あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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老人いじめ、格差社会が進行して、人生の先行きに明るい物を見いだせなくて自殺へと追いやられる人が毎年3万人以上10年も続いていると言う事ですが、これは根本原因である政治や経済にメスを入れないとこう言った傾向はなくならないと思います。追いやられた状態の人が死んだところでどうにもなるものでもないのは明白な事です。 また若い人はエネルギーがあるので、社会への恨みつらみを人を巻き添えにして死んで行こうという人が徐々に増えてきますので、全く罪もない、恨まれる必要もない人々が犠牲者になってしまう。秋葉原の事件はその表れだと思います。 そんな状況に追い込まれてしまう前に、何百年も前から人々の信仰の対象となってきた石仏の顔を見ますと、素朴な人々のエネルギーを感じます。食うや食わずの貧困の中からいくばくかのお金を寄せ集め、こうやって祭ってきた人々の思いに比べれば、今の私達の苦しみはいかほどのものかと思い至ることと思います。 この歴史の重みは、食生活一つとりましても、飯田地方は昔中馬の一大基地であって、馬が多かったとの事ですが、それで馬刺しやおたぐりなどが昔から良く食べられ、馬がほとんどいなくなった今でも、馬刺しやおたぐりが好まれる地域です。 ですから何百年も地域の人々から信仰の対象となっている物は今でもその力があるのだと思います。
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