あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。

2010年 04月 26日 の記事 (1件)


昨日は、飯田美術博物館主催の「飯田領主ゆかりの地をめぐる」の2回目の見学会で、マイクロバスを使って、追手門跡 二本松 天神神社(普門院天満宮)普門院跡 新建柳田家跡 伝馬町枡形跡 大門跡 長久寺 堀家墓所 大宮神社 今宮郊戸八幡宮 白山社 愛宕神社 願王寺   鳩ヶ嶺八幡宮と回ってきました。旧跡間はバスで移動ですが史跡内はほとんど階段がありますから、一昨日20km歩いた体には堪えました。登りはてすりをつたい、降りもゆっくり降りるといった風です。それでも笠松山に登ったときには階段を真直ぐ下りることが出来なかったのに、2日連続して階段の上り下りが出来るようになってフィットネスクラブに通っていたおかげかと嬉しくなりました。フィットネスさまさまです。

見学会の方は個人ではとても知りえない数々のお話を聞くことが出来ました。一番印象に残ったのは、飯田では商家も武家も江戸時代の跡継ぎは、養子が多く武家などは藩主が跡取りを指定して養子にしたぐらいだとのこと。ですから商家にしても武家の家でも美形の娘が生まれれば安泰と言うことでしたが、明治時代に入ると、血筋ということが重んじられて衰退の一途をたどったとのこと。

それはどこにでも共通した話かなと思ったしだいです。長男のボンボンが跡を継げばまずだめになっていくと言うのはよくある話です。

二番目には、飯田の殿様は江戸幕府の重鎮だったのですが、国学者が多く水戸藩とつながっていた人もいて、水戸の浪士が飯田を通るときには、幕府から鎮圧の命令が下っていたのにそれに従わず、裏道を通してしまったが幕府からお咎めは無かったとのこと。

時代が明治時代に変わるとそれまで日の目を見なかった国学者が表に出てきてさまざまな活躍をしたとのこと。それにしても過去を知ることはためになるなあと思いました。

養子の一人柳田國男

この間、財務3表の年度を超えた処理方法についても理解が出来、解決したので気楽な気持ちで体力つくりのほうに傾注でき良かった2日間でした。屋久島から帰ったら資金計画書作成などの勉強に移って行きたいと思います。

24日、今日はメタボ対策で縄文杉登山訓練かね20kmコース挑戦。

25日、20km完歩、これで屋久島大丈夫。今日は「堀侯ゆかりの飯田城周辺地をめぐり」。

2日間早朝から出かけたため一つしか更新できなかったものです。のブログは簡単なため忙しい時はのブログだけは更新しようと思っていますのでよろしくお願いします。
2010 04/26 07:35:59 | none | Comment(0)
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