あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。

2010年 02月 16日 の記事 (1件)


一昨日中華料理店で娘さんが昨年12月末に、私抜きで妻が家族を連れてお店に来たので、私が死んでしまったのかと心配してくれたとのことでしたが、年末どうして家族でなくお母さんのところに行っていたのというので、年末年始を母も飯田に連れてきてみんなと一緒に過ごすためだと言ったら、そんなこと信じられないというのです。

この辺の人はみんな自分のことしか考えず、お父さんやお母さんを連れてきて一緒に過ごすなどと言うことは考えないとのこと。それは子供の教育しだいだと返事をしておきました。あんたも両親思いの良い娘さんだが、それだってご両親がそういう風に育てたからだよと言ったら、そんなことはないと謙遜していましたが、親がどのように子供を育てるかと言うことは、子供の考え方に大きく影響していると思います。

今冬季オリンピックで、盛んに日の丸の旗が振られていますが、私は日の丸の旗を見ますと血で染まった侵略戦争の話を思い出すのです。私が生まれたのは戦後の昭和21年、もの心つくまでは、敗戦のあおりで食べ物も十分無く多くの老人が歯医者にもいけないで固い食料しかないので噛むことが出来ず飢えで死んでいった話を聞いたり、我が家も貧しかったので、十分な食べ物着る物が無く大変だったことを母から聞いて育ち、シベリヤ抑留から帰ってきた人の話を聞いたり、一番強烈に今でも覚えているのは、銃剣で人を殺すことは初めての時には怖かったが、それ以降はなんとも思わなくなってくるものだという話。もし戦争が続いていたら、私も俵を刺すように安易に人殺しをしていたかもしれないと空恐ろしくなりました。

米兵がパラシュートで降下してきた時は、村中総出で竹やりを持って突き刺したと言う話。表向きは天皇万歳と言っていても、皇太子が近くの駅を通るときなどは歓迎の意を示すため、これも村中総出で集められて日の丸を振ったものだが内心では皆、馬鹿にしていたのだとか、高校の時には講堂があって、昔はここに天皇陛下ご夫妻の写真を御真影といって現人神として最敬礼をして祭ったものだとか、福沢諭吉が「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言ったけれど、戦争前はそんなことはあり得なかったとか、君が代を斉唱したものですが、戦争で負けて国の主人公は国民と言うことになったのに、どうして戦前の歌を国家として歌うのかなど不思議に思ったものです。

そういう風に育ってきたので、私が日の丸、君が代などを反吐が出るほど嫌いになってしまったのだと思います。日の丸、君が代について良い話は聞いたことがありません。

人は権威のある人たちが、こうだと言えばそんなものかと思ってしまう傾向があり、九州を一歩も出たことが無い人間に日本で一番高い山は何と言う山だと聞いたなら、一回も見たことの無い富士山だと確信を持って答えるのは、小さな時からそういう風に教え込まれたからだと言う話。

今戦争のことを知らない若者たちが、無邪気に日の丸を振ったり君が代を歌っているのを見ますと、空恐ろしい思いがします。これらは天皇制の残渣ですから、当時の思想の温存物であり、これにいつしか御真影まで復活したら、これはもう思想的には戦前の復活です。日の丸、君が代の果たした歴史的役割を今の若者にマスコミがその力を発揮して教えていくと言うことが求められると思うのですが動きはまったく逆のような気がしてなりません。そんなことを中華料理店で思いました。

昨日は、フレックスで最初は例の財務諸表の勉強を、エアロバイクで30Wの負荷から読み始めたのですが、40Wでもう本を読めなくなってしまい、本を読むのをあきらめて負荷を60Wに高めて200Kcalまで運動してきました。55分かかったのですが、この程度の負荷の運動を、休み無く2時間続けられれば、基礎体力としては6年前ぐらいに復活と言うことになります。体力が戻ったらトレッドミルで早歩き、ジョギング、ステアマスターへとつなぎ、ちょうど桜の季節に外に出て桜を見ながらジョギングを楽しめられるようにもっていきたいと思います。

財務諸表の方は、金融商品の扱い方、減損処理まで進みました。
2010 02/16 11:37:42 | none | Comment(0)
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