あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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先に書きましたように、大鹿村には南北朝時代の宗良親王が住まわれ、江戸時代に伝わった歌舞伎で一谷嫩(ふたば)軍記 熊谷陣屋の段の熊谷直実の子孫が宗良親王を助けた初代天龍村熊谷貞直であるという話。そして宗良親王の李花集歌碑が昼神温泉で有名な阿智村園原の里にある等々。この3地点だけでももし物語風にまとまれば、これは歴史的に3点を結んだ面の話しとなりいわゆる風景だけの面の観光でなく多くの人の好む歴史めぐりの話しとなって多くの歴史愛好家に来て頂ける可能性も出てきます。それに南信州の歴史を彩る、関氏、熊谷氏、下條氏の話が加われば大きな観光資源となることは間違い無いところだと思います。そして良いことにこういった歴史に詳しい人がいたのです。天龍村史を読んでいまして判らないことがありましたので天龍村教育委員会にお聞きしましたところ、教育長さんに回答して頂けまして、これ以上詳しいことは関氏十八代のご当主か奥様に聞いて欲しいとのことで、早速昨日お伺いして来ましたが、奥様にお忙しいところを時間を割いて頂きお話をお聞きすることが出来ました。70歳とのことですがもうタフの塊のようなお方です。ご活躍の詳細はこれからおいおいご紹介します。お話の後たくさんの資料をお借りし、後日1日とって史跡めぐりをして頂けることになりました。
そして、このお二人のお持ちの資料、お話がインターネットの世界に残ることは、この南信州の歴史に関心のある方々にこれからも長く目に触れる機会ができるわけで(検索キーワードから)もしかすると本よりも多くの方に見ていただけるかもしれません。本はその本を見た人にしか分かりませんが、インターネットは、南信州のキーワードを入れるだけで、だれでも、いつでも、世界中どこからもで見ることができますから。私としましても、こう言う仕事にタッチできたことを大変嬉しく思います。皆様もご期待ください。
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