あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。

2009年 05月 11日 の記事 (1件)


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歴史民族資料館と言うのは大体の土地にありますが、八丈島では流人が多かったということで、日本各地からいろいろの人が流されてきて一種の異文化交流の地であったようです。資料館の文書にも島の歴史は流人から受けた影響は大きかったと書いてありました。

島焼酎はたくさんありますが、これなども穀物を使ったドブロクは穀物の少ない島では禁制であったが、流人の中に芋から焼酎を造る技術を持った人がいて、焼酎が造られるようになったということです。

残念なのは、ここでも撮影禁止で写真が撮れなかったのでより詳細をご紹介できません。帰ってきて歴史資料館のホームページを探し見てみたのですが、ほとんど資料らしいものは載っておらず、もったいないことだと思いました。

何事も宣伝が必要ですが、行って見てみたいという気分にさせるには写真は効果があります。写真では実物を見るよりもどうしてもどうしても得られるものが少ないですからもっと良く知りたいと言う人は現地に出かけて見たいと言うことになります。しかしながら先生と言う職業の方は、写真を見せるとそれだけで満足して来てくれないとか、価値が落ちるとか、やくやく着てくれた人にじっくり見てもらいたいとか考える人が多いように思います。実業家ならとにかくこういうものがあると言うことを知ってもらわなければ商売にならないと考えて宣伝に躍起になるのですが、先生と言う職業の人はそれが少ないように思います。

浜松市水窪町の民族資料館でも同様なことがあったのですが、今では写真撮影も許可してくれているようで一歩前進です。長野県内では私が行ったところでは、写真撮影はどこもOKで違いを感じました。もし皆様の中に八丈島に行ってみたいと言うお方がおられましたらぜひ見学することをお勧めします。

なお、ここで感心したのは、建物は昔の学校を役場として使っていたのを転用し今では民族歴史資料館としていることです。こういう建物は、箱物として土建業者の餌食になり易いのですが、使えるものは手入れをして使うと言う姿勢は良いと思いました。
2009 05/11 06:36:25 | none | Comment(0)
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