2015年 12月 03日 の記事 (2件)


6歳歳が離れた兄の影響で、私の読む漫画は藤子不二雄モノ、少年ジャンプモノ、そのほとんどがどちらかと言うと男の子向けのモノばかり。それでも熱く、時に切なく、バトルや友情を描いた作品は大好きなモノばかりでした。

小学生も高学年になると周りの友達は少女漫画の雑誌を読むように。りぼんやちゃおやなかよしなど。そんな少女漫画は食わず嫌いだった私ですが、たまたま母が本屋で買ってきてくれたりぼんに掲載されていた作品。矢沢あいの「天使なんかじゃない」、背景もゴチャゴチャと書かれ、異様にデカイ目やキラキラした目が嫌いだった私ですが、彼女の絵はなんとも見やすい。セリフも少なく一気に読める。一話読んだだけで虜になってしまいました。

ですが、お小遣いももらっていないし、毎回買ってくれとおねだりも出来ません。りぼんを読んでいる友達に頼んで見せてもらっていました。そんな時、兄が誕生日プレゼントにとコミックスの第一巻を買ってきてくれたのです。私がそれほど好きなことを知ってくれていたのです。最初に手にした時の嬉しさはいまだに覚えています。はみ出しのオマケの部分まで食い入るように読みました。

連載は続き、中学生になってもどっぷりとハマっていました。主人公の翠と晃に憧れこんな恋愛をしたいなといつも妄想。実際は女子中、女子高だったので結局制服デートの夢も叶わないまま終わりましたが、素敵な学園生活の疑似体験をさせてもらえました。

学生ならではの文化祭や運動会、修学旅行。先生との恋、友達とのいざこざや後輩との確執、ちょっとした三角関係、親子のすれ違いや兄弟との絆、将来への不安と希望。まさに青春真っ盛りの女の子にこれでもかというほどたたみかけてきます。全8巻と巻数にしては決して多くないのにこんなに盛り沢山な内容で何度読み返しても面白くて泣ける。少女漫画をちょっとなめていた私の考えを変えてくれた作品でした。

コミックスが出揃う頃、意を決してお年玉でまとめて買い揃えました。遂に自分の手元にやってきたと、その日はひたすら読んでいました。その頃は「天ない」と略されかなりの人気がありました。続く「ご近所ものがたり」や「NANA」のヒットもこの作品なしでは産まれてなかったかもしれません。アニメ化されたりもしましたが、声優さんの声が、自分の中の登場人物達との声と違ったらイヤだったので見ることはありませんでした。自分が決められたらなと思っていた子はきっと私だけじゃないはずです。

主人公の翠の髪型や服装も可愛く、真似をしたいなと思っていましたが、自分には似合わないと決め込んでました。今の私が当時の私なら好きならとことんやれ、と全部取り入れていたかもしれません。そしてバイクに乗っていた晃、私が初めて付き合った彼も、漫画に出ていたようなバイクに乗っていて、後ろに乗せてもらった時には、翠と晃になれた気がしました。その彼と結婚し、さすがに子どもには“翠と書いてあきら”と読む名前は付けませんでしたが、最高のトキメキと青春をくれたこの漫画は本棚に大事にしまって一生読み返したい大切な漫画です。
2015 12/03 23:00:17 | none | Comment(0)
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少し前の話ですがアニメ化もされるという情報を聞いて買いそろえたのが、「ジョジョの奇妙な冒険」です。この漫画はむかし兄が持っていたのですが、子供の我々には濃すぎる絵が気に入らず、ついつい読んじゃう面白さがあるけど、「変な漫画」扱いで終わっていました。しばらくすると三部までそろっていた漫画も、売られてしまいました。これ以降、私は「ジョジョはネタ漫画」という以上の認識を持っていませんでした。なので、私は本格的にジョジョにハマった時間でいうと、第一部アニメが始まってしばらくしてからだったので、いわゆる「にわか」の部類に入ります。そのまえにOVAアニメを見ていて、かなり出来がよかったと覚えていたくらいです。

 正直、アニメの前半、そして漫画を同時に読み始めても、「ネタ漫画」という認識はそのままでした。「変なセリフ」「がばがばな設定」が面白い、という感じです。しかし、最近の漫画にはない熱血さやあんまりかっこつけずにエンターテインメントに終始する感じに好感が持てました。

 ネタのつもりが感動しまったのは、三部のラスト。そうすると、四部が待ち遠しい、ここはアニメでも見たことのない未知の領域で、はやく読みたい、となっていきました。

 七部まで読み終えると、私が意識できる範囲ではとくに五部から、「運命」というキーワードが作品全体を流れているのがわかりました。この「運命」の扱われ方が、ほかの少年マンガとはすこしちがう。単純に、逆らうべき、打ち倒すべき「運命」なのではないのです。ジョジョの登場人物たちは、みな「運命」に逆らえない、むしろ覚悟をきめて受け入れていくしかない。

 その象徴として、「ローリングストーン(ズ)」というスタンドがあります。このスタンドは運命を動力として動き、死の運命が定まっているものに向かっていくという能力を持っています。それはまさに、坂道を転がる石が重力によって動くように、運命という力で動き、だれもこれには逆らえない、「われわれは『運命の奴隷』だ」と、このスタンドの所有者は

言います。ジョジョの登場人物はみなこの運命という重力に引っ張られ、物語に巻き込まれていく。さらに、この「ローリングストーン(ズ)」という名前は、六部までの主人公、ジョジョたちの象徴でもあります。というのは、主人公のスタンドは宝石ないし石の名前が必ず含まれており、「ローリングストーン(ズ)」は運命に巻き込まれるジョジョという主人公たちを意味しているのだと思われるからです。七部のスタンドは例外ですが、「転がる石」であるジョジョは六部でひとつの区切りをつけるので、そこにもそれ相応の意味があるのです。

 しかし、スタンド自体がある種、人間の限界という運命を越えた存在でもあったのです。石ころは加えられた力に逆らえません。植物は、すこしだけ自分を展開させる力があります。動物は自分から動き、獲物を捕らえてその動きを支配できます。さらに人間は、その動物の習性を知ることで、動物を支配できます。その人間を超越していくことが、ジョジョの物語の重要な要素であり、スタンドは完全に一般人の認識の外にあるものなのです。このスタンドでさえ、これがどれほど運命を乗り越えようとしても、乗り越えられない運命というものが、とくに五部、六部、七部でテーマになるのだと思います。

 という感じで、かなりうざく語れるほど好きになっちゃいましたよ、ジョジョ。

2015 12/03 00:00:00 | none | Comment(0)
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