11月23日(月)
・3連休だった。特に何もしなかった。秋以降、今日までに祝日は5日あって、そのうち3連休になったのは4回。9月の3連休は帰省し、10月の3連休は家電製品を買ってそれを設置するのに悪戦苦闘。11月の最初の3連休は本に出てくる舞台を見に行く。でもこの4回目の3連休は何もしなかった。今日は連休の最終日のもう夕方だ。雨が降っている。
 たしかにリラックスできたが、このリラックスの記憶というのは急速になくなる。たしか昨日の昼ぐらいまでは休みそのものの気持ちでリラックスしてたけど、だんだん夜になると、「ああ明日はもう準備やなんだかんだで休みっぽくないな」みたいな。だいたい休みの奥行きというのは、休みの長さの半分までいったところがピークだ。これは山登りと同じだ。時間的に、「あ、もう半分まで来たから、今戻り始めないと間に合わないよ」という感じになる。しかも、たとえば2連休がずっと規則正しくすすめば、休みの感覚ができてきて、「あ、半日すぎたからこうだ」「1日過ぎたからこうだ」と、よくわかってくるので、逆に言うと、システマチックに物事がすすめられるので、それは休みの特徴である見通しのきかなさがなくなってしまう。休みというのは、システマチックでもないし、理路整然ともしていない、というところにあると思う。日ごろのそういう理路整然さを一時忘れるというのも休日の特徴だと思う。ちょっと睡眠と似ている。夢なんか合理性とはかけ離れたものだし、また合理的な夢というのは魅力的ではない。そして、よく眠れた睡眠というのは、たとえ8時間寝ても、起きている8時間ほど充実して何かやった、という感じではない。むしろ、とても短く感じたりもする。それと同じで休日も、「あ、もう終わっちゃったのか」と思うのが宿命ではないだろうか。つまり、平日の合理的な目から見れば、休日の非合理さというのは、何もやっていないということと同じだ。だから検討すべき命題として、うまくいった休みほど、無意味であっという間にすぎると。
 ただ、僕の休日がそういうふうに使われていいのか、ということがある。むしろ僕の場合は、休日にエネルギーを注いで、平日はそのエネルギーを貯める期間として位置づけられないだろうか、というのがある。それは、時計の振り子みたいに、平日はまた違う性質を持っていて、休日はまた違う方面でエネルギーを使う。平日と休日の両方が、お互いの気分転換になるような、そんなよいサイクルが生まれてくれれば最高じゃないかな。実際は、5日働き2日休むというダイナミズムが、長く続いているためにマンネリズムになっている。つまり、「平日⇔休日」という感じじゃなくて、「平日・休日⇔   」という感じになっていて、この空白に何もないからうまく気分転換すらできなくなっている。一言でいえば生活がメリハリの欠如でダラダラになっている。だから、なにか気分転換をするものがなくてはいけない。料理、というのが1つの方法としてある。それはできれば平日にしたい。仕事が終わってから、何かないものかな。
気分転換の候補
・今までしたことのない調理をしてみる
・運動。ジョギングだっていいし、もう少し夜の公園などに行ってみて体を動かす
・作曲とか、PC上で、今まで使ったことのない技を使えるものを見つけるとか
・それと、週1回ぐらいは家でゆっくり読書。うまくのめり込めるものだったらいい気分転換になる
2008 11/24 17:16:43 | none | Comment(0)
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