから来てほしいと言われました。 胸騒ぎは現実となりました。 橋の下で、ひっくり返った自動車が水没していて、運転者の若者が亡くなっていました。 私が浅いからとたかをくくったその川は、前日からの雨で増水していたのです。 そして、警察官から、私が通報するまで、だれも気付かなかったのだということを聞いた私は、嗚咽するほかありませんでした。 あの時、あの夜にもう少し注意深く私が見てあげたら、彼は助かったかもしれない・・・。 その後の調査で、私が現場を通ったのは午前1時ころで、彼の車が水没したのは車内の時計の針から、午後9時半ころだと判明しました。 警察官の方は、時差が4時間もあるので、その時に発見していても無理だったろうと言って慰めてくれましたが、後悔の念は尽きません。 夢に出てきた若者の寂しげな顔が今でも忘れられないのです。
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