あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。

2012年 04月 07日 の記事 (1件)


蓼科で我が御先祖様かもしれない矢ヶ崎城跡を初めて見たのでインターネットのヤフーで調べてみました。
たくさんあったのですが、矢ヶ崎城は別名、鬼場城とも言われたらしく、矢ヶ崎城とか鬼場城で検索できました。

私の生まれた村に伝わる話しでは、平安時代か安土城桃山時代に作られたと言われる矢ヶ崎家の墓があり落人として流れて来たのではないかと言われています。

安土城桃山時代なら武田信玄に戦い敗れて逃げ延びたのかもしれません。たぶんそうでしょう。

村には、今でも古い家系図の巻物が残されていて、それには何とか天皇の子孫であることになっています。

しかし信州大学の先生が調べた結果では、江戸時代に作られた偽造品だったようです。

どうもその時古いお墓も調べたと思われるのですが作りが平安時代か安土桃山時代の作風だと言うことですが村の人たちはそれを誇りにしています。

今度村に帰ったらそのお墓の写真をご紹介したいと思います。
2012 04/07 09:12:11 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー