第三段
わくわくしてるわけじゃないのに、遠足の前の日のように、大事な日の前日はついいらんことをしてしまう。

京都旅行の前日は試験管を深夜までかかって洗っていた。

明日は卒業式なのにねぺたらくとんの抽出や引き出しの掃除やデータの整理なんぞを深夜までかかってやってしまった。結局データ整理まではできず。引っ越す前にちょこっときてやろうと思う。明日あちしより早く着付け予約した友達に付き合って朝早いよぅ。

ほんと、あっというまの4年間だったなぁ。月並みな感想だけど。今私は不安を抱いていた4年前と同じ心境を抱いている。

今日楽器庫行って自分の荷物やら楽器手入れグッズやら持ち帰って、マッピもオイルもない楽器だけが入ったガランとした楽器ケースを眺めた。そして最後に自分のスリッパを下駄箱から持ち出したら、桶に自分がいなかったかのように元通りだなぁと思い、物理的には何も自分の痕跡がない状態で、自分に何が残せたのか、自分の中に何が残っているのかとふと思った。

自分に残せたことは、はっきりと分からない。はっきりいえるくらいのことをしてこなかった気もする。

自分は高校で悔しくもやめてしまったから、大学では続けたいと思ってやってきた。親の干渉がうざかった高校時代とは打って変わって、干渉がないのは晴れ晴れした。ここはすごく飾らない自分が出せるいい環境だったし、いい仲間にも恵まれた。思いっきり好きなことやれて、趣味の追求もできた。他大にも仲間ができて、やっぱ桶入ったことはあちしにとって大きな財産だった。入ってなかったなんてありえない。必然であり当然であったような。それが自分のなかに残っていることかな。

あちしは、今後もせっかくやってきた趣味だから続けたいとは思うが、具体的にどこでいつ再開しようとかは考えていない。自分的に充実して終われたから高校のときに思ってたような強く続けたいと思う気持ちはない。満足している。
だからといって仲間が集ってセッションなんかするときに呼んでもらえないのは寂しいけれど。
いつかむっくりと音楽を創造したい欲求が頭をもたげたら、再開するかも。ただ、今は会社でやっていけるか、それで頭がいっぱいなのである。

早く荷物詰めなきゃ。いらないもの、いらない家具を除いて、雑誌に載ってるみたいなゆとりとセンスのある部屋を目指したい。

現実にはローンに苦しい生活であっても、好きなものを好きなように買って好きなように暮らす生活を夢見ている。

袴せっかくいいやつ選んだのに、桶のみんなに会うことが難しそうな桶ピットの位置。謝恩会の「し」の字も見当たらない寂しいうちの学部学科研究室。明日の卒業式は一体どうなるんだろう。

卒業なんて信じられないゼ。
明日の式は大学の卒業という意味だけではない。モラトリアムからの卒業でもある。社会への羽化である。

さようならモラトリアム。こんにちは厳しい社会。

まだモラトリアムでいたいのに。
楽だし人生で一番謳歌できた大学時代であったよ。まだまだ心も頭脳も社会人として適応できていないのに。車に満足に乗れないのに、車庫いれが出来ないのに。なのに卒業なのか〜。

ちょっと待ってよ、卒業。
追いつけなかったよ。
2006 03/25 02:09:18 | 雑記 | Comment(0)
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