――そもそもお前が言ふ私性とは何かね?
――ふむ。さうさねえ、頭蓋内の闇といふ五蘊場を、図らずも付与されてしまふ《存在》全ての事かな。
――ふっ、その五蘊場は、此の世に《存在》する森羅万象には必ず《存在》すると?
――ああ。《場》が《存在》すれば、其処には必ず五蘊場が生滅する。
――何故さう看做せるのかね?
――何《もの》をも皆「《吾》たらむ」と渇望しちまふからさ。
――「《吾》たらむ」? それは「《吾》以外の何かたらむ」ではないかね?
――へっへっへっ。さうは問屋が卸さないぜ。
――つまり、《吾》は単純化に全く馴染まない《もの》と言ひたいのかね?
――はて? 《吾》の単純化とは何の事かね?
――つまり、《吾》=《一》者といふ自同律の事さ。
――またぞろ自同律かね。何度も言ふがね、これ迄《吾》が《一》であった事はなかったし、これからもありはしないぜ。
――何故?
――答へは簡単さ。《一》は此の世に実数として《存在》した事はなかったし、これからも実数としてはあり得ぬのさ。
――つまり、《一》は数多ある複素数の実部を表してゐるといふ事だらう?
――さうさ。そもそも《一》=《一》が成立する世界こそ異様な世界な筈だぜ。
――つまり、これは禅問答に近いが、《一》は《無》であり《無限》でもあるといふ事かね?
――でなければ、《一》は何だといふのかね?
――ちぇっ、《吾》にとって《一》は何としても実在する《もの》であって欲しいのさ。
――へっへっへっ、これはまた異な事を言ふ。
――異な事?
――ああ、さうさ。世界認識の仕方が実数から複素数へと拡張される事が受け入れられぬのかね?
――お前にすれば、《存在》のこれ迄の世界認識の仕方は未熟でしかないといふ事かね?
――へっ、世界の認識の仕方が拡張されるんだぜ。何故にそれを《吾》は拒むのかね?
――拒むも拒まぬもないではないか! 既に世界は仮想化されつつある、ちぇっ、つまり、虚数、英語で言へばImaginarity number、へっ、それを直訳すれば想像上の数といふ事だが、その虚数といふ仮想数字なくして最早世界は一言たりとも語れぬ事態に突入しちまってゐるのではないかね?
――其処さ。既に世界は仮想化される事を免れぬのに、何故、今もって《吾》は《一》=《一》といふ此の世では決してあり得ぬ自同律に拘り続けるのかね?
――へっ、此の世に決してあり得ぬから《吾》はそれを夢見るのと違ふかね?
――つまり、《吾》といふ観念自体がそもそも嘘っ八だと?
――ああ、さうさ。
――ああ、さうさ?
――ではお前は《吾》を何だと思ってゐたのかね? つまり、それを換言すれば、《吾》は此の世に自然に発生するとでも看做してゐたのかね?
――ふはっはっはっはっ。《吾》が《吾》でなければ、さて、その《吾》は一体全体何なのかね?
――さっき言ったではないか、「《吾》たらむ」とする《存在》だと。
――つまり、《吾》は未来永劫《吾》に至り得ぬ《存在》としてしか此の世に《存在》出来ぬと?
――当然だ!
――当然?
――では、《吾》とは一体何なのかね?
――ふっ、「《吾》たらむ」と渇望して已まない《存在》が、苦し紛れにさう呼んでしまった一時しのぎの仮初の《もの》の名さ。
――仮初の《もの》の名? 《吾》とは、つまり、此の世においての仮初の《存在》以上にはなれぬ、ちぇっ、しかし、此の世で《吾》を「《吾》!」と名指した《もの》、つまり、此の世の森羅万象は、未来永劫に亙って此の世に《存在》不可能な《吾》なる何《もの》かを、それが何だか解からずに、へっ、夢見ずにはゐられぬ皮肉に満ちた哀れな哀れな哀れな《存在》といふ事かね?
――へっ、其処が《吾》の甘ちゃんなところだ。《吾》を指して哀れな哀れな哀れな《存在》と看做しちまふ《吾》は、結局、哀れの何たるかすら全く解からずに、此の世から消える、ふっ。
(六十五の篇終はり)
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