そろそろ卒業の時期だ。ろくな思い出など何一つなかった高校生活だったのだが。2月末までは卒業式があったとしても在籍中らしく、高校生活の打ち上げは都城駅前の大きな居酒屋の宴会場で3月1日に行われた。今では考えられないのだが全員18歳になったばかりか、まだ17歳もいる。当然だが3年の時の担当の先生もお呼びした。まず駅前で集合したのだが度肝を抜いたのは女子生徒のオバサンパーマだった。東国原さんも出た某進学校だけあってストレスの爆発と共に初のパーマに挑んだようだが尽く残念な結果に終わったようだ。そして遊んでいない進学校のイナタイ子供たちである。酒を呑んで気絶するもの、所構わず吐く奴、泣き叫ぶ奴、男も女もすぱすぱタバコを吸っている。そのどうしようもない状態のなか、担任の先生と話していると。”お前 2年生の時から車の免許取って乗り回していたらしいな?”って。先生それバイクですよ。日本の法律では18歳にならないと取れません。先生も俺もそうだと思ったのだがお前ならやりそうだからって…。16の終わりに免許を取ったとき学年で1人だけだったし、生活指導の先生は母親の同級生だったし、この先生の甥っ子の農業高校の子とは毎週酒盛りをしていたし、農業高校の同級生(今 宮司をしている)の家にバイクで入って行くと生活指導の先生の奥さんとバッタリ会い挨拶した事もある。よってバレて停学になることはなかった。この先生 出世を重ね校長にもなったみたいだが、もう定年したのかな。2年生の時 欠課が240以上あったが休んだのはわずか10日だった。昼に耳鼻科に行ってきますと言って末吉まで免許とりに行っていたが、担任の先生からこのままだと足りなくなって進級出来ないぞと脅された。出席簿を忘れる先生も多く、書き直していたしマメに職員室に伺っては言い訳していた記憶がある。当時の高校生は夏休みにパーマをかけるのが多かった、しかし我が校では課外授業が連日あった、私は地毛だと言い張った。こんなこともあり担任は2年連続で問題児をみるつもりになったようだ。”こいつはパーマかけてきて地毛だと言い張ったんだぞ”とみんなの前で披露。皆に爆笑された。
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