お隣の阿智村との合併に向けてたいへんの様です。日本中の農業が大変な状況ですが、現金収入が増え若者が結婚して家庭を築き子供の教育ができ明日へ希望が持てる社会にできないと、10年後20年後の食料問題にも発展しかねないのですが、その間どうやって維持していくか、福田政権はどのような処方箋を提示してくれるかこれからの臨時国会は注目して見ていたいです。私達からの提案も大事ですので、皆様ブログで大いに提案を発信しましょう。私も今考えをまとめている最中ですので後日ご紹介したいと思っています。清内路村の場合は、この村で取れる農産物の有効利用を考えているようです。これから紅葉のシーズン、国道256号線沿いを通られたら清内路村で足を止めてポリタンクとクーラーボックス持参で美味しいお水や、長田商店様であかねちゃん焼酎、お豆腐、お漬物など買ってお家で楽しんでください。
┏ 清内路の山里から ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┣━┳━┳━┳━┳━┳━┓ ◆ビレッジャー通信◆ 21号
┃清┃内┃路┃く┃ら┃ぶ┃ 清内路をみんなで楽しむために
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━ 2007.9.28
清内路ビレッジャーの皆様お元気ですか。
清内路は朝晩の涼しさも感じられるようになりました。
9月16日には「清内路村大運動会」が開催されました。当日は、朝から雨
が降ったり止んだりの天気で、不安定な中での開催でしたが、子どもたちの元
気で何とか競技も開催できました。
5年ぶりに復活した組体操「スーパーモンキー」では、小学1年生から6年
生まで、倒立や肩車といった競技を始めフィナーレは清内路の伝統「手づくり
花火」でもフィナーレを飾る「大三国」が披露されました。また、保育園の子
どもは「目覚まし体操」を楽しくかわいく踊っていました。
他地域では見られない、赤ちゃんからお年寄りまで参加し小学校の運動会も
合同で開催する「清内路村大運動会」。雨にも負けず、今年もみんなで作り上
げられたすばらしい運動会となりました。それにしても「パン食い競争」は人
気がある…(笑)
秋の清内路と言えば、紅葉、そして手づくり花火。花火の製造も大詰めとな
っています。みなさんもこの機会に清内路村を訪れてみてはいかがでしょうか。
◇◇合併関係情報◇◇
これまで阿智村では、中学校の統合時期を平成22年と説明していましたが、
阿智村教育委員会が望ましいとした校舎配置に基づき建設スケジュールを検討
したところ、平成22年4月までに全ての工事が終了しないことが判明したと
して、統合時期を23年に先延ばししたいとして申し入れがありました。
しかし、本村では複式学級の問題もあり、中学校教育における望ましい教育
環境を維持するため、阿智村に22年度の統合を求めることとしました。
それを受けて阿智村は、25日に清内路中学校の生徒は予定どおり阿智中学
校へ受け入れる方針を示しました。
◇◇イベント情報◇◇
<手づくり花火>
江戸時代から280年あまり途切れることなく続く伝統の「手づくり花火」
秋季奉納煙火が行われます。
6日上清内路諏訪神社、7日下清内路諏訪神社・建神社と今年は久しぶりの
連日開催となりました。
残念ながら上清内路諏訪神社においては危険回避のため、氏子関係者等のみ
の入場制限がありますが、下清内路においては狭い境内ですが見ることができ
ますので、3連休にもなります、この機会にご覧頂ければと思います。
<おおまき感謝祭>
内容について固まりましたので、報告させていただきます。
イベント名:おおまき感謝祭
期 日:10月27日(土)・28日(日)
内 容:
「清内路あかね収穫体験」(先着20名)
「焼酎学校」あかねちゃん樽仕込みの試飲と伝統野菜の料理で交流会
ソムリエ高野氏からあかねちゃんの紹介。
日本料理の鎌倉徳雄氏に伝統野菜で料理を作ってもらいます。
ゲストとしてガンダム、ウルトラマンなどのイラストレーター開
田裕治・あや夫妻。また、俳優の堀田眞三さんも参加します。
「さわやか文化祭」村の文化祭です。開田裕治さんの作品を展示予定です。
「おおまきで野点」全国20%のシェアを占めている西尾市の抹茶と清内路の
水で野点。西尾市との合同開催となりました。箱寿司販売。コカリナ演奏予定。
◇◇村の動向◇◇
☆長野県調理師会主催 料理コンクールで知事賞受賞
12日、(社)長野県調理師会が主催する「料理コンクール松本広域大会」が
松本市で開かれ、コンクール伝統野菜部門で、櫻井一芳さんが出品した「清内路
のあかね塩漬け」が最高賞となる県知事賞を受賞しました。
清内路村からは他にも10人が、伝統野菜を生かした15品を出品し、一芳さ
んの他に櫻井紀子さん(一芳さんの長女)も「清内路カボチャのお饅頭」が選ば
れ親子揃っての受賞となりました。
☆ライフ・グループ・ナイトが行われました
清内路村の大桜にある山の家(出づくりの家)で、ライフ・グループ・ナイト
が開催されました。
当日は全国から集まった20〜30代の方約60人と幅広い世代の清内路村民
がプロのDJが流す音楽に合わせて野外で踊りながら交流を深めました。このイ
ベントは「週末清内人」を毎月開催している代表の田中義治(ハル)さんが企画
し、東京や名古屋、長野市からDJを招きました。
清内路村でも9月14日に休会し会員もいなくなっていた「青年会」が復活
しました。まだ立ち上がったばかりで、組織などもまとまっていませんが、今
後はこういったイベントにいっしょになって企画していくことができれば良い
なと考えています。
◇◇今月の1枚◇◇
☆下清内路火薬製造の様子
下清内路煙火有志会の火薬製造の様子です。
型は新しくなっていますが、昔から伝わる薬研(やげん)を使い、炭と硫黄
と硝石を、昔から伝わる調合表により火薬へと擦り合わせます。
◇◇清内路の昔話◇◇
清内路のむかしばなし
清内路村に伝わるむかしばなしをお伝えしています。
清内路村の方言をそのまま掲載しています。意味を書いてありますが読みにくいかも
しれません。ご了承ください。
感想などをお寄せいただけると助かります。
清内路村教育委員会 担当:野村
第4話「ササエの水」
むかしむかし、あるところに、夜中になると寂しい清内路村のような村がありまし
た。
そこの村では、村人が寝静まった夜中になると、バタバタバタバタと大きい鳥の羽
ばたく音がしました。そして、次の朝になると村に飼われていた鳥や羊がいなくなっ
ていました。村人達は不思議に思い、正体を見届けようとお互いに口に出しては言う
のですが、夜中に鳥が羽ばたく音がすると寝床にうずくまって震えていました。だか
ら誰も正体を見た人がいませんでした。
ある日のことです。えらそうな侍がきて、「馬を1頭くれ。その馬の腹を切って腹
の中に入り、鳥の正体を見届けてやるから。」と言って、村人から馬を1頭出させま
した。そして、その馬の腹を切ってその中に入って夜がふけるのを待っていました。
そしたら、侍が予想したとおり、夜中になるとパタパタパタパタと何ともいえない
大きい音がして、侍の入っている馬をさげて飛び上がりました。どこかわからないけ
ど、かなり遠くまで運ばれた様子です。侍は、おなかの中にいたからどこらへん(ど
のあたり)だかぜんぜん見当がつきません。どこだかわかりませんが、ずいぶん長い
時間が立った後ポーンと放られました。そしたら、チイチイチャンチャン、チイチイ
チャンチャン、チイチイチャンチャン、チイチイチャンチャンと鳴きながら、どのく
らいの大きさの鳥かわからないけど、侍が隠れていた馬の肉を食べ始めました。腹の
中にひそんでいた侍は、このときとばかり馬の腹を破って出ました。すると、タカで
もワシでもない大きな鳥がチイチイチャンチャン、チイチイチャンチャンと馬の肉を
食べていました。馬を運んできた大きな鳥はまた、稼ぎに行ったのかその場所にはい
ませんでした。侍があたりを見回すと大蛇の骨やら、いろいろありました。そこで侍
は、これは気味が悪いと、自分の大事な薬のササエの水をチョボチョボと大蛇の骨に
かけました。すると、ブヨブヨ ブヨブヨ ブヨブヨ ブヨブヨと動いて、骨は大蛇
になりすごい音を立てて山奥へ逃げていきました。その音で、馬の肉を食べていた鳥
がバタバタバタバタとみんな逃げてしまいました。
侍は、鳥たちが戻ってこれば大変と思ってまわりを見ると、大きな川が目にとまり
ました。そこでその大きな川沿いに下っていきました。しばらく行くと、青い顔をし
た色の白い娘が立っていました。
「すまんが村まで道を教えてくれ。」と頼みました。
「あの、お侍さん、私はおまえさんにさっき助けてもらった大蛇です。この川は橋が
ないからお侍さんを渡してやろうと待っていました。でも、からだに鉄があたると病
気になるから刀だけはあてないでください。」と言って、川の上に橋のようにからだ
を延ばしました。侍が渡り終わって後ろを見ると、不思議にも大きな川と大蛇がどこ
に行ったのか跡形もありませんでした。
「これは助かった。」と道を急いで歩いていると、一軒家の寂しいところにおじいさん
とおばあさんが泣いていました。侍がどうして泣いているのかと尋ねると「一人娘が
死ぬほど加減が悪くなってどうしようもない。ぜひ助けてください。」と言いまし
た。侍は困りましたが、ササエの水しか持っていませんから、それを飲ませてみま
しょうとチョボチョボと娘の口に水を落としました。
すると、今まで閉じていた目が開き、娘が口をききました。しばらくすると、顔色
がよくなり元気になりました。そしたら、欲深いおじいさんとおばあさんは、なんの
かんの言って侍を婿にしてしまいました。
侍は残りのササエの水を仏壇へあげて『命の恩人だ』と言って、毎朝拝んでいまし
た。でも欲深いおばあさんは、「毎朝、先祖を拝むのはよいが、こんな竹筒を拝んで
もしょうがないもんだ。」と、裏の雨戸を開けてコーンと放ってしまいました。
婿様は、帰ってきて、「ササエは、どこへやった」と聞きましたら、おばあさん
が、「そんな汚いもの放ってしまった。」と言いました。婿様は「あれは俺の命の恩
人だ。」と怒っておばあさんが捨てたところへ見に行ったら、水がこぼれそこには
真っ青にヨモギがはえていました。
それからヨモギは万病の薬と言われるようになりました。
資料 『清内路村のむかしばなし』
昭和63年清内路のむかしばなし保存会発行
語り:桜井小菊(現在は他界されております)
編集:原 角郎 桜井 伴 原 武彦
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