――何故って、簡単な事だ。ふほっほっほっほっ。科学は神の摂理以上の公理や法則を見出せっこないと既に相場が決まってゐるぢゃないかね。
――神の摂理を超える科学的な論理か……。ふむ。
――所詮、人間の「智」は神には遠く及ばぬといふ事ぢゃよ。ふほっほっほっほっ。
――しかし、それでも、へっ、人間は神に敵はぬと知りつつも、此の世のからくりを解き明かしたい欲望を持った《存在》として此の世に生まれ出てしまった。
――ほう、それは初耳ぢゃ。人間が「智」でもって神に対峙するか、馬鹿らしい、ふほっほっほっほっ。
――何故に馬鹿らしいと即断できるのかね?
――人間の「智」は高が知れてゐるからぢゃ。
――ちぃっ、ほら、此れでも喰らへ!
と、私は再びそれが何もない空を切るだけで「だん」と畳を殴る事にしかならない事を十分に承知しつつも、何としても神神しい光を放ってゐるその翁目掛けて殴り付けずにはゐられなかったのであった。
――ふほっほっほっほっ。何をまた無意味な事を繰り返すのかね。人間と言ふ《存在》はどうも断念する事が下手糞な生き物ぢゃな。所詮、お主には虚空は殴れぬよ。
――へっ、何ね、無意味な事を十分承知しながらも、人間っていふ《存在》は、此の世に《存在》しちまった以上、どうしても無意味な事をやらなければ気が済まぬのさ。
――ふほっほっほっほっ。それで何か解かったかね?
――いや、何も。唯、俺は確かに此の世に《存在》してゐる事を否が応でも自覚させられ、そして、その様に己を認識せねばならぬ《存在》として、俺は確かに《存在》してゐると自覚する外ない《存在》として《存在》してゐるに違ひなく、ちぇっ、Tautology(トートロジー)か、まあ良い、そして、お前は、私の幻でしかないといふ事もまた確かだといふ事が解かったぜ。
――ふほっほっほっほっ。お主は確かに此の世に《存在》してゐると己を自覚若しくは認識し、そしてどの口が言ふのか、わしはお主の幻でしかないぢゃと。ふほっほっほっほっ。それではお主は全く納得出来ぬのぢゃらう?
――ちぇっ、何でもお見通しか。その通り、私は全てが納得出来ぬのだ。私が《存在》してゐると私が認識してゐるといふ事は、もしかすると全て私の思ひ過ごしか?
――さて、それはお主が決める事ぢゃ。
――へっ、私は確かに言った筈だよな。私が此の世に《存在》してゐると認識してゐるのも、もしかすると私の気のせいかもしれぬと?
――だから?
――私は実際、ちぇっ、詰まる所、此の世に《存在》してゐるのかね?
――確かに《存在》してゐる筈ぢゃ。
――筈ぢゃ?
――さう、筈ぢゃとしかわしには言へぬのぢゃ。
――すると、やはり、私の《存在》は私の気のせいの可能性がないとは言ひ切れぬのだな?
――だとして、さうだとして、それが何だといふのかね?
――いや、何、単なる愚痴だ。
――cogito,ergo sumぢゃて。
――詰まる所、人間、否、《存在》が神に対して詰め寄れた結果が今も尚、デカルトのcogito,ergo sumか。はっはっはっ。ちやんちゃらおかしい、ちぇっ。
――まあ、短気は損気ぢゃぞ。
――しかし、《存在》は未だに「思ふ」といふ事でしか己の《存在》を肯んじないんだぜ。これ程の笑ひ話があるかね?
――それぢゃ、お主に訊くが、お主が《存在》すると認識する、つまり、「現存在」としてのお主の意識は、さて、確かに《存在》する《もの》として扱っていいのかな?
――え? 一体何が言ひたいのかな?
――つまり、お主の意識は、果たして、此の世の《もの》と規定するその根拠をお主は認識してゐるのかね?
――へっ、つまり、それは、私の意識がその意識の《存在》の根拠を吐露出来るかといふ事だらう?
――さうぢゃ。
――ちぇっ、それがはっきりと断言出来れば誰も悩まないだらうが!
(六の篇終はり)
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