第三段
卒ロン葉ピョ鵜が終わって、賢Q疾みんなが卒業できるという連絡をもらってホットしたけれど、
今思えばそこに至るまでには、そうでなければなしえなかった必然的要素というものがあっての結果だと、スウキだと思えたりする。

?まず、この大学に入ったのがさぁ…とそこまで前にさかのぼると、センターが思いがけずとれなかったので急遽この大学に変更し、さらにRow忍生としては賭けとなるピー判定でこの大学を受けたらスレスレで受かり。

?この賢Q疾は第二志望だったけど、自分と同じ臭いがする連中がいたし、もうここしかないと思った(第一志望の美声物は優秀すぎる集団だったし)が、ここに加わろうとしたときに、すでに第一志望にしていた5人は決まりとして、残りの一つの席を巡って私含め3人が詰め掛けた。(先の5人はGPA的に上)強情に粘ったわけではないが、譲ってくれた2人がいたからこの賢Q疾にいることができた。

2.5 教授か助教授につくかで、Kさんと私どちらかが助教授につかされそうになるが、あっちにいってたらサークルなんかやってられんかったし、鬼のように勉強せんとかんかった。それにKさんは葉ピョ鵜のトリを飾るのにふさわしい演者となるくらい助教授の研究に適した人だった。

?カミの研究はこの賢Q疾の十八番だったし、賢Q疾のみんなが少なからず狙ってたテーマだったと思う。これも強情にやりたいと粘ったつもりはないけれど結局はカミの研究に着手できた。小さい頃から気になってたものが大学で研究できるという人は少ないと思うから自分はラッ奇異だった。(現実はちょっと違ったけれど)

?それにしてももう一人の、カミの研究をしたI君(院試2位)の存在は大きかった。大きいなんてもんじゃなく、彼がいなかったらできなかったと思う。そのくらい依存していた。ppにも多大なる協力を得。

?あの先生ほど穏やかで優しくなければ折れてしまったかもしれない。寛容で、逆に方針が示されずかえって困ったけれど、その分自由だったからサークル思いっきりやれた。サークルや普通に寝坊とかで実験ができなかった時間を取り戻そうとしても戻せるわけではないが、2月は鬼のように研究室に滞在し、“なんとか”データを揃えてまとめられた。

その矢先にFlu。

?ウチの賢Q疾の葉ピョ鵜が2日あるうちの2日目だったこと。
その中でもウチの賢Q疾の葉ピョ鵜は一番最後のグループだったこと。

そうでなければ今日という日のあの時間の大学の卒ロンの発表には参加できなかっただろう。
様々なめぐり合わせに感謝する。
多少の誇張はあります。
2006 03/01 02:40:31 | 賢Q疾 | Comment(0)
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