クラシックカメラの名機ヤシカエレクトロ35による写真集 YASHICA ELECTRO35GSN
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内匠頭が吉良上野介に切りつけた原因ですが、やはり、内匠頭が潔癖な人柄であったため事前に十分な賄賂を贈らなかったのでいやがらせをされたというのが一番有力な説のようです。内匠頭は若くてハンサムでしたからよけい憎まれたんじゃないですかね。 元禄十一年に勅使の接待役をした津和野藩主が上野介の態度に怒って斬ろうとしたが、家老が賄賂を送ってから上野介の態度が変わったため無事に済んだこともあったそうです。
四十七士の一人小野寺十内は討ち入り前に妻に宛てた手紙の中で「公儀よりいかやうの御とがめこれありて、たとへかばねをさらされ候ても(獄門になっても)、少しも恨みとも、物うし(恥)とも思ふまじく候、忠義に死したる体を天下のもののふ(武士)に見せて、人の心も励まさんこと、却って本望にて候」と覚悟の程を書き送っています。 吉良上野介は領民には善政を施したようですが、驕奢で、遊び好きであったため、殺されたとき、親類の上杉家では喜んだ者も少なくなかったそうです。(日本の歴史第16巻、中公文庫より引用)
幕末に大塩の乱を引き起こしたことで有名な大塩平八郎は泉岳寺の四十七士の墓所を訪ねて次のような詩を残しました。
臥薪嘗胆 幾辛酸 一夜剣光 雪に映じて寒し 四十七士碑 猶 主を護る 凛然冷殺 奸臣の肝
(日本漢詩鑑賞辞典,角川書店より引用)
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