思索に耽る苦行の軌跡

……寄せては返す波の如く吾が《個時空》の際もまた吾が心の臓と同等に伸縮を繰り返してゐるに違ひない……。





…………





…………





――《個時空》とはそもそも何だね? 





――《主体》といふ存在が独楽の如く渦巻くその時空のカルマン渦のことさ。





――カルマン渦? 





――さう。《主体》は此の世に出現した時空の回転儀に違ひない。





――回転儀とは?  





――Gyroscope(ジャイロスコープ)のことさ。つまりは地球独楽さ。





――Gyroscopeと《主体》とにそれでは何の関係があるのかね? 





――此の世にGyroscopeの如く渦巻き存在する《個時空》たる《主体》は、独り《現在》に《取り残された》存在形式しか持ち得ない。つまり、《距離》が存在する限り《其処》は既に《過去》でしかない此の《世界》の在り方に対して独り《主体》のみが《主体》から《距離》零故に《現在》、正確を期すと《主体》のそれも《皮袋》の《表面》のみが《現在》の在り処なのさ。そして《主体》内部は《主体》の《皮袋》の《表面》、つまり《皮膚の表面》から距離が負故に《未来》、しかも《主体》は有限の物体故に《主体》内部には《死》が先験的に内包されてゐる。





――つまり《主体》は《個時空》の《現在》に幽閉されてゐるといふことかな? 





――さう。





――しかしそれは《主体》といふ存在にとって不愉快極まりない! 





――へっ、自同律の不快か――。だが、物体として存在する《主体》には内界での自由は保証されてゐる。





――内的自由か。しかし、それだからこそ尚更《主体》にとって自同律は不愉快極まりないのじゃないかね? 





――《他》を夢想してしまふからか? 





――《主体》は吾ならざる吾を夢想する……。





――時に《個時空》たる《主体》にとって別の《個時空》として出現する《他》は何なのかね? 





――自同律を解く《解》の一つに違ひない。





――《解》? 





――《個時空》において《過去》とは《未来》でもある。





――それは《過去》の世界に一度《目的地》が定まるとその《目的地》は《過去》にありながら瞬時に《未来》へと変化するといふことだよね? 





――内的自由の中で自在に思考が行き交ふ《個時空》たる《主体》の頭蓋内の闇にとって、其処で夢想する吾ならざる吾といふ存在形式における数多の《解》の中の、《客体》は《主体》が夢想するものの一つの《解》として有無を言はさずに厳然と眼前に実在する。





――しかし、無限に誘惑されてゐる《主体》にとってその《解》は仮初の暫定的な一つの《解》に過ぎない。





――それでも《個時空》たる《主体》はこの《過去》の世界に《客体》といふ自同律の錯綜を解く《解》を見出す。





――それは《主体》の自己を映す鏡としてかね? 





――へっへっへっ。《個時空》たる《主体》は《客体》に宇宙の涯を見出すのさ。





――えっ? 宇宙の涯? 





――へっへっへっ。《主体》と《客体》の間にはパスカルの深淵がその大口を開けて存在する。そして吾ならざる吾を夢想する《主体》は《個時空》の水際たる《他》とのその間合ひを互ひにやり取りしつつも《主体》はパスカルの深淵へ飛び込む衝動に絶えず駆られてゐる。





――つまり無限にだらう? 





――無限の先にある《他》にさ。つまり、パスカルの深淵に飛び込んだ先に控へてゐる別の宇宙たる《他》といふ《個時空》――。





――ちょっと、パスカルの深淵に飛び込んじゃ駄目だらう? 





――へっへっ。《主体》はどうあっても結局はパスカルの深淵に飛び込まざるを得ないのさ。何せ《他》たる《客体》は自同律の錯綜を紐解く一つの実在する《解》だからね。





――そして宇宙の涯? 





――さう。





(一の篇終はり)





2008 12/06 04:41:36 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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