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※ 註 太虚(〈広辞苑より〉【たいきょ】:?おおぞら。虚空。?宋の張載の根本思想。窮極なく、形なく、感覚のない万物の根源、即ち宇宙の本体または気の本体。)
激烈で豪放磊落なる稲妻の閃光を何度も地に落とし轟音で地上を震はせた末にやっと巨大な雷雲が去り往く其の時、吾は南の太虚を見上げし。其処には未だ黒雲が地を舐めるが如くに垂れ籠め、北へ向かって足早に流れし。其の様、将に太虚が濁流の如き凄まじきものなり。巨大な大蛇の如くとぐろを巻く其の濁流が如き上昇気流は地に近い程流れ行く其の速度は遅くなりし故、一塊の山の如し黒雲が其の気流より取り残され、更に其の黒雲の一部が千切れ、そして、それが取り残され、其の場に留まりし。あな、不思議なりや。其の取り残されし黒雲、見る見るうちに半跏思惟像の菩薩に変容せしなり。すると
――悔い改めよ、悔い改めよ。
と其の菩薩が説法せし声が吾に聞こえるなり。
――すは。
其の黒雲の菩薩、忽然と吾に向かって動き出しや。
――悔い改めよ、悔い改めよ。
其の黒雲の菩薩、凄まじき速度で吾の上空を駆け抜けるなり。と、突然、辺りは漆黒の闇に包まれ、吾もまた其の闇に溶けしか。其処では既に自他の堺無く、唯、漆黒の闇在るのみ。
――あな、畏ろしき、畏ろしき。
吾、瞼を閉ぢ、只管に祈りしのみ。
――吾を許し給へ。吾、唯の凡夫なり。吾が生きし事自体罪ありと日々懺悔セリなり。あな、吾を許し給へ。
――莫迦め。はっはっはっ。
と、其の刹那、一陣の風が吹きしか、吾の頬を慈悲深く温かき御手が優しく優しく撫でし感覚が体躯全体に駆け巡るなり。そして、閉ぢし瞼の杳として底知れぬ闇に後光が射す幻影を覚え、遂にその後光、佛顔に変はりし上は、吾、既に不覚にも卒倒せしやもしれぬ。
さうして、漸くにして吾、瞼をゆるりと開けるなり。太虚を見上げると、既に雲は晴れ上がり半月の月光が南中より吾に射せり。
さて、太虚、吾の頬を撫でしや。さてもしや、吾、夢の中にて彷徨ひしか……。
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