いで湯旅・山旅・鉄道旅・お遍路…様々な旅の迷路を巡ろう
今回は山陰の入り口、湯村温泉に向かいます。
ちなみに「弘法大師伝説をたずねて」から来られた方には申し訳ございませんが、弘法大師伝説は次の関金まで出てきません、あしからず。





予想はしていたが、餘部ホームへの登りはけっこうキツかった。しばらく山登りもしてなかったし、かなり体力も落ちているかもしれない。「土地のお年寄りもみんなこれを上がったり降りたりしてるのか。」と思うと、なにか底力の違いを感じる。
息がやっと整ってきた頃に、浜坂行きが、ホームに入ってきた。時計を見ると三時半過ぎ。湯村には四時半頃着予定。冬は暗くなるのが早いので、できればもう少し早く着けるのが理想だがまあしかたがない。

ちなみにこの餘部にも温泉があり、余部温泉・余部荘と称している。もちろん未入湯であり今回は割愛となるが、城崎と共に次回の課題とする。

浜坂にはアッという間についた。相変わらずの駅前ロータリー。ここから湯村温泉へのバスが出るのだ。浜坂はどうしても湯村の玄関口というイメージだが、町自体はこの辺の中ではかなり大きく、浜坂温泉という温泉もある。一度留まる価値もありそうだ。

なんだか次回への課題がだんだん増えていくような気がするが、今までもこんなパターンで旅歴が続いてきたような気もする。いで湯旅然り、山旅もまた然り。
湯村へは、浜村よりバスで約二十五分程、「夢千代日記」では、海が間近な印象で描かれていたが、実際にはかなり山峡に入っていく。国道九号線を岸田川に沿って福知山方面に南下し、峠を幾つか越えると三方を山に囲まれた谷間に湯村温泉が見えてくる。

時計を見ると、午後四時三十五分。ちょっと遅れ気味。やはりけっこう暗くなってきた。徐々に街に灯が入り始め、夜景への準備を始めているこの光景は四年前と同じだし、ドラマのメインテーマの最後に出てくる映像もこんな感じだった。先ほどの餘部のワクワクとは違い、なんとなくホッとしたような気持ち。
 バスは温泉街の周りをうかがいながら今日の宿寿荘の横のターミナルらしき所に着いた。ここが終点、湯村温泉。中心街からはやや離れているものの、バスから降りるとすぐに私の五感は荒湯からの湯けむりをキャッチした。

さっそく中心街に足を向ける。四年前とおんなじ。まずは周りをグルリ見渡す。春木川を挟んだ源泉の荒湯。川に架かる薬師橋。そして、橋のたもとの共同浴場「薬師湯」。今回の旅の冒頭“四年の月日をなめてはいけない”懸念が徐々に解け始めていくのを感じる。心体(からだ)に残っている以前の情景を浮かべながら散策を始めた。
荒湯では相変わらず観光客に交じって、エプロン姿のおばちゃんが卵を茹でている。観光客も生卵を買って一緒になって茹でているのがなんとも楽しそうで微笑ましい。
荒湯は揺るぎない湯村温泉のイメージだが、温泉の規模自体は城崎のように巨大ではなく、荒湯を中心にした箱庭のような感じだ。周りを山で囲まれているので、さながら箱庭のような小さな国といったところ。この情景やイメージが「夢千代日記」の湯の里温泉になったのだろうか。

 湯けむりをもうもうと吐き出す荒湯の源泉温度は九十八度。飲泉場で長柄びしゃくで源泉を汲んで茶碗に入れおもむろに飲もうとするがなお熱い。なんせ生卵ならものの十五分くらいで茹で上がってしまうのだもの。
また熱いだけではない。ここの名物で「荒湯豆腐」というのがあるが、この熱湯に豆腐を入れて茹でると温泉成分の作用で絹ごし豆腐のようにきめ細かくなるという。長い歴史の中で、いわゆる温泉業だけではなく、人々の生活の中にも温泉の恩恵が生き続けているのは間違いない。
NHKの「ふだん着の温泉」ではないが、こういう地は本当に愛する者にはこれからも永劫愛され続けるだろうし、またそうであって欲しい。

 荒湯から、春来川に沿ってやや南に行くと夢千代広場がある。その中心に吉永小百合をモデルにした「夢千代像」が立っている。この銅像の台座は世界平和を願って広島市から寄贈されたものだという。台座の真ん中には
        「 祈 恒久平和 」
とある。今の世界情勢を考えると胸が痛むが、かすかな微笑をたたえた夢千代像の表情は、餘部でみた観音像の表情とだぶってみえた。
 NHKで放映された「夢千代日記」は、“ドラマ人間模様”というサブタイトルが付いていただけに、夢千代以外にも様々な“なにか”を内包したキャラクターがドラマを創っていた。

吉永小百合の手形
自分の印象に強いのは特に後半ともいえる「新・夢千代日記」のほうだが、鈴木光枝演じる夢千代と同じく原爆症を抱え、夢千代の母親との友人だった「たま子」(夢千代は母親のお腹の中でピカドンに遭ったという設定)。
松田優作演じるボクシングで相手を殺してしまい過去から逃げ回り、夢千代から過去と戦うことを悟る「岡崎孝夫」。
あがた森魚演じる天涯孤独のストリップ小屋の「あんちゃん」(小屋内では、あがたの「最后のダンスステップ」が絶えず流れていた)。などなど。
いずれの登場人物も主人公と同じく“なにか”を背負い、またそれに必死で反発して生きているようにみえた。

早坂暁の手形
秋吉久美子演じる夢千代と同僚の芸者「金魚」も印象が強かった。訳ありの他人の子供を育てながら、芸者の仕事で知り合った大会社のドラ息子とデキて、最終的には子供とも決別し男と心中してしまう。
ドラマに於ける女性の登場人物で「金魚」という役名は、他で私が知っている限りでは、小津安二郎監督作品「早春」に於ける岸恵子が思い出されるが、金魚というあだ名は
「金魚は見た目綺麗で可愛いが、同時に煮ても焼いても食えない。」
という皮肉めいた比喩から来ているそうだ。ただ実際は純心過ぎる程純心で、過ぎたところから、他人の運命をも巻き込んでしまう。秋吉久美子も岸恵子もそういう役どころを熱演していた。自分の周りにも思い当たる女(ひと)はいないかな?。ふとそんなことも考えてしまった。
いや、失敬。脱線。
思い浮かべる程に枚挙に暇がないが、四年前も周りの風景を見ながらこんな感じでドラマを思い出していたような気がする。

今宵の宿は寿荘というところ。四年前は高山屋というこじんまりした家庭的な宿に泊まった。お湯も雰囲気も良かったので今回も泊まりたかったが、残念ながら満員だった。
寿荘は宿名の印象とは裏腹な鉄筋六階建ての巨大旅館。設備も整い清潔で従業員の応対も丁寧で気持ちが良い。一頃は宿泊料が高くガタイばかり大きい割りに細部や応対のいい加減な宿も多かったが、ここはそういうことはなく好印象が持てた。シーズンの一人客でも気持ちよく迎えられ、もったいないくらい大きな和室に通された。まあたらしい畳の香りが心地よく、まずはバッタリ、大の字。
しばらくして、いざ浴室へ。以外にもお風呂はシンプル。大きなタイル張りの浴槽。荒湯からの九十八度の源泉を引いて満々と湛える。適温。透明な単純泉。荒湯からはやや離れた位置に建つ宿なので、その間に適温に収まるのかもしれぬ。また宿でも多少の調整をしているのかもしれない。
入った途端、どうしても「あァ〜・・。」とため息みたいな声が出てしまう。四年振りの湯村の湯。まずはしばらく湯に身体を沈めたままであった。

夜、また温泉街をフラフラ散歩する。荒湯近辺は鮮やかにライトアップされ、温泉情緒をますます演出している。近年はあくまで、健全観光化される方向で、ドラマに出てくるようなストリップ小屋や怪しい飲み屋はない。いい様な悪い様な、複雑な心境にもなるが、まったく変わらなければ良いかというとそう言う訳ではなく、残るべきものと、消えざるを得ないものがはっきりしていればいい、とも思う。
薬師湯に入ってみた。四年前は地元の人と浴衣姿の宿泊客が渾然としていたが、今回はほぼ地元の人だけ。まだ八時前にしては少ないなと思った。
宿が巨大化すると土産もの屋や娯楽施設が宿の中に納まってしまい、客はあまり外へ出なくなるとよく言われるが、やはりそうなのか?一人勝ちみたいな風潮のある温泉地は、永い眼で視ると大概は衰退の道を歩んでいるが、湯村はそうであって欲しくないと切に思う。

薬師湯はいわゆる湯小屋ではなく、「湯村温泉会館薬師湯」が総称で、二階建ての建物で、一階が公衆浴場になっている。ひょうたん形の浴槽に熱い湯がはられている。ここも当たり前四年振り。湯は本当に熱い。寿荘の温度とは比較にならない。源泉に近い分九十八度に近いわけだ。同浴の人たちの会話からはドラマにも出てくるような、よもやま話が聞こえてくる。しばらくは眼を瞑りじっと浸り続けていたいと思った。

やはり湯村は名湯であった。いろいろな感慨が交錯はするものの、この熱い湯に同化していると、もういつの間にか“四年間の月日の懸念”は完全に解け去ってしまっていた。
2005 11/09 10:44:58 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

この記事へのコメント

この記事にコメントする

名前:
メールアドレス:
URL:
セキュリティコード  
※セキュリティコードとは不正アクセスを防ぐためのものです。
画像を読み取り、入力して下さい。

コメント:
タグ挿入

サイズ
タグ一覧
Smile挿入 Smile一覧