あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
2007年 12月 11日 の記事 (1件)
昨日皆様にお話したような大企業のやり方、国の政策の中で地方の工業界を活性化するためには、企業誘致を進めようというのは一つの方法として全く意味の無いことではないと思いますが、大きなグロバリーゼイション流れの中では、大きな効果を期待できる状況ではないと思います。
ではどうしたら良いでしょうか。地方の工業社会が活性化するためには、 1、開発能力の高い大企業の工場進出を受けいれらる状況を作り出す。 1−1 三遠南信道のような、インフラ整備 1−2 技術系大学、大学院を作り、人材供給体制を作る。 2、下請けとして仕事を受注できる企業を作る。 インフラ整備は1項と同じ 3、地方から新製品、新技術を作り売り出していく。 4、観光業界の活性化を計り、その波及効果として、農産物の増産、食品加工、お土産産業を閏わす、観光コースに工場見学を入れてもらい、製品の販売、企業の宣伝。
しかしながら1項2項は5年間効果0と言う結果であったことから大きな期待はできないでしょう。
そうなりますと、期待しなければならないのは3項4項で、これができないことには、飯田の将来はお先真っ暗ということになると思います。
私が約30年前飯田に引越した時お聞きしたところでは、当時飯田には世界第一の企業が5つもあるとお聞きしました。そんな話は今全く何処かに行ってしまいました。
その後、新製品開発では、飯田地ビールが生まれ世界で金賞を取る、ソーセージが世界で金賞を取るといった快挙があったのですが、これらも育て上げることができませんでした。
地元で育った企業でも、本社が他へ移っていってしまたところがあります。西友、ユニーも撤退してしまいました。
どうも私が飯田に引っ越してきてからを見ていますと、飯田では企業を大きく育てることが不得意。新しい開発があっても芽が育ってこない、育てることが不得意。
南信州新聞によりますと、以前は伊那市とならぶ経済力があったと言うことですが、衰退してきた理由は、世界の動きについていくことができなかったのか、それで良しとしたのか。
一つの地域、社会、会社にも登り坂の時もあれば、下り坂の時もあり、もう飯田市はだめだということは無いと思いますが、地域発の産業を展開することを真剣に考えないと再び登り坂に入ることは難しいと思います。
飯田市は昭和22年の大火を乗り越え、36年の大災害を乗り越えて復興してきたと言う歴史を持っていますので、体力、気力、知力と言う点で期待は十分できると思います。
私も微力ながらお力になりたいものだと思っています。
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