あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。

2009年 05月 05日 の記事 (1件)



昨日の登龍(のぼりょう)峠からおりてきて、底土港、神湊港を見て海岸づたいに島を回っていきますと、途中八丈富士に登る道があり、さらに進みますと、右手に降りていく道がありその道を下ります。右手を注意して行きますと、南原千畳敷と言う公園が見えますのでそこで駐車場に車を止め溶岩が剥き出しになっている海岸を見ます。振り返りますと男女一対の銅像があり、宇喜多秀家・豪姫の像とあります。まだ新しく、観光地図にも載っていないので、このブログを見られた方はぜひ寄って見てください。




詳しくは下記岡山県岡山市東京事務所のホームページに書いてあります。なお、この宇喜多秀家が八丈島第一号の流人だそうです。関が原の戦いで破れ、その時つかまっていれば死刑は免れないところだったのが、生き延びて薩摩藩に逗留後日つかまったのですが、妻の実家が前田藩主であったことなどから、徳川家としてもこの二つの大名からの強い嘆願があり、むげに殺すこともできず遠島となったようです。後日寄った八丈島歴史民族資料館の説明員の話でした。




それこそ江戸から遠く離れた海の孤島、流された宇喜田秀家とその一行はどんな気持ではるか南方を眺めたことかと今の私たちでもジンと来る風景です。




県岡山市東京事務所のホームページ

2009 05/05 08:15:03 | none | Comment(0)
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