第三段
今日のとってーには

今まで以上の緊張と、賭けの精神で、集中して臨んだのでした。
あとは集中力と精神の強靭さと柔軟性と耳のよさ、それとミュージシャンシップです。時にそれを全部ひっくるめて運というんだろう。。

それなのに一番最後で先生はいつもと違う振り方をしましたネ。

なんていうんでしょう、それまでの緊張感を全て無にするような感じがした。これが第一の理由でしょう。その後からは様々な感情が感情的になり、感情に感情するということが巡り巡っていたのです。
あのミスに対してもそれでも終始感を持たせようとするやるせなさや、いつも違う振り方をする指揮者を恨んでみたり。オゲを終えてしまうことに対する想いだったり。こんなにがんばってもできないものはできないと悟ったことだったり。まだぐちゃぐちゃな所もあるのにもう本番だという現状だったり。2度もこの曲に携わることになった悲しみを再びひきずりだそうとしたり。時に2我苦笑がんばっているチェロやI氏の目覚しい成長にうるうるしたり。でもそれは部分的なものだと思う。本当は柔軟性の無い己を悔いて悔いてしょうがなかったのです。

号Qしてわかったこと。
悲槍を筆者は時に泣きながら描いたのだと思う。泣きながら聴くことは出来ても、泣きながら吹くなんて、貴重な体験だよと無理やり言い訳をしてみる感はあるが、理性を失って時折感情の波が押し寄せてくるという異常な感情のなかでこの曲のなかにいると今まで感じたことの無い不思議な感じをうけた。

気が付くと1我苦笑おなじみQは最も悲しみが増長されるところだった。声に出せないけど涙が押し寄せてくる感じ。それは憎しみも混じったぶつけようの無い悲。曲の中でぶつけていたのかなとふと思った。
3我苦笑はなぜか無性に泣けてくるのだ。強がりだとか、抗いをしてみたのだと思う。そういうものは深い悲しみを覆い隠すように表層的なものでしかないんじゃないかな。それがわかるから泣ける、巧く説明しづらいけどそんなところだとおもう。
逆に4蛾苦笑は泣く子も黙る感じで慰めに入った感じ。Iの前からは堰をきったように流れだす。
4と3は改めて対比関係にあるのだなぁと滲んだ視界から思った。それぞれのカラーをしっかり出すことでそれぞれが活きるのだろう。


終わる前だから言い尽くしたいという想いだけでここに書き込むわけだが、あらゆるところで多用されているピチカートや酸錬プは絶え間ない涙であり、さんさんと降り積もる雪の描写であるように聞こえる。時に暗闇で揺らめく蝋燭の炎であったり。

感傷的な夜に更に追い討ちをかけるようにイケナイこととは思いながらいちお尊敬しているフリッチャイのCDを聴く。本番直前にはどこの演奏であっても聴くのは、自分たちのオゲでやるイメージを壊しかねないと思い、ひけるところもあるのだが。
やはり今夜だから泣ける。2我苦笑のチェロの歌い方がよいのだ。
2我苦笑は動揺、思惑の場面であると思う。4つの画苦笑があるなかで2が泣けるのはどうしてかと筆者なりに考えた。人間だれでも思い惑う。というか悩む生き物であると言える。だから、一番人間の根本が如実に描かれてる、深い惑いの中で負の引力に引かれてどうしてもマイナスに考える、深くため息をつく、それが涙を誘う。

聴いていると自分たちが出来ていないところも不安定なものなんだなぁと感じさせられた。フリッチャイに限らずどこのプロオゲでもそうなのだろう。てゆーかテンポってなんだって思う。楽しい時間はあっという間に過ぎるっていうけど、それと似ていて、時間を分割しただけの音符にどんな意味があるんだろう。正確であったとしてもそれはここちよく聴こえないんじゃないか。このオゲのテンポはそりゃあ不安定だが卓越した感動を引き出させる人の感情に訴えるテンポ感であった。人を感動させるのはメトロノームなんかじゃなく人の手によるテンポなのじゃないかと。ずっと前から思っていた。
2005 12/15 03:36:40 | oche | Comment(0)
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