――すると霊魂は宇宙背景輻射の如く或る「ゆらぎ」を持って、つまり、或る偏差が在りつつも、此の世に遍在してゐると?
――例へば、此の世の森羅万象に己の《存在》を自覚する或る意識体、即ち、霊魂が《存在》せずば、ちぇっ、《存在》は何故此の世に《存在》せねばならなかったのか、そして何故《存在》は生滅するのか、つまり、《存在》そのものがその因果を引き受ける覚悟なんぞ決して持てぬではないか?
――へっ、また堂々巡りだ!
――堂々巡りこそ思考に与へられた最上の《もの》で、《存在》は堂々巡りする、つまり、渦巻く思索の型以外、何《もの》によっても理論武装若しくは論理を打ち立てる事は出来やしないのぢゃないかね?
――渦を巻く思索ね……。
彼は其処で深々と一息息を
――ふ〜〜う。
と、吐いた後に、瞼といふ何とも薄っぺらな《もの》で閉ぢられたにしては余りにも深い眼前に拡がる闇を凝視しながら、此の薄っぺらな瞼裡の影に過ぎぬ闇に潜む森羅万象の表象群を思っては、
――ふっふっふっ。
と、何とも皮肉な嗤ひを発するのであった。
――さて、俺は何に対して嗤ってゐるのやら……。
――へっ、《存在》に対してに決まってゐるだらうが!
――その通りだ、俺は《存在》に対して思はず「ふっふっふっ。」と嗤ったのだ――。だが、何故俺は《存在》を嗤へるのか?
――答へは簡単さ。お前自体が《存在》しちまってゐるからさ。
――俺の《存在》? ふっ。
――はて、此岸にゐる《もの》は彼岸を思ふが、彼岸にゐる《もの》は果して此岸に《存在》する《もの》を思ふのであらうか?
――またぞろ《反=生》の登場かね?
――へっ、《反=吾》でも構はぬがね、しかし、それが《反=死》であらうと《反=生》であらうと《反=吾》であらうと、霊魂は余剰次元の概念で登場する或るbraneworld(ブレーンワールド)と、そしてそれとは離れて《存在》する別のbraneworldとを自在に行き交ふbulk(バルク)粒子の如く此岸と彼岸を自在に行き交ふ《もの》として《存在》せずば、仮令それが夢であらうが、《存在》が己の《死》若しくは死後の世界を想像若しくは表象してしまふ暴挙など決して出来ぬ筈だ。
――つまり、霊魂こそ《自在》を体現する《もの》といふことだね?
――《自在》と《幽閉》の両方さ。
――あっは。それが《存在》が《存在》する為の《存在》の「ゆらぎ」だね?
――さう、「ゆらぎ」だ。
――つまり、霊魂は此の世と彼の世を自在に行き交ひ、そしてその霊魂は此の宇宙に遍在しつつも「ゆらぎ」がある故に《存在》が《存在》出来るのだね?
――さう、此岸と彼岸を《自在》に行き交へてしまふことからの必然として霊魂はそもそも因果律が壊れた《もの》の一つとして現はれ、そしてそのやうに現はれてしまふ故に或る「ゆらぎ」を持ってしまひ、その「ゆらぎ」故に物体として《存在》した《もの》全てに霊魂は宿ってゐる……。
――つまり、《存在》する《もの》全てに霊魂は宿り、その因は、あらゆる《もの》に遍在する「ゆらぎ」故に《吾》は《他》よりも突出して確率《一》に近い《存在》として、つまり、それこそ「ゆらぎ」故に《吾》は《吾》たらむとする。
――しかし、《吾》は、ちぇっ、つまり、《存在》する《もの》全ては自同律に躓く。
――此の世に「ゆらぎ」が《存在》せずば、何《もの》も《存在》しなかったとするならばだ、その「ゆらぎ」が《存在》しちまふ以上、それは如何ともし難い。
――ふっ、《吾》は此の世には在り得べからざる確率《一》で《存在》する《もの》を夢想し、その夢想が恰も実在するかの如く《吾》に棲み付き、それ故に「俺は俺だ!」と虚しく木霊する叫びを発するのだが、へっ、此の世の神的な《存在》、ちぇっ、それは単なる時空間に過ぎぬ筈なのだが、その神格化された時空間は何も答へちゃくれぬ。ざまあないぜ。
(五十一の篇終はり)
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