夏は憂鬱 秋は憐憫 冬は退屈的日々雑記
『映画みたいな恋したい』はどんなストーリーだったか。
『恋がしたい恋がしたい恋がしたい』はそのタイトルに惹かれて見た。


●非☆劇的現実を迎え撃て●


現実の厳しさをそれなりに肌で感じてきたわたし(21歳)は、とうの昔に恋するキモチなどというものは、新幹線の見える高校の3年5組の教室に置いてきた。
《グッバイ青春!もう恋なんてしないよ絶対!!》
高校卒業当時、こんな心模様だったわたしも気がつけば22歳目前。
やべえ!!(いろんな意味で。しかしわたしは年齢に関係なく、いつだっていろいろやべえ状態だ。)
今は昔、わたし(当時13歳)は1コ上の先輩を好きになったことありけり。
スキでスキでたまらんかった。結局キモチは伝えないままだったが、まぁそれはそれでよかった。桃色片想いも立派な恋だ。
《嗚呼、あの素晴らしい愛をもう1度!!》
「いーのーちかけてとー」口ずさんでみるが、そこに愛はなかっただろう。
てゆーか、恋と愛の区別がわからん。片想い→恋、両想い→愛、ていうのはちょっと違うと思う。(つーか両想いって!完璧死語じゃね?)
最近「恋は見返りを望むもので、愛は無償のものだというのなら……」という文章を読み、フーンと思った。ちなみにここでの見返りとは、キスしたいとか抱き締められたいとか手を繋ぎたい触れていたいとか、そういうものだ。とっても肉体的!アンチプラトニックラブ!!
…話が逸れたがわたしは人をスキになるキモチをまた味わいたいのである。中学生の時のようなあの清純なキモチを。(よく考えると、ただただ先輩を想えるだけでよかった、告白して付き合うなど考えていなかったあのキモチは、ある意味、愛だったのかもしれない。愛!!)

人を好きになりたい。
しかし現実は厳しい
普通に生きていては人なんて好きになれない。
現実はドラマとは違うのだ。
ドラマのように恋におちたりはしないよ、現実は。
ドラマなんてクソくらえ!
ドラマの主人公たちよ、むしろお前らは恋にではなく地獄に堕ちろ!!
あー、ドラマがにくらしい。
恋におちるとか心を奪われるとかその時ハ〜トは盗まれたとか、1番にくらしい言葉だ。
あー、現実。現実。人生はリアリティーの塊でできている。
現実はドラマとは違う。
だけれども。
現実はドラマチックではある。
ただそのドラマチックさに気付けてないだけなのだ。
《なんて愚かな!ドラマチックさをもリアリティーの塊としか見えていないなんて!!》
現実にドラマチックが溢れてることに気付けたなら、人を好きになることは可能だと思う。
現実はとてもドラマチックだ。
…まぁ、あくまでチックだけど。
そのチックさに酔って人を好きになることは、十分可能だろう。
うーん…、でもそれってラブじゃなくてラブチック?
I lovetic you ? I lovetic you !!


―――こんなこと言ってたんじゃ、当分人なんて好きになれないだろう、わたし。
22歳もきっと1人で寂しく迎えるんだろう。
それはもう、悲劇的な22歳になることだろう。



↑ ↑ ↑
srちゃんのドラマチック発言をうけて、3年前の走り書きを抜粋。
いろいろ恥だけど載っけてみる。
2006 02/20 22:53:59 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

この記事へのコメント

この記事にコメントする

名前:
メールアドレス:
URL:
セキュリティコード  
※セキュリティコードとは不正アクセスを防ぐためのものです。
画像を読み取り、入力して下さい。

コメント:
タグ挿入

サイズ
タグ一覧
Smile挿入 Smile一覧