あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
gokurakutouge1.jpgこの峠は、3つある極楽峠のうちの一番古いものだそうで、丁度登った時は霧が出ていて写真もかすれたもになってしまいましたが、今こ地方の歴史家の先生が説明しているところです。私は耳が遠いので全てを聞き取れなかったのですが、この峠ができた頃の役割は、主として軍用道路だったようで、人と馬が通れるほどの道です。昨日ご紹介した極楽峠は荷役が盛んになってきた時代に荷車が通れる程度に広さが取れる位置に作られ、新極楽峠は、自動車が通れる位置に作られたものです。鉄道の発達、自動車道の整備につれて使われなくなったり、また、荷役に従事していた人たちの職業が無くなったり悲喜こもごものことがあり現在に至っている流れからして、これからも大きな変化があるかもしれません。そんなことを思いながらお話をお聞きしました。
2006 02/10 13:38:37 | none | Comment(0)
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