いで湯旅・山旅・鉄道旅・お遍路…様々な旅の迷路を巡ろう

2005年 11月 30日 の記事 (1件)


山梨紀行最終回は、いよいよ厄除地蔵尊祭り当日の模様です。
これからの自分のあり方の足がかりにもなりそうな有意義な時間でした。



         
               準備完了

翌朝、一階の奥の食堂で朝食を頂いていると、ロビーや玄関の方から明るくも騒がしいやり取りが聞こえてくる。
この宿の前にも出店が構えられ、日中から夜にかけては、温泉宿から主役に近い立場を奪い取る(?)ようだ。むろん主役は塩澤寺である。

朝の温泉街
女将さんの話では、山梨県全域のみならず、真言宗関連のお寺関係者をはじめ全国から参拝者が訪れ、その数は十万人を越えるという。ロビーで一服していると玄関の外では慌しく地元の人達が右往左往している。

この厄除地蔵尊祭りは、観光ガイドなど、一般的には「国の重要文化財に指定されている地蔵堂に安置されている本尊の石造地蔵菩薩坐像が、この日一日だけ耳を開き善男善女の願いを聞き入れてくれる」とされているが、昨日の塩澤寺のお身内の方からの話などを基にした私の解釈としては、空也上人による厄除地蔵菩薩像と完全な秘仏である弘法大師の坐像が一つとなり、それにより善男善女の願いに対して耳を開いてくれる、と解釈している。
女将さんにも確認したところそれは間違いないらしい。ただ、祭りの盛り上がりとは裏腹にその辺の詳しい根拠に関しては、案外地元の人達もよく分かっていないケースが多いそうだ。この辺は前述した下部での事情にも通ずる部分であり、私も苦笑いするしかなかったが‥。
宿を出る。時に午前九時。女将さんからは、「どうせ夕方くらいまで湯村にいるんでしょ、一段落ついたらまた寄ってくださいな」と一言。私は自然に笑顔が出て、おそらくそうする旨を伝えた。そして足は再び温泉街中心部に向かい始めた。

昨日は暗くてよく分からなかったが、昨日通った道の両側には既に開店直前の出店がズラリと並んでいる。祭りが始まるのが十二時からで、その一時間前くらいから急激に人が増えてくるらしい。
さすがに今はまだ地元の人が準備中という時間帯である。たこ焼き屋、占い、りんご飴‥等、自分的には初詣の神社の参道の風景のようだ。ただ、どんどん歩いている内にそのスケールに驚く。
温泉街のメインストリートのみならず、脇道にいたるまで、凄い数の出店だ。おそらく百件以上あるだろう。まさに?十万人を迎え入れる準備まもなく完了!?と言う感じか?徐々に温泉地全体の来るべき熱気をひしひしと感じ始める。

熱気直前の山門前
女将さんからは「参拝者が増え始めてから境内に入ろうしたら?とんでもない?ことになる」と言われたのを思い出し、早めに塩澤寺境内に入ることにした。山門の前に着くと、警察官だか警備員だか分からないが、ピーク時間を想定して警備の予行演習のようなことをやっている。かなり緊張した面持ちにみえる。

昨日来た時は真っ暗だったので改めて見ると、また違った顔を感じる。山門の両側の斜面に無数の石仏があり、そしてその石仏を従えるように斜面の中腹には、弘法大師像が佇んでいる。そして改めて感じた。やはり、ここが湯村の中心であり、また象徴なのだ。
山門をくぐり石段を上がる。境内はまだ、人はまばらで、関係者らしき人達だけのようだ。早く来て正解!
境内に入ると本堂の横に西堂と呼ばれるお堂があり、そこには弘法大師の坐像がある。ただ、そのお堂はここ(塩澤寺)ではいわゆる『大師堂』とは呼ばずあくまで『西堂』とよんでいるそうだ。そしてこの西堂は祭り中護摩札申込所になっている。改めて見ると、そこだけは申込希望者で結構人が集まっている。

祈祷護摩札申込所
早速私も行ってみた。正面には『祈祷護摩札申込所』とあり、受付のおじさんが四〜五人おり希望者を受け入れている。奥を見ると黄金色の弘法大師坐像がそのやり取りと見守るように鎮座している。

ここまで来たら私も‥、とばかりここは一つ申し込もうと言うことになった。受付のおじさんから話を聞きながら進めていく。

    志納料
まず『御護摩札祈祷志納料』とあり、金額によっていくつかバリエーションがある。

 〇 交通安全祈祷守     二千円以上

 〇 別護摩           二千円以上

 〇 大護摩           三千円以上

 〇 特別大護摩        五千円以上

 〇 大護摩開運隆昌     一萬円以上

 〇 特別大護摩開運隆昌  二萬円以上

となっており、それぞれ独自の意味が込められているようだ。私はとりあえず財布の中身と相談(寒い!)して『別護摩』を選択した。金二千円也。
すると今度は『厄除』から『必勝祈願』まで二十四通りのいわゆる願意を書いた紙を差し出された。「この中から任意に二つ選んでください」とのことである。

   願 意
自分としては、近年体調を壊すことがよくあり、また弘法倶楽部の今後のこともあるので、『身体健全』と『心願成就』というのを選んだ。この時ばかりは、客観的な取材の気分とは切り離れた心境だったのは言うまでもない。


          熱気と冷気

一通りの手続きを済ませた。後は祭り開始と共に実際に本堂の前で?厄除け?をしてもらい、その後宮殿(接待所)にてお札そのものをいただけるとのことである。

そうこうしている内に時間は十時を回った。省みると自分の行動のタイミングがギリギリだったのか?後ろを振り向くと申込希望者がいつの間にか大きな列をつくっていた。地元関係者の人達の行動もいっそう慌しくなってきたようだ。
ただ本番(?)開始まではまだ二時間弱ある。やや手持ブタさというか、時間を持て余す感じになってきて、本堂のまわりをうろうろしている状況。本堂の後ろは湯村山の山頂につながる山道になっており、ちょっと足を延ばしてみることにした。
      
境内は丁度山門から始まる湯村山の斜面に展開しており、本堂の裏は段々畑のように墓地が広がっている。本堂より前部はかなり喧騒してきたが、裏に回ると嘘のようにひっそりしており、霊気とも冷気とも取れる雰囲気が漂っている。裏の静寂が表の喧騒を見守っているかのようだ。
墓地が切れて山頂への山道と合流するあたりに、風変わりなお地蔵さんがあった。自然石の上に地蔵の首だけ乗っかっており、その顔がなんとも言えず愛嬌がある。丁度、赤塚不二夫の漫画に出てくるキャラクターのよう(?)

たんきりまっちゃん
後から聞いた話だと「たんきりまっちゃん」と呼ばれ愛嬌のある顔で、地元の住民にも親しまれているようだ。ただその愛嬌のある顔とは裏腹に由来は、昔痰や喉の痛みに苦しむ人が祈願して創ったとのことである。痛みから逃れたい一心をこのユーモア溢れる顔に託したとすると、なんだが逆に痛々しい印象もある。

湯村山案内図
このまま山道を登ってみたい気にもなったが、今日はここ二日間とはうって変わって曇天模様。頂上付近からの展望も望めそうもないし、第一これから祭り本番なのだ。時間的にもそろそろ引返すべきかと思い境内に戻ることにした。
午前十一時。あと一時間ほどになった。西堂前は申込希望者で長蛇の列となっており。本堂前は既に申込を終えた人と地元の関係者が入混じってごった返している。

本堂の表と裏はまさに熱気と冷気である。空を見上げるとヘリコプターが空中放送している。
「甲府市内のみなさん!本日と明日の二日間に渡る厄除地蔵尊祭りでは、道路及び交通機関等、大変混雑が予想されます!また行過ぎた行動はくれぐれも慎むようお願い致します!」
おそらく県警か何かのヘリであろう。なんだか阪神タイガース優勝時の道頓堀川のようで、改めて祭りの規模とその信仰心の発するパワーを再認識させられる。まだ始まっていないのに‥。
三十分前になり、そろそろ本堂前に行こうとして、ふと振り返ると「やはり!なるほど!」と思った。

本堂前からは湯村温泉街が見下ろせるが、とにかくメインストリートのみならず、小さい脇道までびっしりクロヤマの人、人、人、である。そしてその総てが真下の山門まで行列となっている。俯瞰すると四方に分かれた枝が山門前で太い一本の幹になって収束している、とでも言ったら当てはまるだろうか。山門前で一つになった行列はそのまま石段を上がり西堂の申込所まで続いている。

規制が必要な行列
横にいた警備のおじさん曰く
「まあ、願い事は長く待てば、長く待つほどよろしく聞いてもらえるんやろーなー、なんせ十二時にならな耳が聞こえんのやから、聞こえんかったらなんぼ願うてもだめやしねー‥」
なるほど、長く待てば待つほどご利益は多し、とも言えるのかもしれない。
いよいよ本堂前にも人がなかり集まり始めた。私も乗り遅れないように本堂の前に行くことにする。早く申込みを済まして多少余裕をカマしていたが、もうそう言う状況ではなくなったようだ。

  ほら貝
やがて、山門の横の宮殿の方から、七人くらいのいわゆる?使いの人?がほら貝を吹きながら、参道脇の石段を上がって来た。
「ブゥオゥー〜ン」
一瞬、境内内外の喧騒が静寂にかわり、熱気が冷気にかわる。
いよいよ?耳?を開ける、その時が来たようだ。

使いの人

 
        年に一度の同行二人

?使いの人?が本堂の前を通るころには、ほら貝は静まっていた。静寂の中、一人一人静かに本堂に入っていく。この中の誰かがあるいは、お大師様の秘仏を携えているのか?それとも既に、地蔵菩薩坐像のもとにあるのか?それは現時点では分からない。

本堂前は私の前に既に十人ほどが待っており、本堂の中をじっと凝視している。私も邪魔にならない程度に少し身を乗り出し目を凝らして見てみた。
やはり!既に本堂内では、地蔵菩薩像を前に護摩焚きが行われていた。

薄暗い本堂の中で、静に湛える炎を前に地蔵菩薩坐像がゆらゆらと照らされているのがわかる。どっしりしてかつ穏やかな表情だ。そして、
これが…
坐像の、丁度手の前あたりになる、補助台の上の小さな黒塗りの木箱。正面の扉は閉じられているが、
これこそがお大師様の秘仏なのである。

感銘している内にいよいよ本堂前の一人一人に対して厄除けが始まった。十二時を回ったようだ。私はその直前に本堂の中への目が切れてしまい、後はひたすら順番を待つだけであった。
私の番になり、前の人に習って両手を握り絞めて拝む。もう本堂の中を見る余裕はない。ひたすら手を握り締めていた。
その時の自分の心の中はもう憶えていない。また、木箱の中に秘められ、厄除け開始と同時に扉を開かれたであろうお大師様の秘仏そのものも、自らの目で確認する余裕すらなかった。
ただ、空也上人により大衆に受け継がれた信仰は、開創者である空海弘法大師の秘仏を介し初めて結実するはずなのだし、また私を含めこれだけの人々が本能的に引き寄せられるだけの歴史があるのだ。


弘法倶楽部毎号にもよく「同行二人」にと言う言葉が出てくると思う。四国八十八ヶ所においても、普通お遍路さんは「お同行」とも呼ばれ、これは志を同じくして修行している人というほどの意味かと思われる。
しかし「同行二人」と言うときは、単に仲間の遍路というような関係ではない。言わずもがな、お大師様、弘法大師と二人連れという意味である。お遍路さんは皆一人一人が金剛杖を介し「同行二人」の旅をし、そして八十八回の出会いを実現するのだと思う。

塩澤寺の厄除地蔵尊祭りは、同行の「旅」ではない、「出会い」である。ただしそれはわずか一年に一度しか実現しないのだ。そしてその一度きりの「出会い」の中に「遍路」の旅にも勝るとも劣らない信仰が凝縮される。
そう考えると、お叱りを承知で解釈するならば「年に一度の同行二人」とも言えるのではなかろうか。


私は今回初めて初めてこの塩澤寺における厄除地蔵尊祭りを体験した。そして湯村温泉と絡み合った歴史の流れと伝統を見聞したうえでの体験であったが、自分自身のちっぽけな探究心とこのような実体験が融合するには、まだまだ幼すぎる経験でしかないかもしれない。
しかし「巡礼」、「遍路」、そして今回の厄除地蔵尊祭りに集う十万人を越える人々…。そしてその一人一人の意識や信仰心の様々が、私のような人間にも「ほんの少しだけ」垣間見れたような気もする。


  宮 殿
その後、宮殿にて出来上がったお札をもらい、塩澤寺を後にする。祭りはこの後、明日の正午まで続くのだ。
私の体験は終了したが、「年に一度の同行二人」はまだまだ始まったばかりなのだろう。



いいだこがまるごと入ったたこ焼き
私は出店と人ごみでごった返す温泉街を歩き、所々出店にたちどまりながら、今日の朝のお話通りユムラ銀星に立ち寄った。そして忙しい中、昼食におでんといなり寿司をご馳走になってしまった。お代は辞退される。ありがとう。女将さんには深くお礼申しあげる。

出店を前にしたユムラ銀星
下部から湯村まで、昨日・今日と非常に濃密な時間な流れであった。まだまだ私なりの?がんばり?などとは言えないかもしれないが、まだまだ、今後も更に様々なことを吸収していくだろうと思う。


以上で、弘法倶楽部の3号から4号にかけて掲載(4号は未遂 )された「弘法大師ゆかりの湯と秘説の湯、城山・下部・湯村、山梨周遊」紀行は終了いたします。
しばらくお休みしてしまうかもしれませんが、まだまだ、下部温泉弘法秘説の続編や、秩父34ヶ所など載せたいものが幾つかあります。
その時はまたお付き合いいただければと思います。
2005 11/30 15:22:57 | none | Comment(0)
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