あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
bunna.jpg

2日目には、売木村の売木太鼓を「ぶんな」という女性チームがやってくれました。売木村も良く行く所ですが、どこにこんな女性がいたのという感じです。このお祭りで初めて知ったのですが、太鼓も新しい曲がドンドン生まれているようです。ところでこの「文和」とは何だろうと思っていましたが、説明がありました。売木村の村木は「ブナの木」だそうで、また、売木村では太鼓を打つのを「ぶん殴る」ということで掛詞として「ぶんな」という名前にしたとのことです。

この太鼓の余興として、観覧者から太鼓を打ちたい人に打たせるというのがあり、なかなか出て来ないので、近くにいた一歳位の女の子を抱き上げて打たせたところ、これがびっくり、素晴らしいリズム感なのです。説明によりますと生後3ヶ月から太鼓をはじめたそうで、お人形さんのような目をしてにこにこしていました。

そこで私が思ったのは、先にご紹介した天龍村の平岡で乳母車に乗せられた赤ちゃんが鉢巻をして法被を着て、小さい頃から威勢の良い太鼓の音と、笛の音、浦安の舞の鈴の音を聞いて育てば、否が応でもその季節になれば体がお祭りモードになっていくと書きましたが、こう言う体験をしながら大きくなっていけば、無性に故郷が懐かしく、大事なものになってきて郷土愛が無いとか云々することも無いだろうと思いました。郷土愛を育てないのは大人の責任ですが、過労死するほど働かされて、3交代も多くなり、また女性でも深夜の勤務が多くなり、家庭や学校は崩壊し、子供の躾や教育ができず、ましてや郷土愛を育む活動などしている暇が無いといったのが現状ではないでしょうか。最近失われた10年は取り戻せたかという記事を読みましたが、その記事では取り戻せず、その穴埋めに何をしたかと言うと、大リストラと、過重労働、大量の国債発行で乗り切ってきてそのツケが現在いろいろの問題を生み出しているとありました。

しかしながら、命令に従い働かなければ首になってしまいますし、子供を犠牲にしても夫婦共働きでなければ、テレビや新聞、雑誌でキラヤかな生活水準を繰り返し宣伝されれば、とても物質的なレベルを落とした生活はできません。しかし田舎ならそれができる可能性があるのです。車は走ればいい。家は雨風がしのげればいい。服装はぼろを当てていてもいい。野菜は果物は安い。家賃もまた安い。ぼろは着てても心は錦のような生活がまだ可能です。

太鼓の音を聴きながらそんなことを考えました。
2006 11/28 08:36:40 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

この記事へのコメント

この記事にコメントする

名前:
メールアドレス:
URL:
セキュリティコード  
※セキュリティコードとは不正アクセスを防ぐためのものです。
画像を読み取り、入力して下さい。

コメント:
タグ挿入

サイズ
タグ一覧
Smile挿入 Smile一覧