2008年 05月 の記事 (4件)

5月25日(日)
・週末は、23日(金)に、南のあまり行かないほうに攻めていった。土曜は、身につけるもので具合が悪くなったものがいくつかあったので、部屋着のズボンとか、いろいろ買いにいった。日曜は、サラダをやっぱり作って、そのあと、部屋の整理などをあわただしくやった。それから冬のスーツを押入れにしまった。部屋は、きれいにはならなかったけど、まあ汚さに歯止めがかかったぐらいは言えるかもしれない。本はぜんぜん読まなかった。そんな時間はなかった、という感じだ。まあ週末にできることはこのぐらいだろう。特に怠けもしなくて、ブログに記事を書いたりもした。色々やった。
05月27日(火)
・日曜の夜は、12時を少し過ぎてから寝た。いつも6時に起きることにしているので、少し寝不足。そして月曜の夜は、パソコンをやってたのだが、気がつくと寝てしまっていた。いつ寝ただろう?10時すぎぐらいまでは覚えているが、とにかく起きた時は4時半ぐらいで、PCも電気もついていたので、消してまた寝直す。僕にしては珍しいことだった。この頃は、昼間は眠くないけれど、日付が変わるころになるともうバタンキュ〜という感じで寝てしまうことが多い。今週は現場は人が足らなくて大変。まだトラブルらしいものが起こっていないことは幸いである。今日は仕事が終わってから、「しのいだー」と口をついた。たぶん、manageの訳として、けっこう適切かもしれない。
05月29日(木)
・月末ということもあるんだろう。なんだか現場の雰囲気が、ちょっとギスギスしているようにも感じた。それもあって疲れた。でも、そういう雰囲気を爆発させないところが、この場の根本的にしっかりしたところとも言える。
 思ったが、僕は週日に帰ったら、なるべくちょっと長い文章を、1日では書ききれないものを数日にわけて書くような、そんなシステマチックな時間の使い方をしたらどうか、と思う。
 やりたいことはいくらでもある。それは消化されずに、あるものはずっと心のどこかにわだかまっているし、あるものは爆発せずに心のどこかに吸収されていくといった感じだ。そして、これが、忙しいということだ。僕の心が、このことで、どういう変化をとげるのか、も観察の対象になる。

06月01日(日)
・一週間ずっと起きる時間が決まっているから、土日でも、そんなに遅くまでは眠っていずに、目が覚めてしまう。ということは、夜更かしすると、週末なのに睡眠不足になるということだ。だから、もし休日に睡眠をたくさんとるのなら、夜に早く寝るということをしなければいけないのかもしれない。
 この週末は、文章などをいくつか書いたが、部屋の整理などは後回しになっている。急ぐものはないが、少しずつでも片付けたりしなければ。それと、週日にも少しずつ片付けたり整理するスケジュールを立てて計画的に部屋を片付けるのがいいかも。
2008 05/25 23:49:09 | none
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05月18日(日)
・今週末は金曜にデジカメを持たずに出たこともあって、どこにも行かずに直帰した。それで、冬服を仕舞って衣替えをしたり、新しいタオルケットを買ってきたりと、そんな雑用をまとめてしたが、それにも関わらず、部屋はかなり散らかったままだ。部屋にはバスケットが散乱して、そのバスケットはいちいち紙類でパンパンだ。これをちょっとずつ整理していけば、かなり部屋はきれいになると思う。
 今度の週末は、デジカメを忘れずに持って、どこかに行こう。普段は行かない南のほうを攻めるか、それとも港のさらに奥のほうを攻めていくか。
 同じ本をずっと読んでいるが、それが早ければあと一週間で読み終わる。そのあと、これを読んでみようかな、と思う本が2つある。1つは数年前のベストセラーが古本屋で100円で並んでいるので。もう1つは、昔の古典が今わりと流行っているというのでためしに読もうかと。後者を先に読もうかな。どうしようかな。
 暑くなる。週末におそうざいをまとめて作っていたが、いたみやすくなっていくので、週末の料理の時間も考えなくてはね。

05月19日(月)
・これは僕が鈍感なせいばかりではないと思うのだが、現場のボスは、次に何を要求してくるか、読めない。仕事はとにかく流れていくからそれでいいのだが、そこでAというやり方でいけばいいのかと思うと、Bというやり方を要求されている気がする。
 こういうやり方にそろそろ慣れて余裕ができたせいか、新しい視点でものを考えた。仕事はとにかく流れていく。その原則も明らかだ。でも、それにどう対応するか、ということについて、何をどう期待されているのかということが、明瞭にされていない。僕が何かをこうするようにと言われることは、ほとんどない。でも、たぶんあえて明瞭にもしないし、名言もしないことで、管理してるのかな、と思った。そのことで、こちらは緊張を強いられる。それを要求してるのかな、と。
 どの程度意識してやっているのかは知らない。これが、この組織のDNAであって、特に意識しているのではないのかもしれない。でも、いろんな仕事の方法や流れは、もう一義的にしっかり決まっているが、それへどう対処するかについては、あやふやだ。よく言えばフレキシブル。悪く言えば場当たりというか。
 もし、そういう無原則性を意図的にしているとしたら、そのメリットとして、管理する側も現場でそれにあたる人も、融通がきくということと、そのことで緊張を生み出すことができる。この緊張は悪いものではない。ずっと同じことをやっていたら、ダレてダレてしょうがないだろう。だからやっぱり組織の経験的な知恵という側面が強いかもしれない。
 働くって、うれしいものか、嫌だなと思うものかというと、嫌だ、という人が多いだろう。では、なぜ嫌かというと、たぶん、自分が疎外されるから。エネルギーを使って疲れるから、というのは、あまり本質的ではないだろう。休日にわざわざスポーツをする人だっているのだから。だから、疎外されなかったとしたら、仕事に一生懸命になる心の準備ができている人だったら、一生懸命やる確率が高くなる。ある現場をあてがわれて、事故とか、滅多なことがない限り、何も言われない。その現場を良くするのも悪くするのも、けっきょくは自分だなあ、という感じになり、実際にそこが自分カラーになっていったら、たぶんその人は、その現場にいればいるほど、仕事に愛着を持つようになるだろう。もちろん、必ず上司というものがいて、時々は、どうしても干渉せざるを得ないだろう。でも、それを少なくすればするほど、部下は、やる気を出す可能性が高いんじゃないかな。問題は、働く人が求める人間像と、仕事が求める人間像が一致するかどうかだ。
05月20日(火)
・ところで昨日の続きだが、現場のボス的存在が、時と場合によって、物事を運ぶ仕方が違うのだが、少なくとも僕はそれに重みを感じる。この人が言ってるんだから何か意味があるんだろうと。でも本当は、ただ気まぐれとか、年をとってボケてきたのかもしれない。それでも、この人は、現場から決して逃げない。自分にすべてまかせろ、責任も自分がすべてとる、みたいな物言わぬ気迫がうずを巻いて出ている。何か変則的なことを要求されるとする。理由は言わない。僕は、理由がわからないながら、それに従う。ことがすべて終わった後に、要するに誰かが損をしなきゃいけない時、その人はすべてを調整して、いちばん損な役回りを自分に持っていったりしている。いちばん年とってるのに、いちばんきつい役回りに自分を置く。そういう気迫だから、そう簡単には文句を言う気にもならない。でも、けっきょくあれは何だったんだ?と理由がわからない要求も多い。多いけど、でもあの人の言うことだから従おう、というそういう世界だ。ところで、現場から逃げない、この仕事の範囲内のことは、すべて俺の責任だ、という気迫は、どこの場所でもいつの時代でも、きっと通じる価値を持っていると思う。
2008 05/18 22:09:09 | none
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5月12日(月)
・今週末は、家電製品を金曜の夜に買い換えて、それへの対応の多くを週末に使った。先週末はGWで帰省していたが、今週末は何もしなかった。家にいて、文章を2つほど書いた覚えがある。サラダなども作った。変則的で、土曜の朝、ふだんより少し遅めの、9時すぎぐらいに起きたが、睡眠不足なので、昼過ぎからまた眠ってしまった。起きたのが夜おそく。それからスーパーに買い物に行って、料理をしたりした。それから真夜中ずっと、デジカメ写真の整理やら、メールのやりとりしたり、文章書いたりしてた。これで昼ぐらいにまた寝るんだろうなと思ったら、昼過ぎになっても寝なくて、風呂に入った。そのあと買い物に行って、天気なのにいい気候だった。こないだまで暑かったのに、涼しい風が吹いていた。そのあとまた料理などして、夜またパソコンに向かっていた。それで眠くてしょうがなくなって寝たのがたぶん9時前だったと思う。一度、2時すぎに起きたがまた眠って、けっきょくいつもの週日のように、朝の6時ごろ目がさめた。これが今週の月曜の始まりだった。
この週末の特徴は、自分でコントロールできなかった、ということだ。
これから10週連続ぐらいで祝日がないので、5日働いて2日休むという日々がずっと続きそうだ。そのうち休日の2日はきっとどれか、仕事などで潰れる可能性もある。

5月16日(金)
・また渡り鳥のたとえだが、その場の流れというものがある。それに乗れば、楽で、時間はあっという間にすぎていく。しかし、その流れに乗れない場合というのは必ずある。また、そういう時こそ、人間が、自分で判断して、マニュアルのないところを歩いていく人間が必要なんじゃないかな。だから、流れがあって、それに乗れる時は、そのままスーッといけばいい。でも、流れから外れてしまった時は、再び流れに乗るまでは、手動で動かなければいけない。30分間手動の時もあろう。1時間手動の時もあろう。あるいは、1週間とか、一カ月とか、3ヶ月とか、3年とか。その間、乗るべき流れがない。乗るべき風が吹かない。そういうのを経験するのが、苦労を知ってる、ということじゃないかな。いつだって、「あ、流れが切れた」と気づいた時は、ここは手動で動くべき時なんだ、と思って、あたかも流れに沿って自動で動いてるふりをしながら手動で動いていたりすれば、また流れも戻ってくるかもしれない。
ただ、流れにずーっと乗って、いつまでもやったのでは、刺激も成長もないだろう。流れの中にも、手動で動いて、少しでも改善したりして、それで、何書いてるか分らなくなったけどまあいいか。
2008 05/12 21:52:42 | none
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5月07日(水)
・GWはやはり帰省した。
・仕事をしていて今さらながら気づいたことは、疲れるか疲れないかというのは、単にエネルギーのカロリーの消費の問題ではない。仕事場が忙しい時、暇な位置にいると、かえって疲れる。超忙しくても、その中にいて超忙しいことに対応していれば、やはり汗をかいて超忙しくて、疲れてしんどいと思うのだが、それがある意味いちばん楽だとも言える。それは、その場の流れに乗るから。渡り鳥は、季節風にうまく乗って渡っていくという。そうすると、走行距離が長くても、楽に渡っていくという。仕事にも、そういう流れがあり、それに乗っていれば、いくらきつくてもそれが楽だということがある。逆に、その流れの外に出てしまったら、いくら楽でもかえってきつい、という逆説がある。今さらながら気づいたこと。
2008 05/07 23:22:51 | none
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