狭い路地を走り抜けて、海が見える丘に登り、遠い夢を見ていた。 瀬戸内の海は今日もとっぷりとゆっくり流れている。
あの忌まわしい日から10年経った。そう10年前、私の5歳の娘が殺された。 犯され殺され岸壁から捨てられた。随分流された所で釣り人が発見した時は岩に当たったのだろうか、首の骨は折れ全身ボロボロの状態だった。 痛みと苦痛の果てに叩きつけられて息絶えたと見られた。 TVはセンセーショナルに報道し、葬儀も訳のわからない者まで多数参列した。 「かわいそうに」、「なんて残酷な」、という言葉に加え、「お父さんしっかりして下さいね。」 中でも一番怒りを覚えたのが、「罪を憎んで人を憎まずですよ」、お前の子が殺されたらそんなことが平気で言えるのか? とにかくそれからは偽善者のオンパレードであった。 妻も精神を病んだ。自分の責任だと自分を責め続けた。真っ暗な部屋で「へへへっ」と不気味の笑っている姿に話しかけても反応がない。 仕方なく入院させる事にした。
とりあえず犯人の早期逮捕を願った。全国に知られた殺人事件である、岡山県警のみならず警察の威信をかけ解決すると豪語した。 ところが今だに手がかりさえない。初動調査の不手際だの田舎警察が無能だからだの批判も上がったが、とにかく手がかりがない。 街灯もなければ釣り客もこない場所ではあった。 娘が一人で来るような場所でもないのだが。なぜ?。
完全に座礁に乗上げたかに思えた。 もう10年である、誰もがダメかなと思い始めていた。
ところが奇跡がおきたのだ。
私はアメリカやカナダ、中国といった海外から建築材料を輸入する商社で働いている。 顧客は日本全国にある大手のハウスメーカーやビルダーだ。 年商20億円位の小さな会社ではあるが、私は営業として1ヶ月の半分以上は出張といった日々を送っていた。 主に担当は西日本地区なので九州、特に福岡には以前からよく行っていたのだが…。
ある日、私は福岡でカナダの領事館のよく行うセミナーに出席していた。内容はカナダの製品をブランド化し、お客様に薦めましょうという勝手でつまらない内容だったのだが、建設会社の現場や営業の管理職クラスがそれぞれの会社の命令で大勢出席していた。 2時間もすればお開きになる。腹が減っていたので下の階の食堂で食事をすることにした。
セミナーに参加していた人たちが何名か同じように食事をしようとしている。
実はこれは絶好の営業チャンスなのだ。参加者はまず建築業者の管理職であり、発注権を持つ人たちだ。 営業はいつも数字に追われるが、新規客を開拓しないと売上は萎んでいくものだ。まずは現場責任者風の2人組のテーブルに挨拶した。
「私、輸入建材を扱っています岡山インターナショナルの松尾と申します。」と名刺を差し出す。 「ああ、シングルルーフィングやペイントをやってる岡山さんね。」 どうも会社を知っているようだ。 「ありがとうございます。よろしかったら同席させて頂いてよろしいですか?」 「どうぞ。」 早速 挨拶代わりに自社カタログを渡し、同席させてもらう。
いきなり飯を食うのにしつこい勧誘も無粋である、会社を知ってもらっているのなら尚更、これからは引きトークとばかり世間話。
中洲のあそこが良かっただの、箱崎ふ頭の話だの。 するといかにも現場監督といった風体の男の方が話しだした。 「そう言えば岡山の下津井って言えば、昔、女の子が殺されたって事件あったよね。」 「あの左右色違いのソックス履いてた女の子が殺されたって話。」
私の身体に稲妻が走った!。その事実は公表されていないはず?。というのが面白がって娘が色違いのソックスを履くのを見て、「まるでエースフユーレーだな。」と言った覚えがあるのだ。 エースフユーレーとはアメリカのキッスというバンドのギタリストでよく左右違う色のスニーカーを履いていたという話しからだ。 妻も娘も「何それ?」と笑っていたが。 事件当時、左右違うソックスを履いていたかは定かではない。片方もしくは両方脱げて発見されたかもしれない。 しかし、面白がってよく左右違うソックスを履いていたのは確かなのだ。
名刺を見直す。名前は谷口文男。
こいつが…?。とにかく調べよう。そのためには。
私は谷口に「無垢とホローコアのドアで安いのがあるんですよ、もし良かったら検討ください。見積りは名刺の番号に、谷口さん宛にFAXしときます」 とりあえずそれでその場を離れた。
その夜、私は出張先のホテルから谷口宛に見積りをFAXした。通常売価の半値である。恐らく原価割れかギリギリなのだが、実はある会社の発注ミスで戻ってきたもので在庫にはなっていない商品である。 棚にのっていない商品をいくつかストックしておき新規の営業で使うのは常套手段なのだ。 それ以上に谷口と接点を持つことが重要だった。
案の定である。翌日、電話があり、谷口から検討したいから会社に来てくれとのこと。
早速、私は南区までレンタカーを飛ばし向かった。4階建てのガラス張りの本社ビルである。着工戸数が年間100棟くらいだろうか、まあまあの棟数である。 各現場監督が仕入れを行う仕組みらしく谷口もその一人のようだ。 予定物件の図面を見ながら搬入予定日、サイズ、本数のチェック、搬入方法、搬入住所そして支払い条件、などの確認を終えた。 しかし本懐はそれではなかった。 私は「明日には岡山に帰ります、今日は近くで泊まりますからお近づきの印に一杯行きませんか?」 接待慣れしているのだろうあっさりOKした谷口と別れ、私は次なるシナリオに向け動き出した。
小奇麗な料理屋だった。大きな店ではないがちゃんとした料理を出しそうだ。剣菱を飲み交わしながら谷口の顔色を伺った。 賢い男ではないが自己顕示欲の強そうな自信家みたいだ。とにかく褒めておだてて飲ませた。 「谷口さん、岡山には来られた事があるんですか?」 「ああ、あるよ。岡山の武藤建設さんとは社長同士が仲が良くて勉強会や交流会をやっていてね、アメリカのNAABにも一緒に行ったんだ」 「そうですか、岡山の大手の武藤さんですね。」
結構呑んだだろうか、辛口とはいえ日本酒は胃に残る。谷口もそれほど呑める男ではないようだ。 「谷口さん、博多の女の子は綺麗な子が多いから中洲辺りも楽しいんでしょうね?」 「俺は飲み屋の女は嫌いだ。なんか、こう純粋さがないよね。少女のような可愛さというか…。」 私はドキッとした。なおも谷口は続けた。 「人形みたいな子がいいよな、小さい…。」 疑惑がなければ何ともない会話だったのかもしれない。しかし、この酔っぱらいから漏れた言葉は間違いなかった。
こいつだ!!犯人は。
谷口は独身で現在45歳、母親と会社近くの南区で住んでいる。結婚したことはないようだ。 専門学校を出て25年ずっとここで働いているらしい。 頭はきれる男ではなかったが真面目に勤務は続けてきたらしい。 女子社員と話をすることはなく、同僚や後輩には強がったり虚勢をはったりするようだがあまり相手にされていないようだ。
10年過ぎようが私の恨みは日々膨張し続けている。いつ爆発してもおかしくない。 しかし、今ではダメだ。殺すだけでは復讐し足りない。
私は復讐計画を練った。最終的には殺す。その前に捕まるわけにはいかない。 凄惨な死には意味がない。精神的に追い詰め悲しみと後悔と恐怖の中で処刑しなければならない。 私には体力がない。恐らく谷口と争えば返り討ちにあう恐れもある。 私はまず足がつかないように ネットを通じスタンガンや催涙スプレーといった道具の他に近くの病院の産廃置き場から注射器まで集めた。 目的に向かいまっしぐらに走り始めていた。
準備が完了すると私は会社を辞め、社会とのつながりをすべて切った。
谷口は会社から歩いて帰宅する。歩いても10分位の場所に自宅がある。 見積りや予算計画などで深夜まで残業することもあるが、建築屋の業務としては早く帰ることが多い。 付き合いが少ないというのも原因だろうが。そして週に2〜3回は近所の一杯飲み屋に寄りひっかけて帰るようだ。 そこを狙った。
酔っ払って出てきた谷口を背後から追った。人影も少ない通りにさしかかった時、背後からスタンガン一発。 崩れ落ちる谷口。即座に酔っぱらいを介護するふりをして車に詰め込む。 テレビカメラもない駐車場で身ぐるみ剥ぎ取り素っ裸にした。 行く先は博多駅前である。中洲の真ん中に捨てるとすぐ車から足がつく。博多駅前は裏通りに入ると人がほとんどいない空間がある。 人影が消えた所で谷口を捨てた。1枚だけ素っ裸で放置された写真を取り。
きゃあ!女性の悲鳴に谷口は飛び起きた。ここはどこだ?!。走って逃げたが逃げた先は人だかりの繁華街である。 すぐ警察官が飛んできて、身柄を確保された。 警察から母親に電話があり、結局、酔っ払った末の愚行だとされた。
それから数日後、次に谷口が目覚めたのは西区の生の松原だった。 いくら脳天気な谷口でも これほどまでに悪質ないたずらに恐怖を覚えないわけがなかった。 呑んで帰るのを控えることを決めた。
しかし、呑んでないにも関わらず、3たび襲われることになる。 次に捨てられたのは拉致された場所とほぼ同じ近所だった。又、素っ裸で。 これには困り果てた。近所中で話題になった。あの年で独身なのも頭がおかしいからだと噂された。 母親も近所に恥ずかしいと泣き続けた。
私は子供がするような事をするために復讐を決意した訳ではないのだが、子供がいじめを面白がる感覚と殺意が入り混じり狂い始めていた。
谷口の全裸を撮ったデジカメの画像を引き伸ばし百枚近くプリントアウトした。 それを新聞配達も人もいない僅かな時間帯を狙い、自宅の周辺や会社の壁に貼りまくった。 これには谷口も打ちのめされたようだ。元々、隠れるように生きてきた独身中年男である。 会社にも素っ裸での愚行がバレてしまった。取り敢えず謹慎ということで自宅に引きこもったのだが、谷口には誰がやったのか全く検討もつかない。 母親は絶望した。間違いなくこのバカ息子は首になり職を失うだろうと罵った。 警察もさすがにおかしいということで調べ始めたようだ。怨恨の線から。
そろそろ締めにかかろうと私は決意した。
息苦しさから家を出た谷口の姿を確認後、母親一人を残す家に火炎瓶を数本、投げ入れた。 本当はダイナマイトか手榴弾を用意したかったのだが、そんなもの容易に手に入るはずがない。 しかし、予想に反し炎は瞬く間に広がり、母親もろとも焼きつくした。
谷口は燃え広がる自宅を前に呆然とした。 世界でたった一人の味方であり、唯一愛してくれる人を失くした。 涙も出なかった。
意識のないまま、トボトボと谷口は歩き出した。火事の周りは野次馬でごった返しつつあった。サイレンが響き、消防車もやってきた。 すでに火はすべてを覆い尽くし取り付く島もない状態だった。 数百メートルも歩いていなかっただろう。 谷口は何も感じていなかった。 私は思いっきり背後から谷口を車で轢いた。 ドンという音と共に何メートルだろう?谷口ははじけ飛んだ。私はぐったりとした谷口の上をもう一度轢いた。
当然ではあるが、やがて私は逮捕され拘置された。 理由を聞かれ私は答えた。 「娘を殺した犯人が谷口だと分かったので復讐しました」と。
私は吠えた。 犯罪者は反省しない。その事実をほとんどの人が誤解している。 被害者家族は怨念と後悔に一生苛まれる。 犯罪者は刑期を終え、のうのうと社会に戻ってくる。 それを今度は守るかのように、警察は口を閉ざす。 犯罪者の人権は守れても被害者の無念は関知しない。 恨んだ方が不幸になっていく。 健全でありたいなら報復すべきである。当然の権利だ!。
塀の外はもう秋になろうとしていた。 そんな折、看守がやってきて言った。 「娘さんを殺した犯人が捕まった。」
犯人は当時20歳のアルバイトの男だったらしい。
谷口は犯人ではなかった。
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