昨日のブログで、オートメレビュー社の白岩禮三氏がこのまま日本が行った場合の様子を書いていましたのでご紹介します。
日本は貿易立国を国是としているので、よって立つ基盤は加工貿易である。しかし肝心要のものづくりのGDPは2割程度に低下した上に、原材料価格そのものが高くなり、輸送費が嵩むようになったため、製品もまた高い輸送費をかけて輸出せざるを得なくなった。
競争の主体が新興諸国であるため、労務費の切り下げも避けられなくなった。それに食料品の高騰で生活はますます苦しくなってきた。
このような条件の下で、何をどうすべきかについての具体案を立案し、その企画を官民こぞって強力に推進して行く行く必要がある。
それが出来なければどうなるか。わが国の歴史を見ると、明治以降でさえ、
農村での娘の身売り、
中南米への移民、更には
満州への開拓移民の半ば強制的な送り込み、等々で人減らしを延々と続けざるを得なかった。
そしてこんな話は繰り返すことなど考えられない昔話となったかに見えるが、これは、戦後長らく高度成長時代に浸ったためであり、冷静に考え直してみると、日本の高成長時代の経済的基盤はけして磐石なものではなく、我が国にとって有利な条件がたまたま重なっていたに過ぎなかった。
白岩氏が以前言っていた、たまたま重なった好条件とは、
戦後日本が復興してきた時代は、世界で工業国を目指していたのは、世界の何分の一かで、工業資源は欲しいだけいくらでも安く入り、それに優秀な復員戦士がいっぱいいて、働く所もなく、安い賃金でも仕事があればと日本の復興にがむしゃらに働いてくれた多数の若者。
それと私は、日本が戦後60余年外国と戦争をしなかったと言うことが上げられると思います。アメリカにせっつかれて、自衛隊を持ってしまいましたが、もしこれが無かったらもっと発展していたと思います。なにしろ年間5兆円規模の予算を国民のために回せて、教育の一層の充実、福祉の一層の充実、都会と地方や、貧富の差の縮小による格差を押えることによる国力の充実。
娘の身売り、
移民、
開拓団の送り込みそれと、食糧事情の悪化による悲惨な生活。昨日、毎日jpに戦前戦後の食糧事情の記事が載っていましたが、国会議事堂前でさえも開墾して食料を作ったり、プランターにも植物を植えて上を凌いだ当時の写真が掲載されていました。日本独自では3千万人分しか食料が確保でき無いと言う事ですから、武器を持っていれば海外侵略も現実の話としてまた浮かび上がってこないとも限りません。何しろ日本は、過去を総括すると言う事に疎く、成功体験だけが深く脳裏に焼きつき、威勢の良い掛声に国民が勢ぞろいで諸手を挙げて(本心ではないにせよ)突き進んでしまうと言う過去を持っていますから、冷静に考える人達がたくさん生まれてこないと危険だと思います。
毎日jp戦時下の「食」この記事に賛同いただけた方は、多くのお知り合いの方々に教えて頂けたら幸いです。特に食糧難の問題は、自民・公明党の長期間による政治的貧困の結果でありますので、今度の総選挙で大きな争点としてもらわないと困る問題だと思います。自民党総裁選のお祭り騒ぎでお茶を濁してもらっては困る問題だと思いますので。