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東京・用賀の世田谷美術館で開催されている「福原信三と美術と資生堂展」は、三題噺(ばなし)のようなタイトルでわかる通り、福原信三(1883〜1948年)による写真作品と、交遊のあった人々による美術工芸品、創業者の三男で初代社長を務めた資生堂の製品、宣伝物が展示の中心となっている。そこには、福原の美意識や企業文化に対する姿勢、さらには生きた時代の匂(にお)いのようなものが色濃く漂っている。(生田誠)
日本のピクトリアリズム(絵画主義)写真を代表する存在として知られる福原だが、正確には印象主義の写真家といえるだろう。欧米留学中に立ち寄ったパリでの作品を集めた写真集が「巴里とセイヌ」だ。代表作となる「博労(ばくろう)」(1913〜21年)では、河畔にたたずむ人と馬をぼんやりと浮かび上がらせている。風景の切り取り方から、彼の表現が、科学的な眼と個人的な印象を複合したものであることを強く感じる。
注目されるのは彼の交友関係だ。福原と交わった川島理一郎、生方誠、富本憲吉らについて、絵画や工芸品(壺など)とともに、手紙なども展示されていて、濃密な親交ぶりがうかがえる。そこから資生堂ギャラリー開設の道が生まれ、当時は無名だった日本画の山本丘人、アバンギャルドなロシア人作家、ゴンチャローヴァらの作品が紹介される契機となったことがわかる。今でいうメセナにも、しっかりとした人間関係の基盤があったわけだ。
そして、資生堂が商品や宣伝物として提供した香水瓶(びん)やポスター類は、どれも驚くほど洗練されている。例えば、川島がデザインした「練白粉(ねりおしろい)ポスター」(1926年)は、昭和のアール・デコ、モダニズム文化をいち早く取り入れている。欧米文化を深く知る福原が率いた、東京・銀座の企業ならではの感覚だろう。
「福原」と「資生堂」、そしてその「(周辺の)美術」に共通するキーワードは何かと考えてみると、「女性」「富」「(西洋の)周縁」といった言葉が思い浮かぶ。当時の日本で西洋の文化を享受できたのは、裕福なブルジョア層だった。ターゲットへの訴求力を反映する“作品群”の色や形には、「控えめな女性像」が感じられる。
会場には、戦後の資生堂製品も展示されているが、一転、それは強く存在を主張する表現に変わっている。黒や原色を多用した化粧品のボトル類やポスター…。販売市場を世界に広げていった日本企業の戦略転換も反映しているのだろうが、そこには自己主張するようになった現代女性の嗜好(しこう)も感じられる。
11月4日まで、月曜休館。
(2007/09/26 Sankei.Web)
なかなか美術展に行くきっかけってナイなぁ・・
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