――すると、此の世の森羅万象を全て現在の相の下に置くと、其処には必然の欠片もない全てが偶然の中に《存在》すると看做しちまへといふ、或る種強引極まりない現実認識をする外に、《存在》しちまった《もの》は一時も《存在》出来ぬといふ事だね?
――そもそも現在とは何だね?
――へっ、言ふに事欠いて「現在とは何かね?」と来たぜ。つまり、《個時空》の問題なんだらう、現在は?
――さう。《個時空》を持ち出せば、現在とは、唯、《吾》のみが世界の中に抛り出されて独り現在である事を強ひられ、独り現在に取り残された《もの》といふ事だ。
――つまり、現在のみが《吾》が《存在》する事のどん詰まりの牙城なんだらう? そして、現在においてのみ《吾》は《存在》出来る悲哀を噛み締め尽くさねばならぬのが、詰まる所、此の世に《存在》しちまった《もの》全ての宿命だ。
――つまり、《個時空》とは孤独の別称だらう?
――ふっ、過去若しくは未来、即ち《距離》が《存在》しちまってゐる世界の中に抛り投げ出された《吾》は、言ふなれば、現在といふ名の絶海の孤島に《存在》させられてある。その様にしか《吾》は《存在》出来ぬ不思議を、お前は宿命の一言で片付けられるかね?
――へっ、悪足掻きするのが、これまた《吾》の特性だらう?
――そもそも何故に《吾》のみが現在に曝され続ける運命なのだらうか……?
――ちぇっ、簡単さ。《存在》の喜怒哀楽を味はひ尽くす為さ。
――ふっふっふっ。それが我慢ならぬのも《吾》たる《存在》の本性だらう?
――さうさ。《吾》は絶えず《吾》のみが《個時空》なる《もの》の現在に取り残される故に、《他》を模した何か《吾》とは別の《もの》への変容を願って已まない。
――それは、つまり、《吾》なる《存在》はそれが何であれ、全てその内部に特異点を隠し持つ矛盾を生きなければならぬ故にだらう?
――ふっふっふっ。また堂々巡りだ。
と、其処で一息ついた彼は、瞼裡のその薄っぺらな闇に幽かに幽かに精液の如く乳白色の光をぼんやりと放ちながら浮かび上がった微小な微小なその内発する淡き光の粒が、ブラウン運動をしてゐるかの如く、その瞼裡の薄っぺらな闇に淡く発光する様を凝視しながら、その淡き発光物が何かを瞼裡に表象しつつあるのではないかと訝しりながらも、其処に見ず知らずの赤の他人の顔らしき《もの》が浮かび上がってゐることに気付いた途端、彼は、
――ふっ、ざまあないぜ。
と己に対して半畳を入れるのであった。
――此の世は《吾》に未知なる《もの》が多過ぎる。
――だから《吾》は必然を偶然と、偶然を必然と敢へて錯覚したいのさ。
――早い話が《吾》は渾沌の中に永劫にゐ続ければ、ふっ、満足なんぢゃないかね?
――つまり、《吾》は《吾》なる《存在》も《吾》ならざる世界も、どちらも攪乱したまま、現在から永劫に逃げ果せれば、己の《存在》に納得出来るかもしれぬと、これまた敢へて錯覚したいだけだらう?
――詰まる所、《吾》とは《吾》のみが現在に曝されてゐる事に不満たらたらで、その現在に《他》も巻き込んで、《吾》は互ひに顔を見合はせて、「いっひっひっ、あっはっはっ」と、哄笑したいだけなのかもしれぬ。
――何故に?
――現在を忘れたいからさ。
――何故に現在から逃げる事ばかり《吾》はしてしまふのだらうか?
――へっ、簡単さ。《吾》はその内部に隠し持ってゐる特異点、即ち《吾》の醜悪極まりないその本性から目を背けたいのさ。
――《吾》の本性、即ち特異点の相貌は醜悪極まりないかね?
――ああ。《存在》とはそもそも死する故に醜悪な《もの》なのさ。
(五十四の篇終はり)
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