あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。

2009年 06月 01日 の記事 (1件)


0001.jpg昨日は日曜日、私の住む飯田市では市が音頭を取り一斉道端清掃と、地区のおおむね60歳以上の人が参加する会の公園の草むしり。小学校PTA主催の新聞、空き缶、酒のビン集めで朝から人がいっぱい出ていました。こういうこともお付き合いで参加しないとまずいと、妻と手分けをして参加してきました。八丈島では道の草刈などは町が業者を使ってやっていましたがどちらが合理的なのか。私の場合は朝2時から仕事をしていましたので、できれば市が失業者の多い現在、失業対策として公道や公園などの整備をしてくれたら助かるのになあと思っています。悪いことばかりではなく、久しぶりにご近所の人たちと顔を合わせて良い点もあります。しかし今日が納期と言う仕事を持っている場合などは、早朝の仕事はきついのです。

午後3時頃漸く仕事が終わり、それを持ってお客様のところに提出、朝の仕事で汗をかいたし、昨日も仕事でお風呂に入ってないので、のんびり近くの温泉に行ってきました。そうしましたらまたまた車上狙い警告の看板。以前なら鍵をかけ忘れて盗まれた奴が悪いのだと何の不思議さも感じずにいたのですが、今回の青ヶ島、八丈島、御蔵島の旅で今まで当たり前と思っていたことが、それ自体がおかしいのであって、私の感覚が麻痺してしまっているんだと言うこと気がつきました。

どうしてこう言うことになってしまったのか。泥棒や何やら不正なことをしてもわからなければ良い。盗まれた者が悪い。沖縄で米兵によって強姦された少女は夜中に出歩いていたのが悪い。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんはどうなのか。正直者が馬鹿を見ると立ち回りが悪い。会社でサービス残業をしない者がいると、サービス残業をしている者たちが、会社に協力しないと非難する。国会でも学のある国会議員たちが一つのことについてかんかんがくがく論議していても、レトリックの優秀な者が有能な政治家と評価される。昔ナチスが、「嘘も百回言えば本当になる、嘘も千回言えば本当でも嘘でもどうでもよくなる」と言うようなことを言ったそうですが、日本中大所高所から、嘘でもデマでも垂れ流すのは自由、騙される者が悪いのだということで来ていますので、力の無い不満を持った庶民は、とにかくお金が欲しい、今日食うお金もないという事で車上狙いぐらいは許されるだろうという理屈をつけて車上狙いやら何やらやってしまうのだと思います。

世の中理不尽なことがまかり通っています。昨日一休みとコヒーを入れてサンデープロジェクトを見ていましたら、母子家庭の子供が「お金が無いから、高校には行かなくて良い。」と言っているという話しをしていました。今の日本では、高校以上の子供の教育は、国の責任ではなく家庭の責任で必要と思ったらすれば良いと言うことなので、母子家庭になったのも母親の責任。その結果子供の教育資金がないのも母親の責任。しかしながらこういうことでは当の子供はどうなることでしょうか。自分ではどうにも出来ない事柄で、自分が勉強をしたくても中学卒業であきらめ、回りの多くの同級生が高校進学に燃えている時どんな気持でしょうか。悔しさ、切なさ、憤懣やるかたない気持になることと思います。

また不況で失業者が増えてくると犯罪が多くなるということも言われていますから、町が税金で写真のような看板を作らなくても良い社会を目指すべきだと思うのですが当分無理ですかね。個々の家庭で対処できる問題ではないですから、そうなりますと国の政治と言う面からの追求が必要になってくるのではないかと思います。
2009 06/01 12:20:12 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー