あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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昨日は飯田市では一番大きいと言う今宮神社の例祭で、午後1時から夜5時まで町内を回り、その後今宮神社まで行き、夜9時まで広い今宮球場の中できおいをして、10時集会所に戻り、11時まで慰労会。歩いた距離にすると6km程度だと思いますが秋とはいえ日差しが強く坂が多いのでとても疲れました。
御輿の万歳三唱御所もうと言う家は、だいたいの家がござなど敷き酒宴の用意がしてあり、お神酒が出るので皆さん真っ赤な顔をしています。
昼間からたっぷりお酒をいただき、私も真っ赤になって万歳三唱を唱和しながら回ったのですが、こう言う時は、お酒の他にも、その家で漬けたお漬物が出されるので、それらを一口ずつ頂くのが楽しいのです。
昨日も10軒ぐらいの家だったと思うのですが、その家のお漬物が出され家々によってみな味が違うので大変楽しく良かったです。
そもそもお祭りは子供たちのためにするのですが、私達の住んでいる町内は約300軒の家があって子供の数も多いので子供御輿も作られ、鉢巻きをし法被を着て嬉しそうににこにこ飛び回っていました。
こうやって小さい時から大人に大事にされ、いたずらをすると小父さん達から大声で叱られて、自分も大きくなったらあの大人の御輿を担ぐんだという小さい時からの憧れが郷土愛をはぐくんでいくのだと思います。
また回っていますと、小さな子供が大事そうに木の実をとって持っていたのを一粒くれたりして、日頃あったことの無い子供たちとも交流が出来ます。
集会所では、炊き出しの婦人会の人たちと会えたり、御輿担ぎでは、こんな精悍な若者が近くにいたのかとか、婦人御輿ではこんな素敵なお嬢さんが近くにいたのかとか、お神酒を出してくれた家とか、家の前で見物していた奥さんや娘さんなども初めて見る顔が多く、この地で長く生活するには欠かせない人付き合いの輪も広がっていきます。
それと大事なのが、災害などの緊急時、ご近所で助け合うしか無いような状況になった時です。日ごろ近所とのお付き合いをしていないと困った時だけ助けてくれと言っても、誰も助けてはくれないでしょう。
良く、智恵を出せ、知恵の出せ無い者は金を出せ、智恵も金も出せない者は汗を出せ、汗も出せない者は静かに去れと言うような諺があったと思うのですが、地域での数々ある催し、災害時の場合は、あらゆる力必要になってきますので、自分でできる方法で参加すれば良いのだと思います。
このお祭りにしても、私のような62歳になろうとしている者にとって、御輿を担ぐなどと言うことはとてもできませんが、警護と称して御輿にくっついて歩くだけでも、賑やかになりますし、担いでいる人が落としたものを拾って歩くと言うことも出来ますので十分価値があるようです。実際その他大勢のいない御輿はとても見ていて淋しい物です。
過去2回ほど、グランド内に入ってきおいをしたり、何回かは一般の見物客として観覧席で見たことがあるのですが、今年はぐっと人が少なくなったような気がしました。飯田で一番大きな祭りですが、先ずは各町内の人が少なくなって、みこしを担げる人も少なくなってしまったと言うこと。他の町内の人のお話では、年番の仕事も従来のように一町だけではやりきれなくなり数ヶ町まとまらないと出来そうに無いとのこと。
このお祭りでの見ものの一つに花火があるのですが、その年にはやった、あるいは社会現象を花火で表現するのですが、今年はポニョポニョでした。私にはよく分からなかったのですが、観客の皆様が驚いて声を出していたので上手く表現していたのでしょう。来年は何になるか楽しみですね。
また回って見て思いましたことは、これは私の故郷でも同じですが、お祭りに返ってくる人が少なくなったと言うこと、ガソリンの高騰もありそうなっているのではないかとも思いました。座敷で、家族と遠くに行っている息子や娘、親戚の人たちで祭りを祝うといった光景も少なくなり、これは受け入れる家でも負担がありますので、経済的余裕もなくなってきているのではないかということ。
色々の意味で、こんなところにも、日本の衰退の具体的現象が見られるような気がしました。昔のように元気な祭りにするにはどうするか、これも私達の今後の課題だと思いました。
皆様方もお近くのお祭りにはついて歩くとか、お友達を誘って見に行くとかして地域の人達が活気つくようにしていただきたいと思います。
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