第三段
昨日はあれだ、ネット代払ってなくてネット止められてた。
止められるとかあるんだなぁと、呑気に構えてるよな、あちし。うん。止められたバヤイは一日かかることもありますと払込書に書いてあって今日は繋がんないんじゃないかと思ってたがどっこい繋がってよかた。み。にしばらく浸ってしまっていた。やびゃいね。中毒だ。

火曜日は心が痛いことがあった。
今でも痛い。S子を通じてI氏があんなことを考えていたなんて。おとなしい、意見言わな過ぎだなぁと、疲れか?賢Q疾が忙しすぎるのか、はたまた心の病かと気をもんでいた自分がバカみたいだった。彼は予想以上にドロドロと心の中でマグマを煮えたぎらせていたのだね。想像以上に傷つきやすく、何も言えなくなっていたのか。。でも今それ言うかよ。とも思ったが逆にいうと今言われてあと一ヶ月あるって思えば。ってS子が。いやいや、今からじゃどうにも…奇跡ですよ。
S子はそれ言われて泣いちゃったみたい。だけど、庭園成功させたいから、彼女は自分の感情よりも、理性をとって、なんとか文藻を、とか、I氏をとか考えてて偉いと思った。

本当に詰めが甘かったな。お互いに依存しすぎてた。連携があまりにも足りなかった。誰に対しても申し訳なかった。

それにしても、彼は何を考えているのだろう。
仲間が嫌いだとしても曲が好きなら曲の理解というものを、感情抜きで考えていくという責任感、トップとして、曲をやりたいといった扇動者としての責任を感じて、そのような振る舞いはできなかったのだろうか。

人が嫌いだと、音楽はできない。音楽は人と関わって生まれてくるんだから。音楽に関わろうとするなら人とそれなりに付き合っていかないと作れない。それを無機質にも何も考えずにいたのだろうか?

だとすれば、音楽的表現を彼に求め、彼とやっていこうという意識をもっていた人は彼に裏切りに似た行為をされたということになるのではないか。あちしは表面の技術をどうのと話すが、表現について彼と議論したことはないが。

欠けてはならない大事な要素、先導的立場でいてほしい人。
しかしうちらとはモチベーションや音楽に対するパッションが見られない。
この求めてることと現実のギャップに苦しむ。
さらなる苦しみはこのギャップが埋まらないのではという不安。実際に埋まらなかった場合はそこでも苦いものとなってしまう。




気力を振り絞ってできる限りのことはしよう。

なりふり構わずぶつかっていきたい。周りにどう思われようと自分が正しいことだと信じてぶつかってみれば、その先にはやはり本当に正しかったという確証が得られるのだろうか?

一度きり、そして最後。
こう言ってしまうと非常に緊張してしまう自分がいるのだが、

だからこそ、何かしなければ。


2005 11/17 02:03:06 | oche | Comment(0)
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