思索に耽る苦行の軌跡

――ふっふっ、《主体内部》では相変はらず《実体》と《反体》が対消滅を繰り返し、絶えず《魂》たるSolitonの如き未知の孤立波を発し続けるか――。





――つまり、《特異点》は湮滅出来ぬのさ。





――しかし、剥き出しの《特異点》に果たして《主体》が対峙出来るかね? 





――別に対峙する必要なんかこれっぽっちもない。《特異点》の《深淵》にもんどりうって飛び込んじまふがいいのさ。





――ちぇっ、また堂々巡りだ! 





 彼の闇の視界に浮き上がった内発する淡き淡き淡き光の帳は、その刹那、二つに分裂し、淡き淡き淡き光の塊となって彼の視界の中をゆっくりと反時計回りに旋回し始めたのであった。





――一つ尋ねるが、《吾》を断罪する《吾》とは何なのかね? 





――へっ、さう来たか――。《吾》を断罪する《吾》とは《私未然》の《吾》になれざる死屍累々の《吾》共だ。





――つまり、《吾》が《存在》してしまったが為にその《存在》することを許されぬ未出現の《もの》達か――。





――《存在》することがそもそも殺生の上にしか成り立たない。《生》と《死》が表裏一体の如く《存在》もまた《殺戮》と表裏一体なのさ。ならば《存在》は自ら己を断罪せずしてぬくぬくと《存在》することが可能だと思ふかい? 俺には如何してもさうは思へぬのだ。《存在》は自らを自らの手を汚して断罪してこそその生きる活路がやっと見出せる筈だ。また《存在》はそれが何であれさうするやうに元来仕組まれて《存在》たることを許されてゐるのさ。





――辛うじてだらう? 辛うじて《存在》は《存在》たることを許されてゐる……。





――へっ、何に許されてゐると思ふ? 





――神か? 





――神でなければ? 





――無と無限を呑み込んだ虚無か? 





――端的に言っちまへよ。





――《死》さ。つまり、《存在》は《存在》たることを断罪することで辛うじて《死》から許される――。





――ふっ、《死》もまた《夢》を見ると思ふかい? 





――何の為に? 





――《死》が《死》ならざる何かへ変容する為にさ。





――《死》もまた《存在》の一位相に過ぎぬと? 





――《死》は厳然と此の世に《存在》する! 《生》は《他》の《死》を喰らって《生》たることを維持してゐる故に《生》は必ず《死》を内包してゐる。





――へっ、《死》もまた《特異点》だと? 





――違ふかね? 





――ふっふっふっ。多分《死》もまた《特異点》なのだらう。ところで《特異点》は《存在》の塵箱(ごみばこ)なのかい? 





――或ひはさうかもしれぬが、ひと度自同律と因果律に疑念を抱いてしまった《吾》なる《存在》は、その《存在》の塵箱たる《特異点》に飛び込まざるを得ない。





――其処で《死》をも喰らふ? 





――喰らはずにゐられると思ふかい? その証左が自分の《死》を《夢》ではみたことがあるだらう? 





――ああ。それが《夢》だと夢見でありながらも確実に認識してゐるのだが、自分の《死》を《夢》で見るのは余り気持のいいものじゃない。





――へっへっ、それさ。《存在》が《夢》を見るといふことが《存在内部》に《特異点》が隠されてゐる一つの歴然とした証左だ。





――成程、《夢》では大概因果律が壊れてゐるな。しかし、《夢》を見てゐるのは何があらうとも自分である、つまり、《夢》においてこそ自同律は快楽の境地に達してゐる、違ふかね? 





(廿三の篇終はり)







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http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp





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2009 03/09 06:41:03 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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