あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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昨日で水窪町の私の手持ちの資料は全部使い果たしました。9月15日には秋に祭典が各地にあり、大鹿村の歌舞伎をはじめどこに行こうか迷いましたが、この後、阿南町に戻りその次が天龍村となるので、天龍村の資料がまだ少ないことからこの地方としては有名な天龍村平岡にある満島神社の祭典を見てこようと行ってきました。たくさんの人にお聞きしたのですが、お見せのお婆さんは、昔は広い道が人であふれかえり、お店の人などは人垣で見ることができなかったぐらいだと懐かしがっていました。今は人が少なくなってしまい、店の前をお練が通る時でもこうして簡単に見られるよと言っていました。私と話した後、店の斜め前にある綿飴を買いに小走りに走り、嬉しそうに綿飴を食べていました。いくつになっても小さな頃からの習慣はいいものだなあと思いました。また、別の人にお聞きしたら、自分はこの町で生まれたのではないので、人が少ないのでこうやって駆り出されているのだが、やはり小さい時からこのお祭を味わってこなかったので、心底楽しめると言う気がしない。自分の子供たちは、あかちゃんの時からこの笛と太鼓の音を聞いて育っているので、今では夢中になってお祭に参加していて笛を吹いているとのこと。羽織袴で正装して、このお祭を、椅子に腰掛け見ていたご老人は、後継者達の頑張っている姿に感動し、声を潤ませてこのお祭は今日1日朝8時過ぎから17時まで練り歩くのだそうですが、それはきつく、太鼓でも約2kgあり、撥2本を持ってわらじは2回は変えるそうで血豆ができて中途半端ではないとのこと。後継者の踏ん張りに自分の若かった頃を連想して感動していたものと思います。声援を送っているお店の人たちももう興奮しています。乳母車のあかちゃんも法被を着てハチマキをして、昔より少ないとはいえ、町中総出といった雰囲気。太鼓が一休みした時、若いお母さんが、よちよち歩きの子供さんをお父さんのところにやって写真を撮っていたのであまりにも可愛く私も撮らせて貰い、今日にブログに載せても言いと許可をもらったので掲載します。 これからを考えると言うところは今日は長くなりますので明日にします。
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