あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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度々ご紹介している週刊紙オートメレビューの1月9日号に、オートメ総合研究所所長、白岩禮三氏の「世界の桧舞台へ再び復帰するために」と言う記事が1面にありました。今回はこの記事を、「天竜峡や南信州が再度復活するためには」に置き換えて考えて見たいと思います。
白岩禮三氏は、日本の現状分析において、1980年代には世界経済の最長点に立っていたが、90年代を過ぎて02年には、見るも無残な姿になってしまった。世界の株式時価総額で比較すると、89年と02年では、39.6%→8.7%。世界の大企業300社リストでは、118社→29社。銀行では、ベスト10に、1位〜5位と9位に6社も入っていたのが、02年では0。惨憺たる有様。
どうしてこのような事態になったかについて、白岩氏は、日本人特有の信念と言います。
災いする過去の成功体験として
事例として、旧日本軍人は 1、勝って兜の緒をしめず。 2、負けた戦いの反省をしない。
と言う2大特徴を持っていた。これは、対ロシア戦争で勝ったため日本は不敗だと信じ込んでしまったため。そして半世紀後、対米戦争につっ込んでしまった。
これと瓜二つの現象が時を越えて今、再現している。 80年代日本は世界の頂点に立ち「日本は必ず勝つ」との信念が再び蘇った。しかし事態は大きな変化の潮流の中にあった。 1、新興諸国の台頭 2、IT革命の進行
ところが多くの日本人は、日本民族は優秀であり、勝つのは当たり前と考え、時代の潮流に気がつかず、乗り遅れてしまったとのことです。
負け戦の最大の原因となるのは人事問題
太平洋戦争時米海軍ミニッツ大将は、山本五十六大将の前線視察を知るや否や、山本戦死させた後の日本の司令官は誰がなるか調べ、山本に勝る将官がいないことを知ると、ガダルカナル基地のミッチャー少将に山本機撃墜を指令。この結果山元大将は死んだ。
いかに人事が重要であるかの見本とのことですが、これに比べ日本では、人事の重要性に極めて鈍感で、90年代日本をどん底に引っ張っていった企業の責任者は責任を取らないばかりか、いつまでも、会長職や、政府の任命する機関に勢ぞろいしている。こんな人達に日本の未来を任せていたら日本は沈む一方とのこと。
政治の世界では、能力が無いと見られれば、先の参議院選挙のように選挙の洗礼があるが、企業経営者の場合はこれがなく、法律を変えてでも能のない経営者を排斥し、実績のある外国人経営者に切り替えるか、管理職1,000人以上を抱える会社は、新社長就任にあたっては、全管理職による新社長適否の投票を実施し結果を公表する。管理職の過半数の支持を得られないような社長では、到底これからの厳しい競争の指導者として耐えられないであろうと言うようなことを言われています。
また、マスメディアが、大々的に幹部社員からアンケートをとり、発表するだけでも大きな力になるだろうとしています。
後、官僚をどうするかについての考察があればなと思ったのですが、これはありませんでした。
こういう方向で考えた場合、天竜峡や南信州の場合どうすれば良いか、感覚的な表現になりやすいと思いますが、検討していきたいと思います。
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