思索に耽る苦行の軌跡

2009年 07月 の記事 (8件)

――うむ。はて、時は神の発動の一つではなかったのじゃないかね? 





――さう言へば俺かお前、ちぇっ、どっちにしろ私に過ぎぬが、その私は先に重力と時間が神だと言ってゐたな、へっへっへっ。





――ふっふっふっ。





――俺かお前かのどちらが言ったにせよ、例へばの話で神は重力と時間と言ったまでだらう。当然の事、先にも言った通り「神=(重力と時間)」ではない。





――では何故神は此の世を創造し、此の世の開闢と同時に時を進めて最早此の宇宙が死滅しても、時のみが未来永劫に亙って相変はらず移ろふかの如き《もの》として《世界》を創造したのかね? 





――それに加へてかう言いたいんだらう。へっ、そして神自らも何故に時の奴隷に成り下がったのかと――。





――さうさ。何故神は自ら進んで――俺にはさう思へるんだがね――その神は時の奴隷に成ることを甘んじて受け入れたのかね? 





――ふっ、答へは簡単明瞭さ。神自ら此の宇宙若しくは《世界》を神すらも制御不可能な《もの》に神はしたかったのさ。つまり、神は自ら進んで此の宇宙若しくは《世界》を神の御手では最早どうしやうもない制御不可能な《もの》にせずにはゐられなかったのさ。





――ふむ。それは何故にかね? 





――逆に尋ねるが、お前はお前の未来が全て千里眼の如くお見通しだとすると、お前はお前の《存在》に飽きないかね? 





――《存在》に飽きるとは? 





――つまり、変容する自由がない、換言すると《一》=《一》が見事に成立する《完成》した《もの》として、お前が《存在》することにお前は何の不満も抱かぬのかね? 





――つまり、時が自由を保障すると? 





――いいや。時は何も保障はしない。唯、時は移ろひ、その時の大河の表層で《個時空》のカルマン渦が渦巻くのみさ。だが、時が移ろひ、あらゆる《もの》が時に隷属することで自由が辛うじて生まれるとしたならば、お前は如何する? 





――如何するといふと? 





――つまり、お前は《未完成》で自由な、換言すれば変容可能な《存在》を選ぶか、《完成》して変容不可能で不自由な《存在》を選ぶか、どちらを望む? 





――へっへっへっへっ。自由を弐者択一の問ひに還元しちまっていいのかい? 





――しかし、《完成》した《もの》には、換言すれば《完璧》な《存在》には最早自由は不必要な筈さ。





――つまり、神すらも時に隷属することで自由なる《吾》たる《存在》を選んだといふことかね? 





――ふっ、神は此の世の開闢時に既に《完璧》な《完成品》たる《存在》を、つまり、神自身に匹敵する《もの》を創り上げてしまってゐて、この《完成品》を手持ち無沙汰の挙句に更に捏ね繰り回して更なる《完璧》な《存在》を創造したはいいが、それが余りにも下らない代物だったので、無責任にも神はそれを抛り投げてしまって、その《完璧》なる創造物をぶち壊す為に神は神の鉄槌の一撃をその《完璧》なる創造物に加へて、へっ、神の制御が効かぬBig bang(ビッグバン)をおっ始めて時が移ろひ始めたとしたならば、さて、お前は、その神の行為を許せるかね? 





――神を許す? これは異な事を言ふ。神を許すも何もそれは俺の権限が及ばぬこと、つまり、それは俺の埒外の事だ。まあよい。するとお前は、此の世の開闢以前に神は《完璧》な《完成品》たる創造物、ちぇっ、つまり、完全無比で《完璧》な《存在》を創り上げたと考へてゐるのかね? 





――ああ。此の世を現在統べてゐる神若しくは神々はその残滓若しくは残党だと思はないかい? 





――でも、先に時が移ろふのは此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》が《完成》した《もの》を創造する為だと言った筈だがね。





――さうさ。しかし、神若しくは神々は自らの御手の力の及ばぬ処で此の世の開闢以前の神若しくは神々が自ら創り上げた《完璧》な創造物以上の《もの》が創造されるのかをその目で見たくなったのさ。だから、神若しくは神々は此の時が移ろふ宇宙若しくは《世界》の様相には興味津々な筈だ。しかし、その為には神自らの手で創り上げた《完璧》な《もの》をぶち壊さずにはゐられなかった。へっ、その結果が現在の此の世の有様さ。





――つまり、現在此の世に鎮座坐しまする神若しくは神々は此の世の開闢以前に此の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔だと? 





――ふっふっふっふっ、此の世の開闢以前の此の世とは一体全体何のことなのか解からぬが、神若しくは神々は此の世の開闢以前の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔には違ひない。へっ、まあそんな事より、全きの自由は不自由と何ら変はらぬとは思はないかい? 





――へっへっへっへっ、ご名答。全きの自由は不自由と同義語か若しくは不自由の別称だよ。その好例が現在此の世を統べる神若しくは神々さ。





――しかし、神は此の世の開闢以前の《完璧》な《完成品》たる創造物といふ《存在》の末裔故に全きの自由、つまり、不自由に我慢しなければならぬ宿命を負ってゐる、違ふかね? 





――それを換言するとだ、此の世の《存在》の典型として先づは神若しくは神々在りきなのだとすると、さて、お前は神に成りたいかね? 





――いいや。神なんぞには成りたくないよ。ところが、《主体》は全きの自由を前にして立ち竦んで、二進も三進も行かない、つまり、どん詰まりの処に自らを追ひ詰めてしまった……。





――どん詰まりといふと? 





――これも何度となく言ってゐる筈だが、《存在》の縁さ。





(四十三の篇終はり)







自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
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2009 07/27 05:25:58 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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そもそも《吾》とは厄介な生き物である。耳孔、鼻孔、眼窩、口腔、肛門、生殖器等に代表される《主体》の各々の細胞にすら無数に開いてゐる穴凹と同様、それが《吾》の内部の何処かは解かりかねるが、しかし、《吾》の内部には厳然とその内部の闇にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《吾》の《虚(うろ)の穴》が《存在》してゐるとの確信がなければ





――俺は俺だ! 





と、《吾》に対しても《他》に対しても《世界》に対しても申し開きが出来ぬ情けない《存在》として《存在》するのである。一方で、蘗の生長によって主幹を喪失しても生き永らへた広葉樹は、けれども、その内部に《存在》してしまふ《虚の穴》は己の何《もの》によっても埋められずに《他》の生き物の生命の揺り籠として樹以外の《もの》をその《虚の穴》で育むといふ、或る意味《吾》の意思ではどうにもならぬ《存在》の在り方を、その樹が望むと望まずとに拘はらず強要されるのであり、また、《存在》の有様の本質がさうである故に、《吾》は《他》や《世界》と辛うじて連関するに違ひないのである。





 さうすると、彼の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に不意に現はれる《異形の吾》共は、《吾》の内部にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《吾》の《虚の穴》をその棲み処としてゐる《他》たる《反=吾》の一つの有様に違ひない筈であるけれども、人間における主幹たる《吾》といふ自意識はといふと絶えざる連続性を求められつつも、絶えず《吾》の主幹たる《吾》の自意識は、それは「先験的」にかもしれぬが、何かによってぽきりと折られ非連続的な《吾》の《存在》を強ひられながら、しかし、人間における《吾》といふ主幹にも《吾》の蘗が生え出るかの如き《インチキ》をそのぽきりと折れた《吾》に接ぎ木するやうにして《吾》といふ《存在》は架空された《吾》として《存在》することを強ひられるのである。尤も、その《インチキ》を身に付けなくては、神ではなく人間の《他人》が作り上げた都市に代表される人工の《世界》では、一時も《存在》することが不可能なのである。それは或る意味当然の事で、慈悲深くも荒々しき神が創りし《世界》では《吾》もまた広葉樹のやうに《吾》の蘗が生え出る事は神に許されてゐて、しかもそれはむしろ《自然》な事なのであるが、しかし、既に人間が作り変へてしまってゐてその《吾》以外の《他人》が既に《吾》の誕生以前に作り変へてしまった人工の《世界》で生き延びるには、《吾》はその主幹たる《吾》を自ら進んでぽきりと折る勢ひでなければ《存在》は出来ず、挙句の果ては恰も蘗の《吾》が《存在》するかの如く架空の《吾》をでっち上げる、つまり、《吾》といふ《存在》の有様は如何しても《インチキ》だといふ忸怩たる思ひを絶えず噛み締めつつ





――ふっふっふっ。





と、皮肉に満ちた薄笑ひをその蒼白の顔に浮かべなければ、この《他人》が既に《吾》の誕生以前に作り上げた人工の《世界》では《存在》することが許されないのである。さうして、《吾》の内部にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《虚の穴》には数多の《異形の吾》共が棲み付き、そして、絶えずその《吾》を名指して





――馬〜鹿!





と嘲笑してゐるのである。





 当然彼にとっても事情は同じで、絶えず彼の内部では《異形の吾》共が皮肉たっぷりに





――馬〜鹿! 





と彼を嘲弄するのであった。





――へっ、さうさ、俺は大馬鹿者さ。





と、彼は決まって《異形の吾》共の嘲弄に対してこれまた皮肉たっぷりに返答するのであった。





――土台この浮世、大馬鹿者以外生き残れやしないぜ。





――だからお前は馬〜鹿なのさ、へっ。





――馬鹿で結構。それでも俺は何としても此の世で生き残るぜ。





――ふっふっふっ。





 その醜悪極まりない《吾》の鏡像としてしか現はれぬ《異形の吾》の一人はにたりといやらしい薄笑ひをその相貌に浮かべたまま、再び





――馬〜鹿! 





と彼を罵るのであった。





――へっ、馬鹿に徹してしかこの異様な浮世では誠実であることは不可能なのさ。





――馬〜鹿! 





――どうも有難うごじぇえますだ、俺を馬鹿呼ばわりしてくれて、ふん。





――その大馬鹿者に一つ尋ねるが、お前は、此の異様な《他人》が徹頭徹尾作り上げ神から《世界》を掠奪した人の世に生きることが楽しいかね? 





――さあね。楽しくもあり、また、不愉快極まりなくもある。





――それぢゃあ、お前は人間が神の御手から掠奪した此の異様な《世界》を承認するかね? 





――いいや、絶対に受け入れられぬ。





――ならば何故に生き残るなどと嘯くのかね? 





――逃げられないからさ。





――逃げられない? 





――ああ、此の世に《存在》しちまった《もの》はその《世界》から遁れられぬし、また、此の世から遁れる出口なんぞは何処にもありゃしないのさ。それはつまりこの人工の《世界》では自死することすら全く無意味な行為でしかなく、《吾》が自死しようがこの人工の《世界》は「また《吾》が自死したぜ! 全く《吾》とは間抜けな《存在》だぜ」と腹を抱へて哄笑するのが落ちさ。つまり、この人工の《世界》では如何足掻かうが「出口無し!」と相場が決まってしまってゐるのさ。





――では《愛》は何なのか?





――《吾》が《吾》として架空されてゐることを確認する一行為に過ぎぬのさ、この人工の《世界》では! 





(二の篇終はり)







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2009 07/25 05:14:01 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――つまり、奇怪、且、異常極まりない《主体》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で次々に埋め尽くされた張りぼてに過ぎぬ外界たる《世界》を、ふっ、それは正に狂気の沙汰に違ひないが、そんな奇怪、且、異常な《世界》を恰も正常な《世界》であるかの如く看做す為には感覚を麻痺させる《楽》が必要で、さうして《楽》を追ひ求める内に、《吾》は見事に《吾》の在処を見失ふことが出来たといふ何たる皮肉! 





――……。





――なあ、お前は《吾》を裏切らない張りぼての《現実》を《現実》と認めるかね? 





――つまり、《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で外界を埋め尽くすことで誕生した裏切らない《現実》を《吾》は漸く作り上げたとでも思へといふことかね? 





――いいや。《吾》の頭蓋内が外在化した張りぼてに過ぎぬ《世界》でも時が移ろふ以上、《世界》は《吾》を絶えず裏切り続けるさ。唯、《吾》を裏切らない《世界》といふ名の《現実》が実現可能な如く想定する《吾》の《存在》を認めるかと尋ねたまでさ。





――つまり、それは寝ても醒めても《吾》は夢の中にゐ続けるといふことかね? 





――さう。しかし、夢は夢でもそれが悪夢だとしたならば、お前はその悪夢の《現実》を《現実》と認めるかね? 





――ふっ、どの道それを《現実》と認めるしかないんだらう? 《主体》はそれが何であれ自律する《もの》であるならばだ、《世界》を如何にかして《主体》に都合のいい《世界》へと作り変へる《主体》の壮大な欲望を如何することも出来やしないぜ。





――つまり、《主体》はその誕生から既に《世界》を《主体》内部の、例へば頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くすべく《存在》させられてゐると? 





――さうさ。ちぇっ、創造の為にね――。





――創造? それは何の創造かね? 





――へっ、これまでに此の世に《存在》した事が無い《もの》の創造に決まってをらうが! 





――つまり、此の宇宙、それを例へば神と名付ければ、神は絶えず《主体》に創造を課してゐるのさ。





――絶えず頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅することを已めない儚き表象群の如く、此の宇宙を神の五蘊場だと仮定すれば、その神の五蘊場にも絶えず《もの》の表象群が生滅し、これまで此の世に《存在》しなかった《もの》を創造するべく新たな《もの》が絶えず此の世に生成してゐるなら、ふっ、つまり、《主体》はそれが何であれ創造の為に神の五蘊場に《存在》させられ、その上、永劫に未完成な《もの》しか創れない神にとって、へっ、つまり、神は未完成品とはいへ新たな《もの》を次々と創り最後には完成品たる《もの》が創れる可能性が在ると信ずる以外に最早永劫に満たされぬのではないかね? 





――神が満たされる? ぶはっはっはっはっ。例へば時間一つをとってもそれは火を見るより明らかなのだが、神程貪婪な《存在》は無いんぢゃないかね? 





――その神の貪婪さ故に創られたのが此の宇宙の今の有様だと? 





――所詮、《存在》しちまった《主体》は、それが何であれ、神の五蘊場で思考実験されるべく此の世に《存在》させられた実験体の一つに過ぎぬのさ。





――そして、《主体》自体も絶えず何《もの》かへの変容を課されてゐる。それは何故かね? 





――へっ、それは多分、神のほんの些細な罪滅ぼしだらう。





――神の罪滅ぼし? 





――ああ。未完成品としてしか《存在》させることが出来なかった《主体》が、それでも尚、自ら《完成》するべく変容する余地を残して神が《主体》を《存在》させるに違ひない。





――それは、つまり、神が《主体》たる《もの》を《存在》させることに対しては常に後ろめたいと感じてゐる為かね? 





――或るひはさうかもしれぬが、《主体》は《主体》で神、つまり、此の宇宙若しくは《世界》から自立するべく、《主体》の五蘊場に明滅する表象群を外在化して《主体》の内外をその表象群で自閉し、完結させるといふ如何しようもない欲求を満たすべく、《世界》を作り変へ、そして《主体》もその《世界》に順応するべく変容する。





――へっ、さうしてこれまで此の世に《存在》した事がなかった《もの》を創造するってか――。ちぇっ、さうまでして此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》は、何か新しい《もの》を創造したいのか? 





――さうさ。それ故、最早時は移ろふことを已めない。





――何故に時は移ろふ? 





――此の宇宙若しくは《世界》若しくは神が死滅するまでに完成品を何としても誕生させたいが為さ。





――ちぇっ、時の前では全てが奴隷か――。





――さうさ。時の前では最早神さへも奴隷に過ぎない。





(四十二の篇終はり)







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2009 07/20 05:23:50 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――この野郎! 





と、さう頭蓋内で叫んでゐた私は、不意に全身に電気が走ったかの如くに肉体に力が漲り、その肉体を意識下に従へることに成功したその刹那、あっと思ふ間もなく反射的に私は私をせせら笑ってゐたその夢魔に対して殴り掛かってゐたのであった。が、果たせる哉、私の拳は虚しく空を切り蒲団が敷かれた畳を思ひ切り殴るへまをやらかしたのみであったのである。当然の事、私を嘲弄してゐた夢魔はびくりともせずに相変はらず私の眼前に、つまり、私の閉ぢられし瞼裡にゐたのであった。





 一方で私はといへば、私が夢魔ではなく畳を殴ってゐた事を明瞭に認識してはゐたが、しかし、そのまま覚醒することはなく、眼前の夢魔に目を据ゑては夢魔の嘲笑に怒り心頭なのであった。





 この夢魔は時折私の夢に現はれる――もしかするとそれとは反対に私が夢魔の世界へ夢を通して訪れてゐるのかもしれぬが――のであった。また、この夢魔は何時も能面の翁の面(おもて)をしてゐて、朱色の大きな大きな大きな落陽を背に引き連れて、それでゐて夢魔の面は逆光では決してなく、煌々とした輝きを放って、その面にいやらしい微笑を浮かべては決まって私を罵るのであった。





――そら、お前の素性を述べてみよ。





――くっ――。俺は俺だ! 





――へっ、俺は俺? それはお前だけが思ってゐるに過ぎぬのじゃないかね? ほら、お前の素姓を述べ給へ。





――くそっ。俺が俺であることを俺のみが思ってゐたとしても、それの何処がいけないのか! 





――馬鹿が――。お前は《他》がお前を承認しない限りは、お前はお前未然の下らない《存在》に過ぎぬのぢゃ。そら、お前の素姓を述べてみよ。





――くっ――。





――口惜しいか? ならば早くお前の素姓を述べてみよ。





――くそっ。





――ふほっほっほっほっ、所詮、お前にお前自身の素姓を語れる言の葉は無いのさ。それ、お前の素姓を「俺」の類の言葉無しにお前について述べてみろ。





――《他》以外の《もの》が己ぢゃないのか? 





――ふほっほっほっほっ。馬鹿が! 《他》もまた《吾》なり。お前の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に《他》たる世界は表象されないのかね? 





――《他》は《他》として自存した《もの》ではないのか! 





――否! 《他》は《吾》あっての《他》だ。





――否! 《他》たる世界は《吾》無くしても《存在》する! 





――ほほう。しかし、《吾》は《他》たる世界をその内部に、つまり、五蘊場に取り込まなければ、即ち世界認識しなければ《存在》すら出来ない。これを如何とする? 





――ぬぬ。





――所詮、《吾》など世界に身の丈を弁へてきちんと《存在》する塵芥にも劣る《存在》に過ぎぬのぢゃないかね? ふほっほっほっほっ。





――ちぇっ、結局は《他》たる世界は《吾》無くしても《存在》するか――。





――それはお前がさう言ったに過ぎないのぢゃないかね? 





――さうさ。《他》たる世界において《吾》は芥子粒にも劣る厄介者でしかない! 





――ふほっほっほっ。その自己卑下して自己陶酔する《吾》の悪癖は如何にかならないかね? 





――悪癖? 





――さうだ。《吾》の悪癖だ。自己卑下して万事巧く行くなどと考へること自体傲慢だよ。





――しかし、《吾》は《吾》の《存在》なんぞにお構ひなしに自存してしまふ世界=内に《存在》せざるを得ぬ以上、《吾》は自己卑下するやうに仕組まれ、若しくは「先験的」にさう創られてゐるのぢゃないかね? 





――ふほっほっほっほっ。では、《吾》は何故《存在》するのかね? 





――解からない……。





――解からない? それは余りに《存在》に対して無責任だらう? 





――ちぇっ、この野郎! 





と、私は再び夢魔に殴り掛かったのであったが、果たせる哉、これまた私の拳は空を切り畳を殴っただけに過ぎなかったのである。





――ふほっほっほっほっ。お前に虚空は殴れないよ。





――虚空だと? 





――さう、虚空だ。お前の内部にも《存在》する《他》たる虚空に私はゐるのぢゃ。そしてその虚空は全てお前が創り上げた《他》たる内界と言ふ若しくは外界といふ世界の一位相に過ぎぬのぢゃ。





――お前はその虚空の主か? 





――ふほっほっほっほっ。さうだとしたならお前は如何する? 





(一の篇終はり)







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2009 07/18 04:40:03 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――すると《吾》の過誤は《他》そのものを侮ったことになるが、如何かね? 





――ふっ、その通り。《吾》は《他》を甘く見過ぎてゐたのさ。《吾》無くして全て無しなんぞはその最たる《もの》だ。《吾》無くしても《他》は相変はらず何事もなかったかの如く《存在》する。





――例へば、それは《世界》かね? 





――さうさ。それに《他者》も《客体》も何もかも《吾》がゐようがゐまいがお構ひなしに《存在》する。何時頃から《吾》が《世界》に御邪魔してゐるといふ感覚が無くなってしまったのだらうか……。





――ふっ、無くなったのじゃなく、詰まる所、それは《吾》の《死》に直結するが故に《吾》は《吾》の《死》が怖くてさういふ感覚は全て麻痺させてゐるに過ぎぬのさ。





――さて、どうやって《吾》はその感覚を麻痺させてゐるのやら――。





――へっ、簡単明瞭さ。《吾》が《吾》と対峙しなければ、つまり、《他》の何かに興じてゐれば、この浮世は何となく過ぎてくれるのさ。





――それじゃあ、《吾》は《吾》を知らずして、否、何も知らずして、つまり、まるで夢の中にゐるかのやうにして、時を過ごしちまってゐるのか? 





――《主体》は《吾》と対峙せずに済む《もの》を発明するのに躍起になってゐるじゃないか。





――つまり、娯楽に象徴される《楽》か――。





――ふっ、皮肉なことに《吾》の内部に秘かに潜んでゐればよかった《他》を闇から引き摺り出して、《吾》の内部の《他》が外在化して《吾》を呑み込むといふ、つまり、《吾》が《吾》であることの理性を一瞬でも失はせる《他》といふ欲望を肥大化させた上に更に肥大化させて、時が移ろふ、ちぇっ、それは《吾》の《個時空》に違ひないのだが、そんな事などお構ひなしに欲望といふ《吾》の内部に潜む《他》を無理矢理にでも引き摺り出された《吾》は、《他》の《個時空》たる巨大な巨大な巨大なカルマン渦と一緒くたになった欲望の巨大な渦に呑み込まれ、そしてその《他》の巨大な《個時空》のカルマン渦に流されるまま一生を終へるのさ。ちぇっ、これは極楽じゃないかね? 





――欲望は《他》かね? 





――《世界》を《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くした現状においては最早欲望は《他》以外の何《もの》でもない! 





――つまり、《吾》は、ちぇっ、外在化した《吾》の頭蓋内に棲んでゐるといふことか――。





――つまり、夢の中さ。





――それじゃ、夢は《他》かね? 





――夢が《世界》である限りにおいてのみ《他》さ。





――自他無境……。現状を一言で言ってしまへばさうじゃないかね? 





――否、《自》滅さ。





――へっ、《自》滅か。ざまあ見ろだ。





――何に対してのざまあ見ろかね? 





――《自》滅した《吾》に対してに決まってをらうが! 





――さて、すると、現在《吾》は何処に棲息してゐるのだらうか? 





――世界=外だらう? 





――世界=外? 





――さう、世界=外だ。《世界》が外在化した《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くされた以上、《吾》は、へっ、皮肉なことに世界=外に追ひ出されちまったのさ。





――その世界=外を具体的に言ふと? 





――欲望といふ《他》が抜け落ちた抜け殻と化した《吾》は、その《吾》を《吾》の内部の無意識下の更にその奥底に封じ込めた一方で、《世界》の涯へと《吾》は自ら進んで《吾》の在処を投企したのさ。





――へっ、それは一体全体何のことかね? 





――ふっふっふっふっ。《吾》の内部の奥底の奥底の奥底は、へっ、《世界》の涯に通じてゐたといふことさ。





――つまり、自他逆転が今現在《吾》のゐる《世界》といふことかね? 





――さうさ。《吾》の内部が《世界》に表出しちまった自他逆転した奇天烈な《世界》、ちぇっ、つまり、異常な《世界》に《主体》は外界を作り変へてしまったのさ。





――しかし、その異常な《世界》とは張りぼての《世界》に過ぎないのじゃないかね? 





――さうさ。しかし、《主体》としての《吾》はその張りぼての異常な《世界》を正常な《世界》と看做す狂気の沙汰を一見平然と成し遂げてしまってゐるのさ。





(四十一の篇終はり)







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2009 07/13 04:48:19 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――つまり……《杳体》を《物自体》と名指せと? 





――さう言ひ切れるかい……お前に? 





――多分……《杳体》の位相の一つに《物自体》は含まれてゐる筈さ。





――するってえと、《杳体》は《物自体》も呑み込んでゐると? 





――さう……多分ね。





――其処だよ。まどろっこしいのは。お前はかう言ひてえんだらう! 「《杳体》をもってして此の宇宙を震へ上がらせてえ」と。





――ああ、さうさ。その通りだ。此の悪意に満ちた宇宙をこのちっぽけなちっぽけなちっぽけな《吾》をして震へ上がらせたいのさ。





――あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。





――飛び込んだぜ。





――うむ。飛び込んだか……。









(これ以降《杳体》の底無しの深淵に飛び込みし一人の「異形の吾」と、それを待ってゐたかの如くその「異形の吾」と同時に飛び込んだもう一人の「異形の吾」との対話に移る)









――ぬぬ。俺の外に《杳体》の底無しの深淵に飛び込んだ《もの》がゐるとは――。





――へっ、飛び込むのが遅いんだよ。如何だい、《杳体》へ飛び込んでみた感想は? 





――未だよく解からぬ。しかし、如何足掻いても《飛翔》してゐるとしか感じられぬな、この《自由落下》といふ代物は。





――《自由落下》? 《自由飛翔》かもしれないぜ。





――まあ、どちらでも構はぬが、しかし、頭蓋内の闇、即ち五蘊場に《杳体》が潜んでゐたとは驚きだな。





――《主体》に《杳体》が潜んでゐないとしたなら一体全体何処に《杳体》があるといふんだね? 





――へっ、それもさうか。確かに《主体》に《杳体》がなければ、《主体》がこれ程《存在》に執心する筈もないか。





――さて、ところで、その《主体》だが、君はこの《主体》を何と考へる? 





――何と考へるとは? 





――つまり、君にとって《主体》は何なのかね? 





――《私》ではないのかね? 





――《主体》が端から《私》であったならば、君もそれ程までに思ひ詰めなかったのじゃないかね? 





――ふっ、さうさ。その通りだ。





――《主体》はその誕生の時から既に《私》とは「ずれ」てゐる。





――その「ずれ」は時が移ろふからではないのかね? 





――それもあるが、仮令、時が止まってゐたとしても《主体》と《私》は永劫に「ずれ」たままさ。





――それは《主体》が《存在》するが故にといふことかね? 





――さう、《存在》だ。現在では《存在》そのものが主要な問題となってしまったのだ。





――そして、《存在》は竜巻の如く《主体》を破壊し始めた? 





――ああ……。《存在》が何時の頃からか《存在》のみで空転し大旋風を巻き始めて《主体》も《客体》も破壊し始めた……。





――それ故《主体》も《客体》も《世界》も全て自己防衛の為に自閉を始めざるを得ず、その結果、それらはてんでんばらばらに《存在》し始め、しかし、それらを繋ぐ為には《杳体》なる化け物が必要で、《存在》が《存在》たる為には《杳体》なる化け物を生み出さざるを得なかった。なあ、さう思ふだらう? 





――しかし、元来《存在》とはさういふ《もの》じゃないのかね? 





――元来? 





――さう、元来だ。





――それは《存在》とはそもそも有限なる《もの》に閉ぢてゐる故にか? 





――ふっふっ、《存在》はそもそも有限なる《もの》か? 





――無限であると? 





――無限であってもおかしくない。また無であってもおかしくない。





――それは君の願望に過ぎないのじゃないかね? 





(六 終はり)







自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp



2009 07/11 04:42:34 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――ふっふっふっ。《吾》に無や無限が飼ひ馴らせられると思ふかい? 





――う〜ん、それは……至難の業には違ひない。





――それでも《吾》が《吾》を存続させる為には無と無限、換言すれば《死》を一時でもその手で握り潰して、そして、それを捏ね繰り回しては何かを創造する外ないとすると、へっ、高々無と無限にすらてこずる《吾》に、さて、特異点と対峙する暇はあるのかい? 





――それは当然《他》と対峙するといふ意味も兼ねてゐるね? 





――ああ、勿論。特異点たる《他》と対峙する《吾》……くっくっくっくっ、その《吾》は内部にも特異点たる《他》を抱へる《吾》であるといふ皮肉! 





――ふはっはっはっはっ。ざまあ見ろかね? 





――馬鹿な! 俺もやはり特異点たる《他》といふ矛盾に振り回され、嘲弄される側の《存在》だぜ。





――《存在》とは元来嘲弄される《もの》ではないのかね? 





――ふっ、何に? 





――へっ、《他》だらう? 





――《他》かね? 《吾》ではないのかね? 





――どちらでも構はないんじゃないか。所詮、《吾》といふ《存在》は「先験的」に嘲弄されるやうに創造されてしまってゐる。





――そして、《吾》は《他》を愚弄する。違ふかね? 





――其処で愚弄するといふのは《吾》ではなく《他》かね? 





――ああ。《吾》は《吾》として《存在》することで既に「先験的」に《吾》に嘲弄されてゐる上に、《他》にも嘲弄される故に、《吾》は仕方なく若しくは近親憎悪にも似て《他》を呪ひ、愚弄するのさ。さもなくば《吾》は《吾》自体を呪ひ、愚弄するといふ留まるところを知らぬ深淵に嵌り込むしかない。





――しかし、大概の《吾》は《吾》ばかりを呪ってゐるぜ。特異点たる《他》が《吾》の内部にも外部にも潜んでゐるにも拘はらず、《吾》は《他》の《存在》に目を閉ざして恰も《他》が此の世に無いかの如く《吾》にばかり執着してゐる。





――ちぇっ、その方が一見して《吾》には楽だからさ。





――楽? 





――ああ。楽だからさ。《吾》が《吾》にばかり目を向けて《吾》を呪ひ、嘲弄してゐる内に、何時しかそれが昂じてMasochism(マゾヒズム)的な自己陶酔に耽溺することになり、へっ、《吾》は《吾》の虜になって《吾》以外の《もの》を忘却出来るかの如き錯誤の蟻地獄ならぬ「吾地獄」から永劫に抜け出せなくなる哀れな末路を取ることになる。それはそれは楽に決まってゐるぜ、何せ《吾》以外に何も《存在》しないんだからな。





――しかし、大概の《存在》は、《吾》は《吾》に自閉してゐると端から看做してゐるぜ。





――さういふ輩は《吾》に耽溺しながら自滅すればいいのさ。





――へっ、《吾》に溺れ死ぬか――。





――Masochism的な自己陶酔の中で溺死出来るんだから、それは極楽だらうな。





――否、それは地獄でしかない! 





――《吾》が《他》に目もくれずに、自閉した《吾》に耽溺する不幸は、それが地獄の有様そっくりだからな。ふっ、何せ地獄では《吾》は未来永劫《吾》であり続け《吾》といふ自意識が滅ぶことは永劫に許されずに、その上で地獄の責苦を味はひ尽くす以外に《存在》し得ぬのだからな。





――しかし、《主体》は、耳孔、鼻孔、眼窩、口腔、肛門、そして生殖器等、穴凹だらけなのは厳然とした事実だ。





――つまり、《吾》もまた穴凹だらけであり、《吾》は《他》をその内部に《吾》の穴凹として抱へ込まざるを得ない。





――付かぬことを聞くが、《吾》に開いた《他》といふ穴凹は《対自》のことかね? 





――いいや、決して。《他》は《他》であって《即自》や《対自》や《脱自》等の如何なる《自》でもない。また、《他》が《自》であるかのやうに看做すやうでは、《主体》は精々穴凹が全て塞がれた幻影を《吾》と錯覚し、それは取りも直さずMasochism的な自己陶酔の中に溺れてゐるに過ぎない。





――だが、《吾》はその内部に《他》が潜んでゐる等とは夢にもこれまで考へた事はなかった。





――それは《吾》が《吾》で自己完結してゐると勘違ひしたかったからに過ぎない。





――つまり、《他》の《存在》には目を瞑って世界を独り《主体》のみが背負ふ世界=内=存在といふ自己陶酔の極致に《存在》は自らを追ひ詰めてしまったのだ。





――しかし、世界は《吾》などちっとも《存在》しなくても若しくは《吾》が死しても相変はらず存続する。





――つまり、世界もまた《他》といふことだらう? 





――さうさ。





(四重の篇終はり)







自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
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2009 07/06 05:19:18 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――へっ、そもそも《吾》とは《吾》に怯えるやうに創られてゐる《もの》じゃないかね? 





――それは「先験的」にかね? 





――ああ。《吾》たる《もの》、《吾》が怖くて仕様がないくせに、否、《吾》が《吾》たることの暴走、へっ、それは《存在》を散々苦しめて来たのだが、例へば、それはユダヤの民におけるヒトラーの如き悪魔的《存在》へと不意に《吾》が暴走しないかと《吾》は絶えず《吾》に怯えてゐるくせに、それでゐて《吾》は《吾》に縋り付く外ない己を「へっへっへっ」と力無く薄笑ひをその蒼白の顔に浮かべて《吾》の《他》への変容を夢見る矛盾を抱へながら、此の世に《存在》することを強ひられてゐる。





――何に強ひられてゐるのか? 





――さあ、何かな……。





――何かな? 





――それが何かは解からぬが、《主体》はそれを或る時は《客体》と呼び、或る時は《対自》と呼び、また或る時は此の世の《摂理》と呼び、また或る時は《神》と呼んでゐるがね。なあ、ひと度此の世に《存在》した《もの》が、それ自身滅亡するまで《存在》することを強ひられる矛盾を、何としたものかね? 





――へっ、《存在》がそもそも矛盾だと思ふかい? 





――当然だらう。《存在》とは元来矛盾してゐなければ《存在》といふ、へっ、曲芸なぞ出来っこないぜ。





――《存在》は曲芸かね? 





――ああ。Circus(サーカス)の曲芸みたいに、時に空中ブランコの乗り手として、時に綱渡りの渡り手として、時に玉乗りの乗り手としてしか《存在》の有様なぞありっこないぜ。





――へっ、ひと度此の世に《存在》した《もの》は腹を括れと? 





――何をもってして腹を括れと? 





――《吾》をもってしてではないのかね? 





――へっ、「《吾》然り!」ってか? 





――ああ、「《吾》然り!」だ。





――しかし、その《吾》が元来矛盾してゐるんだぜ。





――だからこそ尚更「《吾》然り!」と呪文を唱へるのさ。





――呪文? 





――さう、呪文だ。





――「《吾》然り!」と呪文を唱へて何を呪ふのか? 





――当然、この宇宙自体さ。





――それは《神》ではないのかね? 





――別に《神》と呼んでも構はない。





――「《吾》然り!」は「《他》然り!」と同義語じゃないかね? 





――勿論。《吾》があれば必然的に《他》のあるのが道理だ。





――ちぇっ、《吾》は《吾》を是認する以外に《他》を是認出来ない馬鹿者か? 





――へっ、当然だらう。《吾》程馬鹿げた《存在》はありゃしないぜ。





――その大うつけの《吾》が「《吾》然り!」と呪文を唱へて《他》の《存在》を是認するとしてもだ、《吾》はそれでも《吾》たる《存在》をちっとも信用してゐないんじゃないかね? 





――当然だらう。《吾》が《吾》を公然と肯定してゐる有様程醜悪極まりなく反吐を吐きさうになる《存在》はありゃしないさ。





――それでも《吾》は「《吾》然り!」と呪文を唱へろと? 





――ふっふっふっ。何の為に《吾》は「《吾》然り!」と呪文を唱へるか解かるかい? 





――いや。





――創造の為には幾ら《存在》を滅ぼさうが何ともないこの悪意に満ち満ちた宇宙をびくつかせる為に決まってをらうが――。





――へっ、やっと本音を吐いたね。今こそこの宇宙に《吾》は反旗を翻せといふお前の本音を。





――この宇宙に反旗を翻すこと以外に《吾》の《存在》の意味があるのかい? ひと度此の世に《存在》してしまった《もの》は、次世代の創造の為にもこの宇宙に反旗を翻して痩せ我慢する以外に何かを創造することなんぞ不可能じゃないかね? 





――へっ、その創造の為に《吾》は人身御供になれと? 





――ああ。残念ながら《吾》たる《存在》は絶えずさうやって連綿と《存在》して来てしまったのじゃないかね? 





(六の篇終はり)







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2009 07/04 05:47:38 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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