思索に耽る苦行の軌跡
 悪戯な夢魔に襲はれた彼は、宇宙に数限りなく存在し、今も生成し続けてゐるであらう銀河のその中心部たる巨大Black hole(ブラックホール)の事象の地平面へ、今も星星が砕け滅し断末魔を上げながら飲み込まれ行きつつ、事象の地平面といふ異世界への出立といふ、それを死と名付けてよいのかは解からぬが、その未知への旅立ちを何故かその瞬間、不意にその頭蓋内の闇に思ひ描いて、真夜中の真っ暗な部屋の中でぱっと瞼を開けざるを得なかったのであった。蒲団の中に臥しながら闇の中で瞼を開けるその行為は、しかし、何となく闇自体のその正体を虚を衝いて一瞬でも一瞥出来、その尻尾でも捉へられるのではないかといふ淡い期待を抱かせるといった幻想を誘ふ行為に彼には思はれるのであった。



――ぶぁっはっはっ。



――拡がるは闇ばかりであるが……。



と彼は思ひながらも闇もまたその瞼をかっと見開き彼をじっと凝視してゐるやうな奇妙な感覚に彼は襲はれるのであった。



――ふっふっふっ、闇はその眼で吾が物自体の正体を捕獲したのであらうか。



と、そんなことが彼の頭を過るのであった。



 外界の闇と頭蓋内の闇の交感はどうあっても無限といふものへとその思考を誘(いざな)ふものである。彼の周りは何処も彼処も闇であった。闇の中では何事も確定することなく未定のまま、闇夜に打ち上げられる大筒の花火の閃光を見るやうにぱっと何かが闇の中で閃いてもそれは直ぐ様闇の中に消え、再び別の何かが闇の中にその閃光を発するのを常としてゐた。闇の中では外界も内界もその境を失ってしまふものである。とその時彼の頭蓋内にはまた一つ思考する時間の流れの上に生じたであらう小さな小さな思考の渦巻くカルマン渦の閃光のやうなものが小さな生命の命の宿命のやうに生滅したのであった。



――かうして闇の中に横たはる吾とはそもそも何なのであらうか。



――……さてね。



と、そんな無意味な自問自答が彼の胸奥で生じたのであった。



――闇の中に蹲るもの達のざわめきが聞こえて来るではないか。



――へっ、それは幻聴じゃないのか。



――はっはっはっ。



――ふっふっ、幻聴でも構はないじゃないか! 



――ちぇっ、闇は何ものも誘ふ如何ともし難い厄介ものだな。



 不意にその思考の小さな小さなカルマン渦はぱっと消えたのであった。すると闇がその存在感を増すのである。闇また闇。するとまた一つ思考の小さな小さなカルマン渦が闇の中に明滅を始めたのであった。



――吾は吾の圧政者として吾を統率するが、さて、吾が吾から食み出るその瞬間、吾は何ものかへ変容を成し遂げるのか……。



――ぶぁっはっはっ。



――変容への志向か……。存在は存在に我慢せずにはゐられない存在なのであらうか。



――何? 存在が存在に我慢する?



――ぶぁっはっはっ。 



――すると存在は吾以外の何ものかへの変容を不可能と知りながらも渇望せざるを得ないのか……。



――ぶぁっはっはっ。



――それにしても、へっ、何故吾は哲学が嫌ひなのかな。哲学無くして存在は語れないにも拘はらず……。



――それは論理への不満さ。存在が論理で捉へられる筈はないと端から思ひ込んでゐるからじゃないのかい? 



――ふっ、それはその通りに違ひないが、吾は、多分、西洋的な思考法に疑問を感じてゐるのかもしれない……。



――ぶぁっはっはっ。



――すると、論理的な裏付けがないものは全て虚偽か……。



――けっ、即自に対自に脱自か、笑はせるぜ!



――ふっふっふっふっふっ。



――ぶぁっはっはっ。



――ぶぁっはっはっ。



――ぶぁっはっはっ。



 再び小さな小さな思考の渦巻くカルマン渦が闇の中に消えたのであった。彼はゆっくりと瞼を閉ぢたが闇は相変はらず瞼裡にあった。



――カルマン渦か……。思考も時間上を流れ移ろふのであれば、其処に小さな小さな思考が渦巻く思考のカルマン渦は発生する筈だが……。



――頭蓋内を五蘊が発生する場であると、つまり、五蘊場として看做すと、その五蘊場に思考の小さな小さなカルマン渦は発生してゐるに違ひない。



――すると、思考もまた自然を超越出来ないものの一種なのであらうか? 



――さうだらう……。自然もまた思考する。



 彼は其処で不意に瞼を開け眼前の闇を凝視するのであった。



――自然もまた思考する? すると、自然もまた死滅するカルマン渦の一現象に過ぎないのか? 



――生々流転……。諸行無常……。



 諸行無常とはある種残酷な思想である。万物は生々流転し、生滅を繰り返しながら此の世は移ろひ行く。生あるものは必ず滅するのである。



――万物流転。



――生老病死。



――寂滅……。



(一の篇終り)






※尚、審問官シリーズは本として出版するつもりなのでこのブログでは終了とさせていただきます。悪しからず。


2008 10/06 00:45:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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