あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
yosiokajyouzumen.jpgいろいろのホームページを探してみたのですが、城郭に関するページを見つけ出すことができませんでしたので、私が写した2枚の写真をパノラマ加工したものをご紹介します。3脚なしで撮っているので、すっきりしていませんが、おおよその所はわかっていただけると思います。後方を、険しい山々で守り(少し下條村の役場主催のツアーで歩いたのですが、ほんとに険しいです)、サイドは川に囲まれ、これもまた険しい傾斜です。前方は天竜川、強固な要塞だったと思います。下條氏関係のホームページサーフィンをして見ますと、遠く平谷地方まで傘下に治めていたと言うことです。最後の代の康長という人は、家康から特別な扱いを受けて、家康の一字をもらい康長と名乗ったほどでしたが、いろいろのことがあって、最後は滅亡してしまいました。12代目だったそうですが、一つの家系をあらゆる状況に対処して乗り切り維持すると言うのは大変なことであろうということが偲ばれます。

インターネット内でも沢山のページがありましたが、もう一つご紹介します。より詳しくお知りになりたい方は、下記ホームページ、更に詳しくお知りになりたい方は、下條村や飯田市図書館に連休や、定年後は長期滞在、年金生活をこちらで過ごして頂き、地元の歴史研究者の方のお話をお聞きして調べて頂きたいと思います。

家紋ワールドの播磨屋さんの下條氏説明ページへ(リンクのご了解は頂きました)
2005 11/14 10:16:28 | none | Comment(0)
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