聖なる輪の教え
私たちは、だれかが困っているときには必ず手を差し伸べ、必要なものを与えます。
物質はそのもの自体に価値があるのでなく、それを喜んでくれる相手に渡されるときに一番価値が高くなるものなのです。
チェロキーには見返りなど期待する気持ちはまったくありません。だれかに何かをあげることで喜んでくれたなら、それがすなわち私の喜びにつながってきます。だれかの喜ぶ顔を見ることが、私にとって最高の幸せなのです。
大切にしているものほど、人にあげる価値があるものだと思っています。ほんとうに自分の大切なものをどれだけ気持ちよく手放せるかでその人の価値が決まるともいわれています。
これは“ギブアウェイ”と呼ばれ、与え尽くしの精神につながるものです。
困った人がいれば、何も言わなくても必ず助けの手を差し伸べる。食べる物に困っている人には、気持ちよく自分の食べ物を分け与える。そんなあたりまえのことをいっているだけです。
もちろんもらう側もその好意に甘えるばかりではありません。その気持ちが物で返せないときには、何かできることをしたり、感謝の気持ちを表現したりします。けれども、自分がもらうために何かをあげるとか、働いた報酬として何かをもらうというのではないのです。そこには人間同士、生き物同士の心の通いあいが存在しています。必ず喜びや愛があるのです。
そのお返しは必ずしももらった人にしなくてもいいのです。将来自分のまわりに困っている人がいれば、その人を助けてあげてもかまいませんし、できるときにできることをすればいいのです。
http://04875246.at.webry.info/200611/article_1.html