思索に耽る苦行の軌跡

2007年 07月 09日 の記事 (1件)


その赤松は古城の堡塁址の北側といふその堡塁址で一番棲息環境が悪い一角に半径五メートルの砂地に芝が植ゑられてゐる円の中心に堂々と立ってゐた。多分その赤松には何かの謂れがあるに違ひないが詳細は不明である。しかし、その赤松はこの地区の人々に何百年にも亙って大切に守られてきたことはその赤松の姿形の何れからも一目瞭然であった。

私は何時もその堡塁址を訪れる時は南方より楢や山毛欅(ぶな)や檜などが生えてゐる様を武満徹の音楽に重ねながらゆっくりと歩くのが好きであった。それらはまたあの赤松の防風林になってゐるのも一目瞭然で、しかし、それにしてもその古城の堡塁址の林は人の手がよく行き届いた林であった。

ところが、赤松が立ってゐる場所近くになると武満徹の音楽はぷつんと終はって突然笙の音色が聴こえて来るかのやうに辺りの雰囲気は一変するのである。赤松が生えてゐる場所は雅楽が似合ふある種異様な場所であった。

林が突然途切れるとあの赤松がその威容を誇るかのやうに堂々と立ってゐるのが見える。

赤松の幹の赤褐色が先づ面妖な「気」を放つのである。赤松の幹の色は嘗て此処に威風堂々と構へてゐた城が焼け落ちるその炎の色を髣髴とさせるのだ。

  芭蕉を捩って本歌取りをしてみると

  赤松や 兵どもが 夢の跡

といふ句がぴったりと来るのである。

私はその赤松に対するときある種の儀式として、先づ此の世が四次元以上の時空間で成り立ってゐることと上昇気流の回転を意識しながらその赤松の周りを反時計回りにゆっくりと一周してから赤松に一礼して赤松に進み出でるのである。そして、左手でその赤松の幹を撫で擦りながら『今日は』と挨拶をするのである。そこで赤松を見上げその見事な枝振りに感嘆し、この赤松もまた螺旋を描いてゐるのを確認して芝に胡坐をかいて坐すのが何時もの慣はしであった。

…………………

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――雅楽の『越天楽』が何処からか聴こえて来る……

不意に日輪を雲が横切る……

――突然、夢幻能『芭蕉』が始まる……

――今は……何時か……此処は……何処か……全ては夢幻か……