思索に耽る苦行の軌跡

――渾沌……。





――陰陽が渦巻き始めるある種の秩序が胎動する瞬間……。





――渾沌が存在を胎動させる契機となる瞬間、無数の未出現の存在ならざるものが蠢く母胎となる。其処で無数の生滅が繰り返され、有為転変の末、存在が存在たらしめられる。そしてその存在には聖霊の如き此の世に出現ならざる宿命を負はされた未出現のものたちの怨念なるものを無数に負はされる。存在の背後には背後霊の如き未出現のものたちの「何故吾は此の世に出現ならざるのか?」といふ呻吟の渦巻く怨念が匂ひ立つのだ。その証拠に存在といふ名の異形の吾は吾の中で無数に生息してゐる。それが出現ならざるものたちの一瞬の明滅だ。





――異形の吾か……。ふっ、内部に潜むGrotesque(グロテスク)な異形の吾どもめが、ふっ。ほら、あっちにもこっちにも異形の吾どもがその面を現はしてゐるぜ、けっ。奴等もまた「吾とは何ぞや」とのたうち回ってゐるに違ひない。のたうち回ってものたうち回っても誰もその答へは黙して語らず。だから異形の吾は手を変へ品を変へ異形の異形の異形の吾を現はす。ちぇっ、奴、つまり、異形の吾が笑ってやがる。





――へっへっへっ、どれがお前かな? 





――けっ、全てだ! 





――さう。全てのGrotesqueな異形のものがお前だ。





――だからそれがどうしたといふのか? 





――お前には渾沌の中で生滅する異形の吾どもが発する呻き声が聞こえないのか? 





――「早く吾になりたい」……か? 





――否! 





――「吾ならざる吾へ」……か? 





――さうさ。この呻きこそ一時も吾であることをやめられぬ吾といふ存在物が存続出来る起動力さ。





――うむ。起動力……か。





――さう、起動力だ。吾ならざる吾へ。無数のGrotesqueな異形の吾どもが明滅し、奴等の呻き声が渦巻くことで吾はやっと吾たることに我慢出来る。





――この吾が吾であることの大憤怒は、嗚呼、異形の吾がGrotesqueで無数に明滅し、呻き声を発することで辛ふじて抑へ付けられてゐられるのか! 無数だ! 異形の吾が無数に明滅することこそ吾が吾たることを存続させる鍵だ! どうあっても異形の吾は無数に明滅しなければならぬ。無数であらねばならぬのだ!





――それは何故かね? 





――未出現のもの達の泡沫の夢故にだ。





――未出現のもの達の泡沫の夢? 





――さう。この頭蓋内の闇に明滅する無数の異形の吾は未出現のもの達の泡沫の夢でなくてどうする? 





――すると、お前はこの頭蓋内の闇こそ未出現もの達の泡沫の夢が一瞬でも花開く《場》だと考へてゐるのか? 





――日々死滅して行く脳細胞が発するであらう断末魔の中にこそ未出現のもの達の泡沫の夢が一瞬花開く瞬間が必ずある。頭蓋内の闇はさういふ《場》だ。





――死滅して行く脳細胞が発する断末魔? 





――さう。日々死滅して行く脳細胞は必ず断末魔を発してゐる筈だ。脳細胞といへども死滅するまでは未出現のもの達の怨念を負ってゐるのだからな。此の世に存在するといふことはさういふことだ。頭蓋内の闇といふ《場》では時々刻々死といふ現象が起こってゐて、その死にこそ断末魔と未出現のもの達の怨念が一つの思念のやうなものになって《重ね合はせ》の状態となり、頭蓋内の闇の中で一瞬明滅する。その死の波紋が異形の吾となって無数に現はれてゐる筈だ。 





――変幻自在の異形の吾……。死の断末魔と未出現のもの達の泡沫の夢を乗せ、頭蓋内の闇に花開くその一瞬の閃きは変幻自在の異形の吾となって吾を断罪するのだ。それが無数だから尚更いけない。吾の敗北は最初から解かり切ってゐるのにそれでも吾は異形の吾と対峙しなければならぬ。吾を存続させるにはさうせずにはゐられぬのだ。無数の相貌を持った変幻自在の異形の吾。あっはっはっ。相手は死の断末魔と未出現のもの達の泡沫の夢だぜ。吾に勝ち目がある筈がない。





――それでも吾は生き延びる。





――さう。吾は何としても存続せねばならぬ宿命を負ってゐる。相手が死の断末魔だらうが、未出現のもの達の泡沫の夢だらうが、吾はそれにしっかと対峙し、存続せねばならぬ。





――しかし融通無碍にな。





――さう。七転八倒しながらも融通無碍に吾は存続せねばならぬのだ。ちぇっ、異形の吾が笑ってやがるぜ。





――へっへっへっ。耳を澄ませでご覧。死に行くもの達の断末魔と未出現のもの達の呻き声が聞こえてくるから。





(八の篇終はり)
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2008 11/24 03:55:13 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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