宮崎市内から小林市に向かう途中に野尻という村がある。 国道沿いに怪しい公園はあるが、ほぼ山ばかりの手つかずの地である。 国道をそれてちょっと入るとバス釣りのマニアには有名な池がいくつか点在する。 只、行くまでが面倒なため人だかりになることはまずない。
空も晴れたある日、二人の男がその中の一つの池に居た。 ブラックバスを釣りに来たのだ。 ブラックバスは日本古来の在来魚を食い散らし繁殖する。 誰が持って来て放したのか、こんな山奥の池の生態系さえ変えてしまったようだ。
「釣れないな」と一人の男が口を開いた。 男の名前は谷口文男。車の修理工場で働いている。 「ん〜。そうだな。」 もう一人の男は原田知夫。電気部品工場の工員である。
二人して釣り以外これといった趣味もなく。文男は原田に誘われたので来ただけだった。 池まで車では入って来れないため途中からかなり歩いてやって来た。 そろそろ引き上げて、うどんでも食って帰ろうかと話していた。
とその時、文男の竿にあたりが。 「きた!」 これはデカイ!!なんていう引きの強さだ!。 「タモ!タモ!」と文男は原田に叫んだ。バス用のタモだと足りないかも?なんて期待をしながら。
それにしても竿が折れそうなくらいの引きである。 おかしい?巨大なまず??やがて影が見えてきた。 引きの割には小さい気がする?先が尖って見えたので、カマスか?池にカマスはいないだろ? オマケに緑色に近い。
目が見えた!!!。げっ!?!。河童である。30cm〜40cm位の。 文男は狂喜した。 「河童が釣れたぞ!!」 確かに原田も見た。魚ではない、水かきを持った河童らしきものを!。
河童は死にものぐるいで目を剥きながら必死に抵抗していた。 その時だ。恐ろしいくらいのスピードで魚影が横切る。 まるでサメが釣れた魚を横取りにきたみたいだった。 しかし、魚ではなかった。それは1mを超す河童だった。 河童は水面から飛び上がり、文男の右手に噛み付いた。 驚いた文男は竿を離してしまった。 河童は大小二匹して水中奥深く、竿ごと消えてしまった。
一部始終を見ていた原田は、親ガッパが子河童を助けに来たんだと思った。 と、事はそれだけでは終わらなかった。
右手を押さえ文男がうずくまっていた。 痛いなんてもんじゃなかった。右手は食いちぎられたと錯覚するぐらいだった。 やがて右手は紫色に変色してきた。顔色も真っ青だ。 文男は意識を失った。
原田はあせった。河童に噛まれた奴など世界中探してもいないだろう。 毒があるのか?。爬虫類ではよく聞く細菌やバクテリアを口の中に持っている奴がいるらしい。 とにかく得体の知れないものに噛まれてしまった友人を担ぎ、車に急いだ。 良かった、携帯が通じた。救急車も呼んだ。
文男は小林市の救急病院に担ぎ込まれた。 原田は事情を聞かれた。 「河童に噛まれたんです!。」 どこの世界に信じる医者がいるだろうか? 「河童みたいな大きな動物、イノシシとか熊ですか?」医者は聞き返す。 「いや!池の中から現れて…。」 「毒蛇かなんかですか?」 そう言われると河童って普通いないよなって気になってくる原田だった。
文男の右手は3倍以上に紫色に膨れ上がっており、顔もむくみ、唇は血の気を無くしていた。 毒蛇に噛まれたんではないだろうかということで色々な抗毒血清が適合検査された。 しかし適応するものはなかった。 河童に噛まれて効く血清など全世界探してもないかもしれないが…。
事故から8時間になろうとしていた。抗生物質ぐらいしか手立てはなく、文男は全身が腫れ上がり、紫の土左衛門のようになっていた。 すでに文男の親族は集められ、医師から話を受けていた。 もうダメだろうということだった。
まだ原田も病院にいた。家族も事の詳細を聞きたがったのでありのままを話した。
文男の兄が口を開く。 「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、河童に噛まれて死にましたとは葬式では言えないな。」 「いくら馬鹿でもそんな馬鹿な死に方なんて」と母も嘆いた。
すでに最後を看取る為に家族は待機していた。 ところが干潮が過ぎ、再び潮が満ち、再び干こうとも文男は生き続けた。 しょっちゅうショック症状を起こし危篤状態に陥るのだが復活し続けた。 結局、仕事のある兄と父は母を残し病院をあとにした。 「死んだら連絡くれ」と。
3日もすると容態は安定してきたというより文男が目を覚ました。 土左衛門が突然目を開いたので集中治療室の看護婦は腰を抜かした。
肌は紫色から土色に変わり始め、まるでゾンビのようであった。 その異型さは不気味だった。まず頭部が4倍位に大きくなっていた。 それから1周間ぐらいは何とか人間かな?という感じだったのだが。
14日目の朝、文男は仰向けに横たわる息苦しさを感じていた。寝返りたくてしょうがなかった。 よいしょ!と裏返ることに成功した。うつ伏せになった。 えらく楽になった気がした。
ICUの看護婦は又、腰を抜かした。 そこに横たわっている文男はまるでオオサンショウウオそっくりだった。
やがて文男は粘液のようなものを出しはじめた。 ネバネバとした得体の知れない体液である。 仕方なくベットにはビニールシートがひかれた。 文男はすでに以前のような発作を起こしたり、痛みを感じることはなくなっていた。 どちらかというと爽快ですらあった。 そして不思議なことに文男のいる病室、ベット、シーツ等があまりにクリーンな特殊な衛生室のような事に注目された。 その原因は粘液にあった。いかなる菌であろうが死滅した。空気中の菌まで。 調査の結果、菌だけではなく病原体そのものも駆除してしまう事が判明。 ジェル状のその液は乾く事もなく殺菌力を持続した。医学界にとっても夢の発見だった。
だんだん変化していく身体を文男自身感じていた。 尻の辺りから尻尾らしきものが生えてきた時点で人として生きることを断念した。
1ヶ月になろうとしていた頃、ほぼ巨大なオオサンショウウオになっていた。 その頃になると立って歩くのは不可能だが這うことは出来た。(オオサンショウウオが二足歩行したら怖い)
母と担当医は話をしていた。 「多分、医療費が膨大な事になっていると思うんですが、高額医療費の申請って出来ますかねえ?」 「オオサンショウウオっていうことで天然記念物扱いは無理でしょうか?」 「多分、あの姿で修理工場は雇ってくれないだろうし、うちに水槽で飼うわけにはいかないし。」 と母が聞くものの医者も答えようがないようだ。 「実は非常に珍しい症例ということで東京の大学病院から引き継ぎたいとの話がきてるんです。」 「まあ、ここの病院ではこれ以上の治療は無理です。」 「只、世界的にも珍しい症例と医学会の大発見かもしれないあの粘液。その治療検査ということで医療費も控除する方向で進んでいるようです。」 母親は渡りに舟とばかりに承諾書にサインした。
文男はすでに言葉は話せない状態になっていた。(言葉が話せるオオサンショウウオは想像が難しい) だが話を聞くことは出来た。頷くこともできた。 母親と医師から事の詳細は聞かされた。 文男は間違いなく自分は実験材料にされ、切り刻まれると思っていた。 もしくはガマの油のように粘液製造機にされるかも。
2m近いオオサンショウウオ化した文男は特別機で東京まで搬送された。 「もうすぐ着きますからね。」と付き添いの医師は言う。 うなずく文男。人間の言葉に反応するオオサンショウウオって世にも奇妙な情景である。 勿論、マスコミには以前から極秘にされていた。オオサンショウウオに変態した人間などマスコミの格好の餌食になるだけである。 研究の障害になるのは間違いない。
文男は狙っていた逃げる隙を。警備が手薄になるその時を。 そのために今まで従順なふりをし続けたのである。
大学病院についたその時、担架に乗せられ上からシーツをかけられていた。 そして、その時は訪れた。 車から担架が降ろされ、動かぬようロックがかけられた。その後、数秒間ではあるが職員が担架から目を離したのである。 茂みに素早く逃げこむ文男の尻尾を職員が発見した時はすでに遅かった。
文男は死物狂いで逃げた。勿論、はってだ。途中、下水道に潜り込んだ。 一目散に奥へ奥へと突き進んだ。 どれだけ逃げただろう、行き着いた先、そこは変な匂いのする下水道というよりも綺麗な水が流れる大きな導管の中だった。
そしてその先には何と!仲間が居た。 すでに脳まで両生類化が進行していた文男には、懐かしい光景でしかなかった。 天然記念物のオオサンショウウオでも人間並の寿命を持つらしい。 ましてや元々人間の遺伝子が変態した2mを超す強者である。 昔はもっと河童がいたらしい。噛まれた人間も。 文男は新しい仲間として受け入れられたようだ。
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