あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
このお盆で子供や孫たちが帰ってきていろいろ話を聞いていいると、私たち63歳の時代の人間は貧乏だったにしてもいい時代を乗り切って来て、なんとか奨学金やお祖父ちゃんお祖母ちゃんの実家を使わせていただくことで3人の子供たちを大学まで出し、結婚式の援助もできて良かったのですが、孫がどうなるか心配です。私たちが元気でいられれば年金で生活した残りを孫たちの教育にまわして次世代を作ると言う大仕事ができるのですが、それにしても孫の両親が健在で安定した職業に就き安定した収入があることが前提です。

ところが昨日のサンデープロジェクトの各党書記長、幹事長討論を聞いていると、またしても犯罪的大臣だった竹中氏が出てきて、自民党公明党さんと、日本の経済がこんなになってしまったのは、小泉内閣時代の経済政策を手直ししながらも断行してこなかったことが原因だと言い張っていました。強い企業法人を作れば自然に国民は潤ってくると言うもので、格差発生はやむえないのだと言う理屈です。しかし事実はどうかといえば、そういう政策の結果国の借金は膨れ上がり、格差は広がるばかり。もう少し我慢していれば良くなったと言うのは根拠のない理屈です。かっての「欲しがりません勝つまでは」精神を要求しているのです。

しかしながら、福田総理大臣になって以来、少しずつ修正せざるをえなくなって、麻生総理大臣になったとき、「新自由主義経済」との決別に触れざるをえなくなってきたわけです。もしそのまま小泉内閣の路線を突っ走っていたなら、日本経済はもっとひどい打撃を受け、国民生活は疲弊したものになっていたと思います。

アメリカのバブル崩壊の影響が日本が一番大きかった理由として、日本経済が外需依存型経済であったことはどの党も認めているのですが、これから先どうするかについては自民公明両党ともアメリカを主とした輸出先には出来ないが、中国、インドなどを輸出先にすればいいと言うような論調でした。このため引き続き先ずは日本の大企業が、これらの国に打って出る体力、資力を充実させるのが一番であると言うものでした。

しかしながら、戦後の復興期から今までと違い、中国やインドは工業国へと変身して、日本の従来産業はとても価格で勝負できないところまで来ています。ですから派遣の自由化や、正規職員の賃金の上昇を抑えてきたのだと思います。そして福祉や介護を抑え、教育も押さえ、格差が広がり今のようになってきたのだと思います。なんとか生き残るためにはやり国内消費を大きくしないことには、圧倒的国内の製造業は生き残れないでしょう。

根本的に政策を変えないと、先行きは真っ暗だと思います。そうできなければ、20歳代になった孫たちの生活はどうなっているか、そして私たち80歳の老人はどうなっているか考えただけでもぞっとします。

自民党・公明党は過去の成功事例しか頭に無く、もはや世界の政治経済事情の変化に着いていけなくなっているのだと思います。

もう一つ問題は、我が子供たちは日本が経済復興している絶頂期に大きくなってきているので、それが当たり前の社会で育ち大人になって大学を卒業する頃、経済の変調が起こり出し、卒業するときなどは会社の健康保険脱退届けを出したら会社が子供さんは健康保険のある会社に就職できましたかと聞いてくるほどおかしくなって、幸い皆そこそこの会社に就職できたのですが、世界と日本の会社の様子がおかしくなってくると、会社自体、個人が勝ち組に残れるか否かの旗色がはっきりしつつある中で厳しい局面に到来しつつあるようで、その中で自分はどういう立場に立てば良いのかまだはっきりしていないようです。その他大勢の中に入る可能性が高ければ、その他大勢を守ってくれる政党を支持したほうが得ですが、まだ勝ち組に残れる可能性が高い場合が問題です。長い歴史の中では、その他大勢が主人公となってくると言うのが流れですが、個人の問題となってくると、昔遠いベトナムで何千人死のうが、自分の指に刺さったとげの方が問題だと言うことで人間きれいごとだけで生きているわけでもないので難しい判断だと思います。
2009 08/17 08:50:48 | none | Comment(0)
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